優愛ルート 10

 心地の良い緩やかなBGMの流れる礼拝堂、その中に規則的に並べられた長椅子。

 列席者たちがそれぞれの指定された長椅子に座り、式が始まるまでの間、懐かしむように過去の思い出を口にしている。

 そのどれもが、オタク君や優愛の話題ばかり。


「あのこうちゃんが、本当に結婚するとはねぇ……」


「そうか? 浩一は興味を持ったら夢中になる子だから、恋人が出来たらすぐに結婚できると思ってたぞ」


「それはそうですけど……なんでもかんでも興味を持つから、好きな子がいっぱい出来たと言い出さないか不安だったわ」


「はっはっは、それは大丈夫さ。なんせ俺の子だからな」


「あなたの子だから、結婚できるか心配だったんですけどね」


 笑顔で軽口を言い合うオタク君の両親。

 妻にそんな風に軽口を言わせておかないと、泣き出してしまいそうなのをオタク君の父は知っているから。

 それから過去のオタク君の失敗を口にしては笑い合うオタク君の両親だが、式が始まるまで間が空き過ぎたのだろう。


「ごめんなさい。せめて、式が始まってからと思っていたのに……」


「良いんだよ。おめでたい日なんだから……」

 

 限界を迎えたオタク君の母が、ぽろぽろと大粒の涙を流し、ハンカチで拭う。

 そんな妻の背中に手をやり、オタク君の父は優しい言葉をかけ続けていた。


「列席者の皆様方、ご起立お願いします」

 

 BGMが止まり、シンと静まり返った礼拝堂。

 奥にある祭壇で、司式者である神父が礼拝堂全体に響き渡る声で列席者たちに呼びかける。


 全員がその言葉を聞き、即座に会話を中断し立ち上がる。

 閉じられた礼拝堂の扉へ視線が注がれる。

 ギィと、まるで映画やドラマなどで聞くような音を立てながら開かれる扉。


 たまたまなのだろうか。それともあえてそういう風に見えるように作られたのだろうか。

 扉の向こうに誰かがいるのは分かるが、逆光のせいで、それが誰だか判明が付かない。

 光の中からゆっくりと、クリーム色のモーニングコートを着たオタク君が、コツコツと革靴の音を響かせながら出てくる。


 視線は真っ直ぐを見据えたまま、周りを一切気にせずただ前だけを見て。

 厳粛な空気が漂う礼拝堂。そこにあるのはオタク君の革靴の音と、すすり泣くオタク君の母親の嗚咽だけ。

 誰もが呼吸の音にすら気を付け、ジッとオタク君を見つめる。


 緊張の面持ちで列席者の横を通り過ぎていくオタク君。

 かつてのクラスメイト達は、歳を取りはしたが、それでも自分たちが大人になったという自覚はあまりなかった。

 実際、さっきみたいに旧友にあえば、当時と変わらないようなバカをし始める。

 だからただただ、なんとなく歳を取っただけ。その程度の認識だった。


 だが、目の前を通り過ぎるオタク君の横顔を見て思う。あぁ、これが大人になったって事なんだなと。

 オタク君だけじゃなく、オタク君越しに見える他の人達の顔も、さっきまでは昔と変わらないガキのままに思えてたはずがどうだろうか。

 誰もが今は立派な大人の顔をしている。


 そう思うと、誰もが自分たちは大人になり、友人であるオタク君と優愛は本当に結婚するんだなと、今更に思い知る。

 だからだろうか、オタク君が通った後の参列者は、誰もが「自分は今恥ずかしい格好をしていないか」と、少しだけ不安になり背筋が伸びていく。

 

 祭壇に到着し、列席者に向き、一礼をするオタク君。

 そこで一度拍手が起こる。


「それでは新婦のご登場です」


 礼拝堂に響く、今も昔も変わらない、聞きなれた結婚式のBGM。

 オタク君から、扉の方へと注目を移す列席者。

 逆光の中から、ゆっくりと、一歩一歩確かめるように、牛歩のような速度で純白のウェディングドレス姿で優愛が現れる。

 その手を、優愛の父が取りながら。


 その優愛の姿を見て、誰もが驚く。

 優雅なウェディングドレス姿にではなく、既にボロボロになるほどに泣いてしまっている優愛の状態に。

 新婦の優愛がボロボロに泣いてしまっているせいで、本当はオタク君を真っ直ぐに見据えていく予定だった優愛の父が、やや困惑しながら時折娘の状態を気にしながら歩いている。


 誰もが思っていたのは「どうせ優愛の事だから、ハイテンションで馬鹿笑いして空気をぶち壊すだろう」だった。

 なんなら、隣を通る際に「どうよこれ。ヤバくない!?」なんて話しかけてくるかもしれないとまで思われていた。

 目の前で大粒の涙を流し、ボロボロ泣きながら、歩く優愛を見て、お前そんなキャラだったのかとあっけにとられる列席者。


 そんな優愛の様子を、少しだけ困ったような笑顔でオタク君は暖かく見守る。

 周りが驚く中、オタク君だけはこうなるだろうと思っていたので、なにも驚かない。

 優愛は楽しいと笑い、腹が立つと怒り、弄り過ぎると拗ねる。喜怒哀楽が激しい人間だ。

 だからきっと、式では泣いてしまうだろう、と。


 苦笑を浮かべ合うオタク君と優愛の父。


「えっと、浩一君。後お願いしても良いかな?」


 オタク君の元まで来た優愛と優愛の父。

 優愛の手を、受け取るオタク君に申し訳なさそうに優愛の父が軽く頭を下げて言う。


「任せてください」


 優愛の父に笑顔で頷き、そっと優愛を抱きしめるオタク君。

 堰を切ったように、声を上げ泣きじゃくる優愛。


「あっ、すみません。進行してください」


 神父に、軽く頭を下げるオタク君。

 多分、似たような場面には何度も遭遇した事があるのだろう。

 神父は柔らかい笑みを浮かべ、式を進行させていく。


 讃美歌の斉唱、聖書の朗読。

 そして。


「新郎浩一、あなたはここにいる優愛を

――病める時も、健やかなる時も

――その気持ちが変わる事なく、愛し続ける事を誓いますか?」


「誓います」


「新婦優愛、あなたはここにいる浩一を

――病める時も、健やかなる時も

――その気持ちが変わる事なく、愛し続ける事を誓いますか?」 


「誓います」


 いまだ嗚咽を繰り返す優愛の言葉は聞き取りづらいが、それでもオタク君への愛を伝えようとする想いは、皆に届いていた。

 

「それでは指輪の交換を」


 祭壇の上に置かれた小箱。

 小箱が開かれると、中から一組の指輪が現れる。

 オタク君はゆっくりと、右手で指輪を取ると、左手で優愛の手を取り、優愛の薬指に、指輪をはめた。

 永遠の愛の誓いを込めて。

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