第55話「じゃあ、明日帰るまで一緒に東京見学しようよ!」
「優愛、もしかしてサークルの売り子をするために来たのか?」
「売り、売り子?」
父親の言葉に「?」マークを浮かべる優愛。
そして、顔を真っ赤にして眉を吊り上げた。
その様子を見ていた優愛の母が、すかさずフォローを入れた。
「優愛、売り子って言うのは、同人誌を売る……そうね、レジ係のようなものよ」
「えっ……あぁ、うん。知ってる。売り子ね」
どうやら優愛は「売り子」が何か、分かっていなかったようだ。
ウリという単語だけで、違う意味と勘違いしてキレかけていたのである。
何と勘違いしたかは、本人の名誉のために言わないでおこう。
「それで、売り子をするために来たのか?」
「ううん。オタク君達がコミフェって所に行くって話してたから、見に来ただけだよ」
周りから「おお!」と小さなざわめきが起きた。
売り子の意味も分からなければコミフェも分からない。だというのにオタク君なる人物にギャルが会いに来たのだ。
本物のオタクに優しいギャルである。
「そうか……ここで立ち話をするのは邪魔になるな。オタク君、少し話がしたいのだが宜しいだろうか?」
「娘がいつもお世話になってるからお話したかったの。ダメかしら?」
「えっと、はい……」
少し硬い感じのする優愛の父と、左手を頬に当てニッコリと微笑む優愛の母。
オタク君ビビリまくりである。
娘がお世話になっているから挨拶したいと突然両親に言われたら、そうなるのは仕方がない。
焦るオタク君の様子を見て、優愛が口を挟んだ。
「ちょっと、オタク君が怖がってるじゃん」
「あっ……すまない、変な意味ではないんだ。ハロウィンや優愛が体調不良の時に看病してくれたお礼をと思ったのだが……」
娘に叱られオロオロする父親。
2人のやり取りを見て、オタク君が心の中で少しだけつっかえていた物が取れた。
”優愛さんの両親はいつも家に居ないけど、優愛さんの事をどう思っているのだろうか”
もしかしたら、家族の仲が上手くいってないのではないかと心配していたオタク君。
どうやらそれは杞憂だったようだ。
なおもプンスカと怒る優愛に対し、弱った感じで妻に助けを求めるが、笑顔でスルーされてしどろもどろになっている優愛の父が居た。
滑稽ではあるが、そんな姿をお互い見せられるくらい十分な家族の絆があるのだろうとオタク君は感じた。
「優愛さん、僕は大丈夫ですから。ちょっとお話してきて良いですか?」
「私もついて行こうか?」
優愛は心配そうにオタク君を見るが、大丈夫だと首を振るオタク君。
それでもと食い下がろうとする優愛に、優愛の母が声をかける。
「優愛、売り子が居なくなったら同人誌の売り上げが落ちるわよ」
「そうなの?」
「そうよ」
母の言葉に難しい顔をして、少しだけ悩む。
「分かった」
オタク君に変な事をしたら承知しないからと父親に釘を刺し納得したようだ。
サークルスペースから出て、優愛の両親と共に屋外まで来たオタク君。
邪魔にならない場所を見つけたようだ。
立ち止まると、優愛の両親が頭を下げた。
「オタク君。普段優愛がお世話になっているようで、本当に感謝している」
「いえいえ、こちらこそお世話になっております」
オタク君もペコペコし始め、その様子に優愛の両親がクスっと笑う。
「改めて初めまして。優愛の父です。いつも娘がオタク君と呼んでるから、つい私達もオタク君と呼んでしまっていたね。すまない」
「いえ、こちらこそ初めまして、小田倉と申します。優愛さんとはクラスメイトでいつもお世話になっています。僕の事はオタク君で全然構わないので」
少し身構えていたオタク君だが、場の空気が和めたのを感じたようで自然体になっている。
優愛の母がまるで世間話をするような口調で話し始める。
「優愛ったら、困った事があったら私達じゃなく、オタク君にすぐ頼るから迷惑してなかったでしょうか?」
「そんな事ありませんよ。僕も困った時に優愛さんに助けて貰っていますし」
「そう言ってもらえると助かるわ。恥ずかしい話、親としてどう接すれば良いか分からない時もあるの」
「あぁ、出張やらで、あの子には迷惑をかけてばかりだからな」
「優愛ったら、私達が居ない間に変な事したりしてないかしら? ちゃんとご飯食べてるかいつも不安なの」
どうやら本当にただの世間話だったようだ。
仲が良いといえど男と女。家族が居ない間に家に入り込んでいる事を咎められるかと思っていたオタク君。
だが、優愛の両親からそのような事は一切言われる事は無かった。優愛が釘を刺したからか、それとも初めから言うつもりが無かったのか。
普段の優愛の様子を聞かれ、後はお世話になってるお礼を言われただけである。
しばらくして、優愛の父が時計を見た。
「本当はもう少しオタク君に話を聞きたかったのだが、そろそろ戻らないといけない時間だ」
「そうですね。あなた、優愛と少し話をして戻りましょうか」
第2文芸部のサークルスペースに戻って来たオタク君と優愛の両親。
「これは、どういう事!?」
ほんの1時間ほどの間で、オタク君達のスペースは大変な事になっていた。
列の整備をするエンジン、次々と同人誌を手渡す優愛、完全にレジ係となったチョバム。
第2文芸部のサークルスペースには長蛇の列が出来ていた。
「申し訳ない、ここで売り切れですぞ」
エンジンが最後尾看板を渡すと、最後尾看板を持った人から後ろの人達が散っていく。
とは言えそれでも列の人数が多い。戻って来たオタク君と優愛の両親が手伝い、何とか捌ききることが出来たようだ。
「まさかの完売でござる……」
チョバムが震え声で言う。隣ではエンジンがスケブを頼まれ描いている。
何故ここまで急に売れたのか?
それは、優愛の両親達が名刺を渡したのが一番の原因だったりする。
大手S社のプロデューサーが名刺を渡し、しかもその中の少年を呼び出して話がしたいと席を外した。
その様子を見ていた一部の人が、ツ●ッターにこう書き込んだのだ。
「大手S社、新人を引き抜きか!?」
その様子はバッチリ撮られていたようで、そのツイートが拡散され、興味を持った人たちが押し寄せたようだ。
その際に、たまたま人だかりが出来ていたタイミングだったため、一気に行列ができ、行列が出来ているのだから噂は本当なのだろうと思った人達が買い求めて行ったのだ。
だだっ広いコミフェ会場で偶然オタク君と優愛が出合い、偶然優愛の両親が通りがかり、偶然それをツ●ッターで拡散された。
いくつもの幸運が重なり合い、オタク君達は初参加で100部完売という偉業を成し遂げる結果になった。
「私達は戻るけど、優愛、あなたはどうする?」
「んー、今日は適当にホテルに戻るけど。オタク君は明日帰るんだっけ?」
「はい。チョバムとエンジンは3日間通しだけど、僕は今日だけなので」
「じゃあ、明日帰るまで一緒に東京見学しようよ!」
「そんな時間は、ちょっと無いかな……」
オタク君は節約のために青春切符なので、片道だけでも乗り換えをして6時間以上かかる。東京見学は厳しいだろう。
「優愛、このまま父さん達と残っていくか? もし明日東京見学してから家に帰ると言うなら、オタク君の分も新幹線のチケットを取るが」
「えっ、良いの!?」
「あぁ、お前1人では不安だったからな。もしオタク君さえ良ければだが」
「いえ、そんな……」
この時期の新幹線は相当な金額になる。
流石に申し訳ないと遠慮するオタク君に、優愛の母がニッコリと微笑みかける。
「年頃の娘一人で東京を見学させて、夜歩きさせるのは不安なのよねぇ」
それなら、オタク君と一緒にすれば年頃の男女でもっと不安になるはずだが。
チラチラ見られ、オタク君が折れたようだ。
「えっと、僕で良ければお願いしても宜しいでしょうか?」
「そう言ってもらえると助かる」
「やったー!!!」
無邪気に両手を上げて喜ぶ優愛。
「あっ、そうだ」
優愛が一冊の同人誌を取り出す。オタク君達と一緒に作った同人誌「オタク君に優しいギャル」である。
身内用に何冊か残しておいたものだ。
「これ、セリフ私も一緒に考えたの」
そう言って両親に差し出した。
「もらって、良いのか?」
「うん」
「そうか……後で読む」
優愛の父が、優愛から同人誌を受け取る。
最後にもう一度オタク君に頭を下げて、優愛の両親は自分たちの仕事へ戻って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます