第1章 ③

「で、どこまで走ればいい?」


 しばらくして、運転席で煙草をふかしながら男が聞いた。のんびりとした口調でそう聞いておきながら、次の瞬間にはいきなり急ブレーキを踏んだ。


 その拍子に危うく弘毅は車から放り出されそうになる。それを何とかシートにしがみついて回避した。


「…っぶねぇなっ」


 舌打ちしながら顔を上げて、はっとする。車の真正面に立つ少年の姿が目に入った。先程のクローン人間だった。


「…峻…」


 どうやって追いついたものなのか。


 唖然とする弘毅を尻目に、助手席に乗っていた子どもが素早くジープを降りる。そして立ち塞がる峻の姿をしたクローン人間の前に立った。


「また君…?」


 無表情のままのクローン人間。しかしその声には僅かに苛立ちが含まれているように聞こえた。


 その彼に子どもは何も返さず、そのままクローン人間に向けて突っ込んで行った。


 素早く繰り出す蹴りは、軽く避けられた。それを空振りするままに回転様にもう一度繰り出すと、今度はクローン人間の身体に命中する。


 側面からの蹴りにクローン人間は横に飛ばされるものの、受け身を取ってすぐに立ち上がる。その間に小さな身体が懐に飛び込み、繰り出した拳がクローン人間の顎に命中する。


 が、予想していたのか、びくともした様子もないクローン人間に、子どもの方はすかさず気づいて身をひるがえした。


 その場に振り下ろされるクローン人間の手。黒く風が焦げる。


 向き合う二人。


「逃げるの、速いよね、君。でもボクからは逃げられないよ」


 クローン人間の動きは言葉どおり素早かった。しかし、それに向き合う子どもの動きは更に素早かった。


 ちらりと弘毅達との間を確認しながら、子どもは車から離れる方向へと逃げて、またクローン人間に対峙する。


「大したガキだろ? 昔のお前さんを思い出すじゃないか」


 言って煙草の運転手が振り返る。その顔に見覚えがあり、ああやっぱりと弘毅は思う。彼――三澤みさわがここにいると言うことは、多分またあの人物とも顔を合わせることになるのだろうと、半分げんなりする。


「司令官のお抱え超能力者だ。あの人、ガキ、好きだよな」


 その言葉に弘毅は舌打つ。


「どうする? 黙って見てるのか?」


「…俺にどうしろと?」


 無意識とは言え、不機嫌極まりない声が出た。


「あんな小さな子どもを死なせるのは、後味が悪くないかって言ってるんだ」


 そんなことは分かっている。相手は超能力を持っている。人間がまともに相手になれる訳がない。ましてやあんな子ども一人で適う訳がない。


 が、その子どもは思った以上に素早くて、動きに無駄がない。比較すると、むしろクローン人間の方の動きが緩慢に見えるくらいだった。


「手慣れてないか、あいつ」


「まあな。今のところ、この国をあの化け物から守っているのはあいつだからな」


 大袈裟なその言葉に、弘毅は鼻白んで運転手を見やる。相手は弘毅の表情にニッと笑って見せる。


 その時、目の端で青白い光が閃いた。


「…なにっ?」


 慌てて視線を向けたそこに、地面に手をつく子どもがいた。その手元から無数の矢が伸びてきた。その矢はクローン人間に向けて地面を蹴るように飛び出した。


「サイコキネシス…」


 思わず、口をついて出た言葉。


 地面に埋まる石を変形させて矢のようなものを作り、それを敵に向けて繰り出す。


 クローン人間は軽く身をひるがえしてそれらを避ける。その隙に子どもは反対側から突っ込み、そのまま両手の平をクローン人間の腹部に押し当てる。


 クローン人間の身体の子どもの触れた部分が、内部から破裂した。


「う…わっ」


 クローン人間が叫び声を上げて吹き飛んだ。飛び散る肉塊。


「峻ッ!」


 弘毅は思わず車から飛び出した。


 峻の姿をしたクローン人間に駆け寄る寸前、弘毅の身体を止めたのはその子どもだった。


 立ち止まった弘毅の目の前で、クローン人間はよろよろと立ち上がる。押さえた腹部が大きくえぐり取られて、空洞になっていた。


「峻ッ!」


「ダメだよっ」


 小さな身体が弘毅を力いっぱいに止める。その目の端でクローン人間の身体はすぐに復元していった。その様は明らかにヒトのものではなかった。元に戻っていく肌は、あっと言う間に傷も消えてなくなった。


「ヒドイよ、こんなの…」


 クローン人間が弘毅を見る。一歩近づいてくる。


「コウキ、ボク、会いたかった…コウキ…」


「峻…」


 弘毅は自分を止めようとする手を振り払う。思いっきり払った拍子に、子どもが地面に倒れるのが横目に見えた。しかし、目の前の者から視線を逸らせなかった。


「峻」


 虚ろな瞳のまま、弘毅に向けて両手を差し出してくる。


「コウキ…」


 その手を取る。冷たい手だった。血の通わない、魂のない、この悲しい身体を自分が作った。


 この中に本当の峻はいない。分かってはいる。だが――。


「峻、ゴメンな…」


 呟くように言って、抱き締める。何度も何度も口をつくのは、謝罪の言葉。


「コウキ、ボクを…」


 弘毅の腕の中のクローン人間が小さく呟く。何なのかと、聞き返しかけた時、脇から腕を引かれた。


 勢いに負けて、クローン人間から引きはがされる。見ると、弘毅に体当たりするかのように飛び込んできた小さな身体があった


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