第1章 ②

 松田弘毅は車窓を流れる景色にぼんやりと目を向けていた。


 吹き込む風はつい先日まで凍てつくような冷たいものであった筈なのに、いつの間にか暖かさを感じるようになっていた。いつ季節が移ろったのかすら気づかなかった。


 旅から旅を続けて、どれくらいになろうか。新しく訪れる町ももう残っていない。西へ東へ、北へ南へ。国中を行き尽くした気がする。


 宿に泊まるよりも、列車の中で過ごす時間の方が長かった。何も考えず、風を受けて、ただ、進むだけの日々。


 大切だった者を失って何年になるのだろうか。異端者として共に生き、支えあった唯一の存在を。


 限りなく不可能に近い希望であっても、あの頃は叶うと信じていられた。二人でいれば何でも乗り越えられた。くじけそうになる心を支え合い、助け合って行けると信じていられた。だが、そのたったひとつの寄り所を失ってしまった。


しゅん…」


 名を呟いた。それだけで涙が出そうになる。


 その瞬間だった。目の前を何かの影が横切った。


 ――見つけた――


「!?」


 一瞬の影に、弘毅は通り過ぎた窓の外を首を突き出して振り返ろうと、座席から立ち上がりかけた。


 その時。


 激しい振動とともに、車体が大きく傾いた。悲鳴と、鉄の擦れ合う音が響く。身体がふわりと浮いて、天井、床へと次々にたたきつけられた。


 身体に加わる痛みに、目の前が暗転する。


 何が起きたのか分からず、ただ、列車事故なのだろうと、消え行く意識の断片で考えた。



   * * *



「――っ…」


 弘毅は背中に激しい痛みを覚えて目を覚ました。仰向けに見上げた先には青い空が広がっていた。列車から外に放り出されたのだろうか。頭を振って、何とか起き上がる。


「…何だ…?」


 あちこちが痛い。衣服も激しく破れ、汚れていた。足元をふらつかせながら立ち上がって、初めて周囲を見回せた。


 そこに広がっていた惨状にギョッとした。


 列車が線路から大きく外れて転覆していたのだった。窓から投げ出されたのであろう人がそこかしこで倒れ、呻き声を上げているのが見えた。列車の下からは血の色が滲み出ていた。


 何が起きたのかよりも、救助しなくてはとの思考の方が先に立つ。弘毅はおぼつかない足取りで列車へ向かう。


 と、それを遮るように弘毅の目の前に立つ者がいた。


 その姿に、動けなくなった。


 それは弘毅より一回り小さな少年だった。柔らかな栗色の髪が風になびいていた。一日として忘れることのなかったその姿。


「やっと…見つけた…」


 その声はかつてのままの、柔らかな少年の声のままだった。ただ違うのはその深い赤色をした瞳だった。かつて自分が作り上げた人間――クローン人間だった。


「峻…」


 かすれた声が喉からもれた。何年も前に失われた存在、我が半身、見まがう筈もなかった。


 弘毅は目の前の人物に吸い寄せられるように歩を進めた。無表情なその顔にかつてのこぼれるような笑顔を見たことはなくても、自分を慕う澄んだ瞳はなくても、それでも、それでも、引き付けられた。


「コウ…キ…」


 冷たく、抑揚のない声が自分を呼ぶ。


「峻」


 手を伸ばす。


 抱き締めようとしたその寸前。


「ばかっ!」


 怒鳴られると同時に突き飛ばされた。何か小さな塊に横合いから体当たりされ、弘毅は地面に転がった。


「いてて…」


 頭を振って、自分の上にのしかかっている者に目を向けた。それは見覚えのない子どもだった。


「このガキ、何しやがるっ」


 振り仰いで、怒鳴る弘毅を見返した子どもの瞳が彼を捕らえる。確かに見覚えのない顔だった。それなのに、何故か胸の奥で熱くなるものを感じた。


 が、それも一瞬で、すぐに自分達に覆いかぶさるように、別の影がさした。


 見上げると、クローン人間が立っていた。


「コウ…キ…」


 弘毅に手が伸ばされる。その手を取ろうと伸ばしかけて、叩き落とされる。


「ダメだっ」


「お前、何を…」


 邪魔をする子どもに怒鳴ろうとして、彼の指さす方向に目を向ける。


 そこはつい今し方自分の立っていた場所だった。地面が焼け焦げていた。よく見るとクローン人間の手首が黒く蒸気を出していた。


「峻…」


「どうして、逃げるの?」


 一歩ずつゆっくりと近づいてくる。


 素早く立ち上がったのはその子どもだった。弘毅の手を引く。


「ここじゃ、怪我人を巻き込む。逃げるよ」


 言うが早いか、そのまま駆け出す子どもに弘毅は引っ張られるようにして従う。クローン人間を振り返り、呆然と立つその姿に、かつての自分を思い出す。


 峻を置き去りにして逃げた自分を。


 再生しようとした身体に峻の魂が宿ることはなく、そのまま失われてしまったと知った時、自分は――。


 引きずられるようにして走った先に、ジープが止められていた。


「早く乗って」


 子どもに背を押され、弘毅は後部座席に座った。子どもはジープの前方から回り込んで素早く助手席に着く。


「全速力でお願いします。なるべくここから離れてください」


「オーケー」


 間延びした口調で返す運転手の聞き覚えのある声は、しかし弘毅を振り返ることはなかった。そのまま、いきなりアクセルを踏んだ。


「うわっっ」


 振り落とされないように、弘毅は慌てて座席にしがみついた。


 ジープはおよそ乱暴としか言いようのない勢いで、山道を突っ走っていった。



   * * *




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