第3話   守 銭 奴

 「わたし、守銭奴になります」

品川からの帰り道、宗助は高らかにそう宣言した。

「守銭奴ってよく聞くけど、どうやったらなれるんですかね」

喜市は武藤に聞く。

“さて・・”武藤も首を傾げ、ぽつり。

「入ルを謀り、出すを控える、かな」

「つまり、ケチになるってことか」

喜市にからかわれて、宗助はうなだれた。

「わたしにはそんなことしか・・いや、いやいや、先生、相場ってのは博打ですか」

「米相場か」

「そうです。小金からでも始められると聞きました。うちは米問屋です。地方での取れ高の情報や飢饉の噂なんかも、他所よりは早く聞こえてきますし、旦那様は幕閣のお偉い方々ともお付き合いがあって、その筋の意向も・・」

「博打だろうな、やはり」

武藤の言葉に、宗助はあからさまに肩を落とした。

「やはり、一攫千金は望めませんか」

「黙ってりゃいいんじゃねえの?」

「お圭に嘘つけっていうのか」

「強がってみせたけど、辛いと思うぜ、たくさんのお・・」

「言わないで、言わないで、酷いよ喜市っちゃん」

「うん、そうだな」

「一日も早く身請けしてやりたいと思ったんだ。そのために金を貯めようと」

「うん、まあおいらも乗りかかった舟で、助けてやるけど、そもそも身請け料っていくらなんだ」

若い二人はそろって武藤を振り返る。

「い、いやわしも分からぬが、売れっ子ならば高いとか、そうでもない子は安いとか、あるのではないかな」

あいつは・・と喜市。

「牛蒡だから安いか」

「色が褪めたら・・」

宗助が受けた。

「太市兄ちゃんに文を出すよ。詳しくはわからなくても、品川の相場ってのがあんだろ」

「相場・・ちくしょう、どこかに大金、落ちてないかなぁ」

「うむ、なあ宗助、大金ではないが、お前の才を生かして地道に稼ぐ道がないではない」

「先生、それは・・」

帰る道々武藤が話したのは、近頃、あちこちの神社に算額という絵馬が掲げられているという話だった。

元禄からこっち、江戸には様々な文化が花開いた。文学、絵画、俳句や詩歌、そして科学に算学。雪の結晶を研究するお殿様がいたり、時計やからくりを考案する時計師が生まれたりした。そして、その基となる算学に興味を持つ御仁も増えているのだという。

そんな人たちが問題を作り、『解けるかな』と公開しているのが算額という絵馬なのである。御府内ばかりでなく、かえって地方の神社や仏閣にも多く見られ、同好の士を求める意味合いもあるのではないかと、武藤は言った。

「江戸の金持ちの中にも酔狂な御仁がいるらしくてな、集まっては問題を囲み、ああでもない、こうでもないと頭を捻っておるそうなのだ」

会の名を『算学志』というらしい。もちろん三国志をもじったのだろう。

で、地方から取り寄せた物を含め『算額』の問題を誰が一番早く解けるかを競う。

「わしの処へ話を持ってきたのは同じ長屋の駕籠かきでな、馴染み客のご隠居が、一緒に考えてくれる人はおらんかと・・」

「ははあ、算学は好きだけど、解くのは苦手ってえ御仁かな」

「そうらしい。一緒に考えてくれたら、相応の礼はすると」

「相応の・・」

「礼・・」

「金持ちの道楽だ、五十文や百文ではないと思うぞ」

「先生は引き受けなかったんですか」

「算額に描かれている問題は丸やら三角やら図形の問題が多くてな、わしは苦手なんだ」

「宗助はどうなんだ」

「一つか二つ、やってみたことはあります。面白いとは思いましたが、得意かと言われると自信がありません」

「一つか二つはできたんだろう」

「簡単な問題でしたから」

「まぁ待て待て。わしが一旦は断った話だ。その後、適任の者が見つかったかもしれんし駕籠かきの安さんに詳しく聞かねばな」

「それに、お店勤めの合間にできることなのかどうか。お店は・・やめるつもりはねえんだろ?」

「当たり前だ、お礼奉公がまだすんでない」

「それに先生、近江屋の宗助ってぇ名前を出すのも、考えもんだぜ。品川の兄ちゃんの耳に入るほど噂ンなってる名前だ。難癖付けるやつが出てこねえとも限らねえ。用心しねえとな」

「ふむ、喜市の言う通りだな。わかった、この話、わしに任せてくれるか」

そこで、二人は顔を見合わせて、武藤に頭をさげた。

「よろしくお願いします」


日本橋には何とか日のあるうちに辿り着いた。

品川に続く道を名残惜しげに振り返る宗助の背中を、喜市はどしんと叩いて囁いた。

「守銭奴になるんだろ。守銭奴に・・」

肯いた宗助は、拳を握った。

「迎えに行くからね、お圭。待ってて」

喜市は暮れなずんでいく川面と空をみやって、大きくため息をついた。

武藤が神田明神の境内に姿を見せたのは、品川へ行った日から四日ほどが経った雨の日だった。露店も見世物も出ていない境内は物寂しい。

喜市は灯篭の見える手水舎の屋根の下で、ぼんやり柱にもたれていた。

そこへ、着流しの裾をからげ、高下駄に番傘をさした武藤がやってきたのである。

武藤は喜市の隣に並ぶと、傘を畳んだ。

「さびしいな、喜市」

「ええ、でも雨の日はいつもこんなで・・」

「うん、そうか、そうだな」

しばらく二人は雨の音を聞いていた。

「先生、昼飯は?」

ようやくぽつり喜市が聞く。

「実をいうとまだだ」

くすっとわらって喜市が柱の陰から番傘を取りだす。

「あの日、お圭に約束したんですよ、宗助が泣かなかったら、鰻でも寿司でも好きなもん奢ってやるって。宗助のやつ、泣く前にぶっ倒れちまった。お圭の勝ちだけど、代わりに先生、好きなもん奢りますよ」

「そうか、うん。そうだな、蕎麦で一杯いくかな」

喜市は傘を広げて、顔を隠した。

武藤も同じように傘を広げ、二人して鳥居の方へ歩き出した。


「守銭奴の、例の話ですか」

蕎麦が来る前に酒が来たので、とりあえず注ぎ合う。無理がきく店なのか、喜市が顎で奥をさすと、小座敷に通された。

「うむ、隠居というだけで詳しくは聞いていなかったのだが、神田相生町の薬種問屋・高麗屋の隠居でな、長者町の妾宅に・・妾は死んだのか追い出したのかは知らぬが、今は一人で住んでいる」

「高麗屋の久左衛門旦那ですね。お妾さんは確か、五・六年前に亡くなってるはずです」

「おお。さすがに詳しいな」

「いえ、まあ近所っちゃあ近所ですから」

「ふむ、それで話をしてみた。わしが手跡指南所をしておって、元手習い子の中に算学に興味を持つ者がおる。ただし、かの者はお店勤め故、きままに出歩くわけにはいかぬが、どうじゃ、とな。」

「返事は?」

「構わぬとよ。爺さん、よほどに助っ人が欲しかったとみえて、こちらの条件は全て呑むといった塩梅でな、一度でよいから算学志の面々の鼻をあかすことができたら死んでもよいのだと・・」

「それはまた・・」

「で、奴の名は大海屋に奉公しておる宗太郎ということにした。年は二十歳で四番番頭」

「ばれてますよ、きっと」

「え?まさか・・」

「ばれてるけど、それで押し通すことになるんでしょうね」

「そうか、ばれてるか」

「で、相応の礼というやつは?」

「うむ、一問につき一朱、ただし誰よりも早く問題を解いたら一両」

「一両、そいつぁすげえ」

二人はもう一度酒を注ぎ合って、盃をあげた。

「守銭奴に」

「守銭奴に・・」

それから蕎麦を食ったが、武藤は食いながらしきりに首を傾げていた。

「ううむ、ばれてるか・・」

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