優愛ルート 3
オタク君と優愛が付き合い始め、既に三ヶ月が経とうかという時期であった。
付き合い始めたころは、オタク君も優愛も、そして周りもどう接すれば良いか分からず、ギクシャクしていた。
だが、三ヶ月もあれば適切な距離を覚え、自然な関係に戻り始める。
恋も友情も全てが順調、かに思えた。
「うーん……」
自室で優愛が、ベッドの上で腕を組み首を傾げてはうんうんと唸っていた。
晴れてオタク君と恋人同士になり、リコ達との関係も良好。
だというのに、彼女は悩んでいた。
「私って、オタク君の彼女になれてるのかな?」
今優愛の頭を悩ませているのは、彼氏であるオタク君の事である。
オタク君と付き合うようになってから、しばらく経った。
初めの頃は浮かれていた優愛だが、時間が経つにつれ段々とこう思うようになってきたのだ。
私って、本当にオタク君の彼女なのかな、と。
別にオタク君が甲斐性なしなわけではない。
彼は自己評価が低いだけで、ちゃんと恋人同士になった今、元から気の利く性格だったオタク君は優愛の些細な変化や感情に気づき、事あるごとにフォローが出来る、見事な彼氏に進化していた。
優愛も優愛で、恋愛クソザコナメクジの汚名返上とばかりに、オタク君に甘えたりと、見事な彼女に進化している。
だがしかし、だがしかし、それでも優愛は思ってしまう。
「私、オタク君と付き合う前と、あまり変わってない気がする」
そう、彼女になり甘えたスキンシップをしてみるが、よくよく考えてみるとオタク君と付き合う前からスキンシップは激しめだったのだ。
オタク君の腕に自分の腕を絡ませたり、抱き着いたりなんて前々からやっていた事。
なんなら、キスだって付き合う前からしていたりする。
そもそも、付き合った後にやるような事を、付き合うという前提をすっ飛ばしてやっていたのだから、付き合ってから特別な事をしようがないのだ。
もちろん、恋人同士でする特別な事がもうないわけではない。
そんな特別な事を思い浮かべ、優愛が耳から「ピュー」と湯気が出そうな程に顔を真っ赤にする。
「待って待って、まだ付き合って三ヶ月だし。まだ早いよね? ほら、オタク君ってアニメの女の子でもピュアな子とか好きっぽいし、焦ってグイグイ行ったら逆に嫌われたりしそうだし、そもそもほら、オタク君とはちゃんとした場所でちゃんと雰囲気だしてから……」
誰に聞かせるわけでもない言い訳を延々と口にしながら、足をバタつかせたり、近くにあったクッションをバシバシと殴り続ける優愛。恋愛クソザコナメクジ絶賛挽回中である。
キャーキャー騒ぎながら、ベッドの上でドタバタと暴れ「静かにしなさい」と親に怒られ、やっと静まる優愛だが、それでも胸のつっかえは取れない。
少しでも気分を変えようと、TVを点けた時だった。
「……これだ!」
翌朝。
優愛が教室のドアを開けると、クラスメイト達がそれぞれ仲の良いグループでおしゃべりに夢中になっている。
そんなグループの一つに、オタク君はいた。
オタク君、リコ、委員長、チョバム、エンジン、そして村田姉妹。
三年生に進級した第2文芸部は、全員が同じクラスになった事もあり、こうして朝は第2文芸部のメンバーに村田姉妹を入れた面子で会話している事が多い。
いつものメンバーでいつも通りの会話、になるはずだった。
「あっ、優愛さんおはようございます」
教室のドアを開けた優愛に気づき、早速挨拶をするオタク君。
オタク君に挨拶をされ、少しだけ照れくさそうに、頬を掻きながら目線を逸らし、優愛が挨拶を返した。
「こ、浩一君。おはよう」
その瞬間、クラスの時間が止まった。
クラスメイトの視線が優愛に集まる。
「な、何か変だったかな? 浩一君」
わざとらしくオタク君を名前呼びする優愛。
何故急に名前呼びをし始めたのか?
それは前日の夜の事である。
優愛がTVを点けると、その時やっていた番組で「こいつら恋人になったなと思う瞬間」というランキングが発表されていた。
その中に「お互い下の名前で呼び合いだした時」が上位にあったのだ。
考えてみれば、オタク君のことを付き合いだしてからもオタク君呼びのまま。
友達だった頃からのあだ名のままでは、どこか恋人同士っぽくない。そう思いオタク君を名前呼びしようと決めたのだ。
「へ、変じゃないと思いますよ。優愛さん」
「だ、だよね。変じゃないよね。浩一君」
わざとらしい会話でわざとらしく名前を呼びあうオタク君と優愛。バカップルである。
そんなバカップルを朝から見せられ「こいつらなんなん?」と言いたげなクラスメイト一同。
オタク君と優愛が付き合う事に関しては、誰もが祝福している。リコも委員長も気持ちを切り替え、今ではオタク君と優愛の仲を歓迎している。
とはいえ、とはいえだ。こうもあからさまなバカップルを見せつけられれば、流石に癪である。
「それより、修学旅行の班決めするでござるよ。浩一殿」
「某とチョバム、それに浩一氏を入れて三人ですな」
「なんで二人まで名前呼びし始めてるの?」
「どうせ浩一は優愛と一緒の班じゃないと嫌なんだろ?」
「優愛ちゃん、リコちゃんと私も浩一君の班に入れてもらったら、村田さんたちがあぶれちゃうね」
「あー、うちらは浩一君と一緒の班じゃなくても良いよ」
「ねぇ、だからなんで皆急に名前呼びし始めてるの!?」
「ちょ、ちょっと。浩一君は私の彼氏なんだけど?」
「別に名前で呼んでるだけで、取るわけじゃないんだし良いだろ?」
気が付けばクラスメイト達からも浩一君呼ばわりされるオタク君。
浩一君弄りである。
名前を呼び合うたびに、照れくさそうにするオタク君と優愛を見て、クラスメイト達の弄りは加速していく。
「ってか、優愛なんで急に浩一を名前呼びにし始めたんだ?」
「そ、そっちのが恋人っぽいかなと思って」
優愛の発言に、「ヒューヒュー」と騒ぎ始めるクラスメイトたち。
指笛を吹いたり、オタク君と優愛の会話を真似て「うふふ浩一君」「どうしたんだいマイハニー優愛さん」などと言って茶化したりと、騒ぎは大きくなっていく。
オタク君や優愛が恥ずかしがって反論の声を上げれば上げるほど、それをからかうようにクラスメイト達の悪ふざけは加速していく。
もはや収拾がつかなくなったと思われた時だった。
「ところで小田倉殿、優愛殿に名前呼びされて、今の気分はどうなんでござるか?」
このこのと言いながら、オタク君を肘でつつくチョバム。
チョバムの反対側に周り、同じようにオタク君を肘でつつくエンジン。
「今までオタク君呼びだったから、名前で呼ばれるのはまだちょっと恥ずかしいかな」
そう言って照れくさそうに頬を掻くオタク君。
途端にクラスメイトが水を打ったように静まり返る。
(オタク君呼びのが遥かに恥ずかしいだろ!?)
オタク君と優愛を除く、クラスメイト全員の心が一つになった瞬間である。
どう反応して良いのか分からず、黙りこんでしまったクラスメイトを見て、「もしかして僕、何かやっちゃいました?」顔のオタク君。
先ほどまでと打って変わって静まり返った教室で、微妙な空気が流れる。
「ハァイ、皆さんもう予鈴はなってますよ~」
静まり返った教室のドアを、陽気な男性がガラガラと開けて入ってくる。
このクラスの担任の、アロハティーチャーである。
騒いでいたせいで、予鈴が鳴った事にも気づかなかったオタク君たち。
「今日はフェスティバルのように騒いでましたね。何かあったんですか?」
そんなオタク君たちを叱るでもなく、何があったか尋ねるアロハティーチャー。
微妙な空気だった教室が、アロハティーチャーの陽気に釣られたかのようにパッと明るくなっていく。
「聞いてくれよアロハティーチャー。小田倉、じゃなかった浩一が鳴海さんと下の名前呼び始めたんですよ」
まるで友達に話しかけるように、クラスの男子が何があったか簡潔に伝える。
オタク君と優愛が付き合い始めて三ヶ月でやっとお互いを名前呼びし始めた。その話を聞きアロハティーチャーは自分の中でこみ上げる物を必死に抑える。
(付き合って三ヶ月でやっと名前呼びって、純情デスカー!!!)
残念だが、オタク君と優愛は既に手も繋いで抱き合って何ならキスも済ましている。
だが、そんな事を知らないアロハティーチャーには、付き合いだして三ヶ月でやっと名前呼びをし始めた初々しいカップルにしか見えない。
もしアロハティーチャーが彼らと同じヤンチャ盛りの高校生だったら「お前ら手を握れよー」とか「もうキスしちゃったの?(笑)」とやじっていただろう。
しかし、そこは教師と生徒。大人として、教員として分別は付けなくてはならない。
「うふふっ。二人とも、節度を心がけてお付き合いするのですよ。はい、それでは皆さん席についてください」
オタク君と優愛のピュアピュアな関係に、年甲斐もなく胸をときめかせるアロハティーチャー。
今日は妻と初めてデートをしたお店で、一緒に注文したケーキをお土産に持って帰ろうかな。そんな事を考えながら出席を取るのだった。
ちなみに、この日。想いをぶつけるために、彼が最近始めた英会話系Vtuberで「恋人に手を繋いで欲しい時に使う英会話」「キスして欲しい時に使う英会話」をじっくり解説した結果、「まるで初恋を知ったばかりの乙女のようだ」「間の開け方や息遣いが可愛すぎて尊い」と話題になり、彼のチャンネル登録数と動画再生数がうなぎ上りになるが、それはまた別の話である。
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