第164話(リコルート)「リコさん。綺麗ですよ」
「イラストの練習をしましょう!」
朝早くからオタク君の家に着き、オタク君の部屋まで案内されたリコ。
開口一番にイラストの練習をしようと言うオタク君に対し、思った言葉だ「だと思った」である。
伊達に一年以上付き合っていない。
「昨日の体験授業を受けたら、居ても立ってもいられなくて!」
「まぁ良いけどさ。ってか、それならアタシ必要か?」
「自慢じゃないですけど、僕一人でやってたらすぐ他事を始めてサボっちゃいますよ!」
「本当に自慢にならないな」
全く自慢にならない事を、オタク君はどうだと言わんばかりに胸を張る。
そんな態度を取られれば、リコが呆れ顔になるのも当然だろう。
とはいえ、昨日の体験授業でオタク君が刺激を受けたという気持ちは分からなくもないリコ。
授業の時間の殆どはお題を描くだけで終わったが、それ以外の時間で講師が語る話はかなり参考になった。
長年講師をして来ただけあって、専門学校を選ぼうとする生徒がどのような悩みを抱えているかをズバリ指摘し、どうすれば良いかをキチンと言語化している。
そこまでされて、モチベーションが上がらないわけがない。
上がらないわけがないはずなのだが、リコはオタク君と違って消極的である。
(今更頑張っても、追いつけるわけないし)
プロを目指す同年代のライバルとの実力差を目の当たりにしたために。
オタク君が部屋にあるテーブルの前に腰を掛けると、やれやれといった表情のまま、対面にリコが座る。
(まぁ、小田倉がどうしてもって言うんだから、普段は付き合ってもらってるんだし、付き合ってやっても良いか)
仕方ないと軽く息を吐き、紙とペンを準備し絵を描き始めるリコ。
カリカリとイラストを描き始めると、先ほどまでの消極的な様子からは考えられないスピードで、筆が進んでいく。
なんだかんだで、刺激を受けたのはオタク君だけじゃないという事だろう。
時折イラストを見せ合ったり、オタク君の妹の希真理が乱入したりしながら時間は過ぎて行く。
「さてと、希真理も出かけたみたいだし」
昼食をオタク君、リコ、希真理の三人で摂った後、友達と遊ぶ約束をしていると言って家を出た希真理。
オタク君の両親も出かけており、家にいるのはオタク君とリコの二人だけ。
オタク君の部屋に戻るやいなや、意味深な言い方をするオタク君だが、リコは特に気にしていない。
この程度で手を出してくるオタク君なら、とっくの昔に事は起きている。
どうせいつもの意味深な発言で期待させておいて「それじゃあ、イラストの練習しましょうか」とくるだけだ。
なので、軽くため息を吐いてオタク君の次の言葉を待つリコ。
「リコさん、この服に着替えてもらって良いですか?」
「はぁ!?」
そんなリコの考えを遥か斜め上に行くオタク君の発言に、思わずリコの口から「はぁ!?」が漏れる。
ウキウキでオタク君がクローゼットから取り出したのは、ヒラヒラのロリータ服。
「なんでそんなの持ってるんだ?」
他にも色々と言いたい事が山ほどあるが、情報量が多すぎて頭の整理が追い付かず、こめかみを抑えながらリコの口からやっと出た言葉はそれである。
「妹の希真理のです。買ったは良いけど似合わないからって、一度も着ないでずっとタンスにしまいっぱなしだったので」
「えっ、いや……」
「あっ、大丈夫ですよ。希真理にもちゃんと許可貰って借りてるので」
そういう問題じゃない。
いや、妹から服を借りるのも、それを許可するのもそれはそれで問題だが、今の問題はそこではない。
だが、その問題を上手く言語化できず、リコはただただ「お前は何を言っているんだ?」という顔でオタク君を見る事しか出来なかった。
「どうしてもです!」
普段のリコの「小田倉がどうしてもって言うなら」を先回りするオタク君。
しばしの沈黙、そしてリコが軽くため息を吐く。
「分かった。じゃあ着替えるから」
「はい、では着替え終わったら教えてください」
出てけと言われるまでもなく部屋を出るオタク君。
ブツブツと小声で悪態をつきながら、リコは素直に着替える。
「ほら、これで良いのか」
「いえ、まだです。化粧もしますので」
当然のように言ってのけるオタク君。
もちろんリコはその反応は予想していた。
オタク君が下手な女子高生よりも品ぞろえ豊富な化粧道具を取り出し、リコに化粧を施していく。
最期に金髪ロングのウィッグで髪型を整え、満足気に鏡を取り出しリコにその姿を見せる。
「リコさん、ロングも似合ってますよ」
「そ、そうか」
「はい。凄く可愛いです」
普段とちょっと違う化粧で、ロリータファッションに身を包むリコ。
小さな鏡だけではわかりづらいだろうと、オタク君は全身鏡を持ち出す。
「あっ、そうだ。あれも忘れてた」
ポンと手を叩くと、ドタドタ音を立てながら階段を下りるオタク君。
オタク君は別に何かを忘れたわけではない。ただ、自分がいたらリコは恥ずかしがって思うように自分を見ないだろう。
そう思い適当に理由をつけて下りて行ったのだ。下りたのが分かるようにわざと音を立てながら。
オタク君の考えは見事に的中していた。オタク君が下りて行ったのを確認し、リコはチラチラと鏡の自分を見ながら少しだけポーズを変えたりしていた。
特にロングのウィッグが気になり、ズレないように注意しつつ触ったりポーズを決めたりしている。
そして数分後。もうリコが満足しただろうと思い、オタク君は部屋に戻っていく。
「リコさん、次はこっちに着替えて貰っても良いですか?」
「はいはい。好きに着せ替え人形にしてくれ」
どうせ「どうしても」と言うのだから、無駄だろう。そう思いため息を吐くリコ。
それなら断れば良いだけの話だと思うが。
「なぁ、これも妹のなのか?」
着替えを終えたリコ。
少し大人っぽい感じのするタイトなワンピース。まだ中学生の希真理が選ぶには大分大人寄りの服である。
「いえ、前にめちゃ美が『童顔ロリっ子大人ファッション最高っす。是非リコ先輩に来て欲しいっす』って言って買って持って来たものです」
誰がロリだとか、そんな理由でめちゃ美は買ったのかとか、なんでそれをお前が持っているんだとか、色々な感情が渦巻くリコ。
「そっか」
ため息とともに、ツッコミの諦めた声がリコの口から吐き出された。
なされるがままに化粧を施され、半眼でどこかどうでも良さげだ。
そんなどこか諦めのような顔をしたリコだが、全身鏡を見た瞬間に驚きの表情へ変わっていく。
「えっ……」
全身鏡には、女性が映っていた。
女の子ではない、女性のリコ。
別にリコの身長が変わったわけではない。小さいままである。
小さいままだが、そこに映っているのは、女性である。
「これが……アタシ?」
今まではどんな格好や化粧をしても、女の子でしかなかったリコ。
いくら大人っぽくなろうとしても、結局は背伸びした少女にしかならなかった。
それが、今目の前に映る自分はどうだ。身長が低いというのに、立派な女性になっている。
「リコさん。綺麗ですよ」
可愛いじゃなく、綺麗。
リコにとってそれは、初めて言われた言葉だった。
そして鏡に映る自分を見て、それがお世辞から出た言葉でない事はわかる。
「リコさんは、今の自分の姿を見てどう思いますか?」
「……お、大人っぽい」
「はい。僕もそう思います」
少し戸惑い、そう答えるリコに、オタク君が迷いもなく同意をする。
もじもじした様子で鏡をチラ見するリコだが、ついに堪えきれずオタク君の前だというのに鏡の自分を食い入るように見始めた。
「リコさん」
「ん?」
「絵を描くの……頑張ってみませんか?」
「……」
リコが専門学校で実力差を思い知り、心が折れかけていた事をオタク君は初めから気付いていた。
そもそも、リコは何事に対しても諦めが良すぎる。どこか一歩引いた場所で自分や周りを見ている。
多分そうなったのは、平均よりも遥かに低い身長で色々と諦めざるをえなかった経験からなのだろう。そうオタク君は考えた。
だから、無理じゃない事を証明したかった。普段優愛を羨むだけで、自分には無理だと決めつけていた大人のファッションに身を包ませることで。
どうしてオタク君が急にこんな事をしたのか、リコにもその言葉で十分すぎるほど理解出来ていた。
もしかしたらここで手を伸ばせば、自分が諦めていた事を叶えられるかもしれない。
「何言ってんだ。頑張ったのは小田倉だろ」
だが、素直にその手を伸ばせるほど、リコも単純ではない。
「いえ、リコさんがやるって言わなかったら無理でしたよ」
オタク君、詭弁である。
「だからリコさん。僕も手伝うから、絵を描くの、一緒に頑張ってみませんか?」
「……まぁ、どうしてもって言うなら」
口を尖らせた少女が、オタク君のせいにして甘える。
「はい。どうしてもです」
そんな思いを受け止めるように、笑顔で、そして力強く頷くオタク君。
口を尖らせた少女が、顔を赤らめながら言う。
「分かった。それじゃあ着替えるからちょっと出てってくれ」
オタク君が部屋を出て、着替えようとして全身鏡に映った自分をもう一度見るリコ。
もう少しだけこのままでいたい気持ちを抑えながら、自分の服に着替えた。
「しょうがねぇ、小田倉がやるって言うんだから頑張るか」
帰宅した後も、リコは自分の机に向かいイラストを描き始める。
オタク君がどうしてもと言うからなどと、自分に言い聞かせ甘えながら。
だが、何も甘えているのはリコだけではない。
「リコさん、やるって決めたなぁ……」
布団の中で一人呟くオタク君。
自分に対する劣等感は、オタク君もよく分かっていた。
目を閉じれば、リコの事で頭がいっぱいになる。それが何かオタク君ももう気づいている。
だが、自分のようなオタクがリコを好きになっても迷惑だろう。
だから、もしリコがイラストを諦めたら、自分もリコへの気持ちを諦めよう。そう考えていた。
「リコさんがイラストを続けるって決めたから、僕も……」
リコを励ましたのは、何もリコの為だけではない。
後ろめたい気持ちとは裏腹に、笑顔で笑いかけるリコがオタク君の脳裏に焼き付いていた。
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