第109話「俺、男を磨くために修行しようと思うんだ」

 バスで揺られること数時間。

 オタク君たちを乗せたバスは、県をまたいだ場所にあるキャンプ場に到着した。


 キャンプ場、というには少々整っている雰囲気だが、あくまでそれは敷地内のみ。

 敷地の外は辺り一面木ばかりの山の中である。

 山の中にある大きな自然公園といった感じだろう。


 入り口から入るとまず見えてくるのは受付をするための建物である。

 受付をするための建物にしては、かなり大きいのは、キャンプ用具などの貸出も兼ねているからだろう。


 各クラスごとに点呼を行い、欠席者が居ない事を確認すると、それぞれの班の班長が担任に連絡し、担任が受付を済ましに建物へ入って行く。

 そんな担任などに誰一人興味を持っていないのは、辺り一面が緑一色の大自然だからだろう。


 キャンプに行き慣れているオタク君も、初めての土地となると他の生徒たちと同様にキョロキョロしてしまうのは仕方がないというものだろう。

 受付の施設の裏に広がるキャンプ場。


 テントを広げる為のスペースが二面。

 そしてテントを広げる二面のスペースの間には、キャンプには行きたいが、テントは嫌だという客向けのコテージが数練。

 そんなスペースから少し離れた場所にある芝生の広場。その中央には、石畳の丸い空間、キャンプファイヤー用の場所である。

 その他、簡易シャワー、トイレ、そしてBBQや料理をするための施設がいくつか立ち並んでいる。


「それではそれぞれの班長がテントの道具を借り、自分たちがテントを設営するスペースについたら自由行動だ。解散」


 教師が代わる代わる注意事項などを読み上げたりしていたが、誰もが右から左へ受け流し状態である。

 目の前にキャンプ場があるのに、教師の話を聞けという方が無理であろう。

 だというのに、自由行動と解散という単語だけは目ざとく聞いているのだから、教師も呆れて笑うしか出来ない。


「テント設営の道具については小田倉のが詳しいだろ。秋葉と青塚と一緒に必要な道具を貰って準備しててくれ」


「分かった。樽井たちも例の準備宜しくね」


「任せろ」


 何が必要か、しおりやメモなどを確認しながら、あーでもないこーでもないと言い合う生徒たち。

 そんな生徒たちには目もくれず、オタク君は秋葉と青塚を引き連れ受付の施設に入って行く。

 キャンプ慣れしているオタク君は、必要な道具が既に頭の中に入っているからだ。


 受付で必要な道具を受け取ると、それぞれが分担で受け取り自分たちのテントスペースへと一目散に向かって行く。


「テント設営は午後からで良いから、僕らも樽井たちのところへ行こうか」


「おう!」


 オタク君の言葉に、秋葉と青塚が同時に返事をする。

 オタク君たちが向かった場所は、シャワー室の隣にある簡易脱衣所である。

 ノックをすると、中から樽井の「どうぞ」という声が聞こえる。

 入るぞと一声かけて、中に入って行くオタク君たち。


「そっちの準備は?」

  

「今浅井と池安が先生呼びに行ってる。ほら、お前らの分も貰っておいたぞ」


「サンキュー」


 衣類を入れる籠の中には白い布が三つ。

 目を輝かせながら、その白い布を広げるオタク君たち。

 白い布の正体は、白装束である。


 そんな白装束を見て、オタク君ウキウキである。

 なんなら秋葉と青塚もウキウキである。

 樽井もそんな姿を見てニヤニヤが止まらないようだ。

 

 彼らは白装束に身を包み、一体何をするつもりなのか?  

 応えはキャンプ場の近くを流れる小川にあった。


 キャンプ場の近くを流れる小川を、白装束に身を包んだ七人の怪しい人影。

 オタク君、秋葉、青塚、樽井、浅井、池安、そしてオタク君の学年の体育教師である。

 彼らが目指すのは、小川の先ある三メートル程の滝。


「心頭滅却!」


 そう叫びながら、体育教師が滝に入り、滝行を始める。


「心頭滅却!」


 その教師の後に続き、オタク君たちも同じように滝行を始めた。

 時期は五月、暑くなってきたとはいえ、山の気温はまだ低い。

 そんな山から流れる水は、当然冷たい。


 大きいわけではないが、それなりに勢いがある水に打たれながら、オタク君たちは体育教師と共に「心頭滅却」と叫び続ける。

 なぜこんな事を始めたのか?

 それは、班決めの時まで時間が遡る。


「俺、男を磨くために修行しようと思うんだ」


 浅井がそんな事を言い出したのだ。


「修行って具体的に何よ?」


「そりゃあ、山といえば滝行だろ?」


 当然オタク君たちは「お前は何を言っているんだ?」と思った。

 ここで否定の言葉を出せば、浅井もすぐに引いただろう。

 実際にオタク君たちの中で、否定をするための言葉がいくつも頭の中を駆け巡っていたのだから。


「まぁ、皆がやるなら付き合っても良いかな」


 だが、出てきた言葉はどちらかといえば肯定な意見だった。


「俺も、他の人がやるなら」


「でも僕たちだけじゃ危ないから、誰か先生が監督してくれるならやっても良いかな~?」


 明らかにやりたいが、やりたいと声を大にして言えない時の遠回しな言い方ばかりである。

 もしここで誰か一人でもNOといえば、すぐにでも否決されただろう。

 しかし、結果は全員が「他の人がやるなら」で可決である。


 頭では否定しているというのに、何故か修行という言葉に惹かれてしまう。

 滝行なんて寒いし、皆がいる前でそんなのをやるなんてダサい。なのに、それがとてもカッコよく思えてしまう。

 思春期である。


「先生、折り入って頼みがあるのですが!」


そんな思春期の少年たちの想いに、体育教師は心を打たれた。

 昨今では、少し厳しく当たるだけで虐待だ体罰だと騒がれるこのご時世に、自ら苦行を選ぶ若者たち。

 一昔前のドラマのような展開である。


「良いだろう、その代わり厳しくいくからな!」

 

 今を生きる思春期の少年たちに感化された体育教師。

 彼もまた、思春期である。


 そんなこんなで滝行を行うオタク君たちを、遠巻きから生徒たちが見ていた。

 格好、行動共に目立つため、色んな生徒が見ては指を差したりしている。


「オタク君たち何してるんだろう?」


 そんなオタク君たちを、優愛たちも遠巻きに見ていた。


「さぁな、そういう事をしたい年頃なんだろ」


「おっ? リコ『私は分かってます』アピールか? マウントか?」


 優愛のウザ絡みに、リコがめんどくさそうにため息を吐く。


「ちげぇよ。前に弟が両肩に油性ペンで『卍』を書いてた事があってな。多分男ってそういうのがしたくなるもんなんだろ」


 何が良いかさっぱり分からないが、そんなよく分からないものに惹かれるのが男の子なのだろう。

 リコの説明に、優愛や委員長は「えー……」と言いたげな顔をする。

 男兄弟がいないと分からない感覚なのだろう。


「小田倉君、今日はずっと滝に打たれてるのかな?」


「えー、オタク君誘って遊ぼうよ。リコこういう時どうすれば良いの?」


「小田倉の事だからテントの設営の仕方教えてと言えば来るんじゃねぇの?」


「それだ!」


 昼食時、滝行を終えたオタク君を逃がさないと言わんばかりに囲む優愛たち。

 だが、それは徒労だったようだ。元々優愛たちのテント設営の手伝いをするつもりだったオタク君は、午後からは予定を空けていたので。


 滝行を終え、優愛たちに囲まれたオタク君を、遠巻きに男子生徒たちが見ていた。

 オタク君を見つめる男子生徒たちは、誰もが驚きと切望の孕んだ表情である。


「浅井の言ってた事、本当だったのか」


 男を磨く事で、女にモテる!

 浅井は他の男子生徒にも、このような謳い文句で滝行に誘っていたのだ。

 当然そんな怪しい言葉を信じる者は誰もいなかった。


 だが、目の前にある光景はどうだ?

 冴えないメガネが、学年で人気のあるギャルたちに囲まれているのだ。

 元々仲が良かっただけだろう。誰もが心の中でそう呟く。

 そう呟くが、もう一人の心が囁くのだ。


『滝行をしていれば、あそこにいたのはお前だったかもしれない』


 男磨きと言って滝行をした奴が、本当に女にモテていた。

 そんな噂がまことしやかに伝わり、その噂は学年を超え校内では知らないものがいないほどに広がった。

 翌年から林間学校の任意参加の行事に滝行が加わり、滝行に参加する男子=彼女が欲しい男子という方程式が出来上がっていた。

 男子にとっては彼女募集中アピールの場になり、女子にとっては彼氏探しの場となり、秋華高校のおいて大いに盛り上がるイベントの一つになるのだが、それはまた別の話である。

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