優愛ルート 9
雲一つない六月の青空。
教会の中庭にある青々と生い茂る芝の上に、男性はスーツ姿で、女性はドレス姿で誰もが笑顔で教会の前に集まっていた。
それぞれが見知った顔を見かけるたびに、「久しぶり」と声をかけあっている。
「浅井、お前太ったんじゃね?」
「池安こそ、ってか樽井は逆に痩せてないか?」
「仕事が忙しくてな……」
すっかりおじさん体系になってしまった浅井と池安が、お互いに体系の事で笑い合う。
数年ぶりの再会だというのに、まるで夏休みにあまり会わなかった程度の軽いノリで昔のように笑い合う三人。
「よっしゃ、樽井を持ち上げて騎馬戦しようぜ!」
「ちょっ、お前らやめろ!!」
良い歳して、学生のようなバカなノリはやめろという樽井だが、そう言われれば言われるほど浅井も池安も喜んでやりたがるのは今も変わらず。
そして二人がノリノリでやり始めると、結局一緒になって盛り上がる樽井。学生時代の頃から全く変わらずである。
オタク君たちが高校を卒業してから数年。
同じ大学に進み、今も交友関係がある者もいれば、高校卒業を境にめっきり会わなくなったものもいる。
そんな友人たちが一同に集う機会なので、誰もが気合を入れた格好をしている。
「青塚、あとで小田倉に挨拶しに行こうぜ」
浅井たちがバカをしているのを、呆れたような乾いた笑いを浮かべ、秋葉が青塚に声をかける。
「あとでじゃなくて、今でも良くないか?」
「いや、今は姫野さんたちが話しかけてるみたいだし」
そう言って、秋葉が指さす先には、高校時代と全く見た目が変わっていないドレス姿のリコと、地雷系メイクは健在だが、今日という日を意識してか、ピンク髪は漆黒のような黒髪に、ドリルのようなツインテールではなく、後ろで髪をまとめたシニヨンの髪型の委員長。
そして、本日の主役であるオタク君がいた。
「おっす、小田倉。優愛は?」
「姫野さんお久しぶりですね。優愛さんは式が始まってから出てくる予定なので」
なので式が始まって、時間が出来るまで待ってくださいねというオタク君。
他の男性参加者のようなスーツではなく、オタク君はタキシード、正しくはモーニングコートを着用し、ビシっと決めている。
決まっているのは何も服装だけではない。高校時代はどこか自信なさ気にしていたオタク君だが、今は胸を張り背筋を伸ばし、会話にもどこか余裕を感じられる表情をしている。
そんなオタク君の反応を見て、見た目はそんなに変わっていないのに、昔とは全然違う空気を感じ、懐かしさの中に少しだけ切なさを感じるリコ。
「そっか、優愛ちゃんは新婦さんだから色々準備があるからね」
そう口にして、委員長も少しだけ陰りそうな心と顔を、精一杯の笑顔で誤魔化す。
既に終わった恋。もう何年も前にそう自分に言い聞かせ、心に整理をつけたとして、こうして会えば、かつての淡い恋心が思い出してしまうのは仕方がない。
そんなしんみりした空気を、オタク君もなんとなく感じ取り何と口にするべきか少しだけ迷った時だった。
Ohと、ネイティブな発音がオタク君の横から聞こえてきた。
「Mr.小田倉。キミは本当に立派な大人になりましたね」
アロハシャツがトレードマークだが、本日は黒のスーツを身にまとったアロハティーチャー。
まだ式も始まっていなければ、学生時代の話をして思い出に浸ったわけでもない。だというのに、アロハティーチャーは既に号泣である。
「こうやって、かつての生徒に結婚式に呼んで貰えるなんて、私は本当に、本当に幸せ者です」
これではまるで、オタク君がアロハティーチャーと結婚するみたいである。
号泣しながら、両手でオタク君の手を持ち、おいおいと声を上げながら涙を拭う事なく「素晴らしい生徒に恵まれました」と嬉しそうに話すアロハティーチャー。
彼の顔のしわがオタク君の記憶よりも多く見えるのは、経った年月のせいか、それとも号泣しているせいか。
「アロハティーチャー、もう泣いてんじゃん」
「卒業式の時も、朝のHRの時から泣いてたよね」
そんなアロハティーチャーを弄るように、かつての生徒たちが続々とオタク君の周りに集まってくる。
アロハティーチャーを弄るのにかこつけて、オタク君に話しかけるために。
ワイワイと集まり、アロハティーチャーを弄りつつも、それぞれがオタク君に挨拶を交わしていく。
挨拶の仕方は人それぞれだが、内容は誰もが同じ――
「結婚おめでとう」
である。
そう、本日はかつてのクラスメイトや恩師を招いての、オタク君と優愛の結婚式である。
他にもオタク君や優愛の親族、仕事場の先輩や上司、大学時代の知り合いもいたりするが、一番多いのは高校時代の友人たちである。
他の参加者もその辺りの事情を汲んでか、あえて今はオタク君に話しかけずにいる。
「そう言えば、アイツら遅いな」
かつてのクラスメイトや恩師を見渡しながら、オタク君がぼそりと呟く。
式まではまだ時間がある。だがクラスメイトや恩師はもう来ているのに、学生時代特に仲が良かった親友二人がまだ来ていない事に、少しだけ寂しさを感じるオタク君。
高校卒業後も、コミフェなどのイベントで度々顔を合わせたり連絡は取っていたが、それも時が経つにつれ頻度が減っていく。
昔は仲良かっただけの、過去の関係になってきている事は感じていた。
結婚式だから来てくれるなんて甘い考えをせず、もっとちゃんと友人として連絡を入れておくべきだったと後悔を感じるオタク君。
「小田倉殿?」
「えっ……?」
懐かしい呼び方に、思わず振り返るオタク君。
だがそこに、かつての親友の姿はない。
「いやいや、小田倉殿。そろそろ気づけでござる」
「ま、まさか……」
オタク君が驚きの声を上げる。
そこにいたのは、細身の青年である。
確かに声はオタク君の親友、チョバムの声であるが、見た目が記憶の中のチョバムと全く違う。
「もしかして、チョバム?」
「もしかしなくてもチョバムでござるよ。さっきからずっと近くにいたのに、小田倉殿マジで気づかないでござるから、こっちがびっくりしたでござるよ」
「いやいやいや」
気づくわけないだろと周りに同意を求めるオタク君。
もちろん周りも激やせしたチョバムに、誰一人気づいておらず、目を丸くして「マジで!?」と驚きの声を上げている。
なんで気づかなかったと言っておきながら、周りの気づかなかった反応に、イタズラが成功した少年のような笑みを浮かべるチョバム。
主役のオタク君や、号泣しているアロハティーチャーよりも周りの話題をかっさらえたことが、満更でもないようだ。
「そうだ。チョバム、エンジンからは何も聞いていない?」
「それならもうすぐ来るころ、と言ってたら来たでござるな」
ほらとチョバムが指さす先には、慌てて走ってくるエンジンの姿が。
オタク君の元まで走ってきたエンジンが、肩で息をしながら、オタク君の肩に手を置き、息を整える。
「遅くなって済まない。それと、もう一つ話さないといけない事があるんだ……」
チョバムと違い、昔の口調じゃないエンジンが本当に申し訳なさそうな顔を見せる。
「実は詩音さん。今日の結婚式に来れなくて……」
「えっ……なんで……」
エンジンの発言に場が凍り付いたというのに、エンジンはどこか照れくさそうな表情をしている。
場の空気を読まないようなエンジンの表情で、なんとなくだが予想がついたオタク君。
だが言わない。あえて言わない。エンジンの口から言わせるために。言わせてあげるために。
「詩音さん本当は今日の式には行きたがったんだけど、でも安静にしないといけないから。遅れた理由も詩音さんをさっきまで説得してて」
欲しい言葉はそんな前置きじゃない。
そう思いつつも、全員が息をのみ、エンジンが一言いうたびに頷く。
「なんで安静にしないといけないの?」
このまま長々と前置きをされたら、誰かがしびれを切らすかもしれない。
なので、聞きたい言葉を出させるために、理由を聞くオタク君。
「その、詩音さんと俺の子供が、もうすぐ生まれるから……」
一拍の間を置き、ワッと歓声が上がる。
主役のオタク君よりも、激やせしたチョバムよりも話題をかっさらうエンジン。
だが、誰もそれを咎めない。おめでたい日に、更におめでたい出来事が重なったのだ。咎める理由などない。
「エンジン殿、それなら詩音殿の近くにいるべきでござらぬか!?」
「俺もそう言ったんだけど、代わりに行って来てとせがまれてさ」
軽い感じで説明するエンジンだが、本当はどうしても行きたくて詩音が涙を呑み、ギリギリまで口論になっていた事はあえて言わない。
せっかくの祝いの席。それでオタク君が「招待状を送るタイミングが悪かった」などと自責の念に駆られないように。
「エンジン殿、それなら詩音殿のスマホで画面共有して、会場の様子を映して見せてあげるのとかどうでござる?」
「あっ、それ良いね」
「小田倉……小田倉氏がそれで良いなら、某もそうさせてもらうですぞ! チョバム氏もたまには良い事言いま……誰だお前ですぞ!?」
「エンジン殿気づくの遅すぎでござるよ」
チョバムに倣い、昔の言葉遣いをしてみせるエンジン。
昔の空気を出そうとしてくれている二人の態度から、懐かしさとちょっとだけ涙が出そうな嬉しさを感じるオタク君。
この後エンジンが「お金がなくて結婚式が挙げられなかったので、せめて子供が生まれたら見て欲しい」とアロハティーチャーに言って、ただでさえ号泣しているアロハティーチャーの情緒を抉ったのは言うまでもない。
「お兄ちゃん、式の準備するから来て」
教会から、ドレス姿で出てきたオタク君の妹希真理。
式までまだまだ時間があるのにもう?
そう思ってオタク君が時計を確認すると、思った以上に時間が経っていたらしく、準備をする時間を少し過ぎたところだった。
ごめん、ちょっと行って来ると周りに声をかけ、教会へ走っていくオタク君。
そんなオタク君の後姿を、参加者全員が笑顔で見送る。
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