シュレディンガーの柩 後編

 私は新幹線を降り、逃げるように喫茶店に入った。


 コーヒーを一杯頼み席に着く。


 窓から外を眺めると平日ということもあり、社会人や学生が忙しなく行き交っている。皆、何かしら目的を持って歩いているのだろうか。


 コーヒーが来るまでの間、私はスマホに残る彼女との会話を見返す。

 たわいのない言葉で敷き詰められた文章は余計に胸が苦しくなるだけだった。

  


 辛いことを放棄して逃げてしまえば楽になれるのかな。


 このまま適当な理由をつけて帰ってしまうか…。

 このまま耳を塞いで、目をつぶってしまえば、死んだかどうかなんてわからないじゃないか。

 

『ああ、そっか。いっそのこと嫌いになれればこんな想いしないで済むんじゃないかぁ…あはははは』


 私メモ帳を開き、彼女にいつか言ってやろうと思っていたことを箇条書きで書き殴った。


 ・人の話を聞け、周りも尊重しろ

 ・自分の得意なことばかり、押し付けるな

 ・身体が弱い癖にタバコを吸うな

  自分を大切にしろ

 ・計画を立てて行動しろ、考えて動け

 ・誘ったなら、最後まで責任を持て

 ・食べ方が汚い!取ったなら責任もって食べろ

etc…

 

息を吐くように今まで溜まっていた不平不満が出てくる。


 恐ろしいという気持ちは沸々と彼女への怒りへと変わっていく。


 思えば私は彼女の事が嫌いだった。


 昔からそうだ。一番自分がまともなやつだと思って、何かある度に仕切りたがる。

 その癖、1番自分が幼稚だと気づかない。


 そんな彼女を見ていて私は内心穏やかでは無かった。


 将来なりたいものになる為に、入った専門学校も結局ふらふらしてよくわからない職ついて1年も立たずに仕事を辞めてしまった。

 昔から持病持ちで身体が弱い癖に急にタバコとか始めてところ構わず吸い始め、それを見せびらかす姿がとても憐れに映った。

 優柔不断なようで変なところで思い切りのいい性格に何度振り回されたことか…。


 ゲームをするにしても、私が一緒に話したくて薦めたものは全く手をつけず、自分が面白いと思ったものしかやらないし、逆によく薦めてきた。


 『いっつも負けてばかりの気持ちが分かるか?めっちゃストレス溜まるんだぞ…』


 結局、そのゲームハマって私も買ったのに

勝ち逃げで終わってしまった。

 いつかリベンジしてやろうと思ったのにもうやることも無いのか…。



 話す時もそうだ。いつも、自分の好きなことを好きなように語る。人の気持ちなんてお構いなしに話しかけて、本人は悪気はなくとも人を下に見るような言い回しが癇に障った。まるで自分が中心で世界が回っているような感じが嫌で仕方なかった。

 こんな早く終わりになるなら聞くだけじゃなく、はっきり言ってやれば良かった。

 

 

 嫌いだ…。私は、純な事が嫌いだ。

 嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い…

嫌いなら、嫌いな奴にもう会う事がないのなら気が楽になるはずなのに…。

 

 『どうして、まだこんなに胸が痛いんだよ…』

 

 「あのー、大丈夫ですか?」

 

 「え、」

 突然の声にハッと我に返り、声がした方に顔を上げる。


 そこには頼んだコーヒーを持った店員さんが不安そうな顔でこちら覗いていた。

 

 「あのー、こちらコーヒーになります。お客さま、あと良かったらこれで顔を拭いてください」

 

 「あっ、ありがとうございます」

よくわからないまま私は店員さんからタオルを受け取り、軽く会釈した。

 

 会釈した時に、手に水滴が落ちた。

 その時、初めて今泣いていたことに気がついた。


 私はタオルを持って急いでお手洗いに駆け込んだ。

 洗面所の鏡を見て思わず失笑してしまった。

 鏡に映る自分の顔は酷い顔をしていた。涙で化粧が滲み、やつれた顔は今にも死んでしまいそうな顔をしていた。


涙は一滴、また一滴と頬を伝い、流れ落ちる。

 

 

 その時、自分の顔を見て私はようやく自分の中の黒い靄の正体を悟った。


 

 あれは、私そのものだ。脆く、根暗で、浅ましく、素直になれない私だった。


 私のこれまでの20年間は、ただ傷つかないように猫を被り生きてきた。


 人間関係、趣味、部活、恋愛、勉学、全てにおいて本気でやったことは一度もなかった。

 なぜなら恐いから。本気で想いを伝えて人に嫌われる、裏切られる。本気で物事を打ち込んで否定される、貶される、選ばれない。


 そんなの耐えられない。失敗する可能性があるのに全てを賭けるなんて馬鹿げている。


 だから私は常に誰かにとって、そして自分にとっての都合の良い人間であり続けた。



 だけど、彼女は、純は違った。いつだって自由だった。 


 そんな彼女を私は羨ましくって仕方が無かった。


 好きなことや自分の夢を楽しそうに語り、純粋に楽しみながら色んな人と関わり生きていた。


 いつも、想いを表に出さずに周りの顔色を見て生きてた私にとって自分が出来ないことをやってのける純が妬ましかった。


 好きなことを語る彼女はとても嬉しそうな顔をしていて私まで楽しくなり正直、嫌いではなかった。いや、好きだった。


 彼女は私にとって数少ない素直でいられる相手だったんだ…。

 だから、言動に対して反発だってするし、楽しいことは素直に楽しみ、笑うことだって出来た。

 

 突発的な行動だってそうだ。純の思いつきは私が考えのつかないことばかりだった。


 彼女がいなかったら知らなかったことは沢山あっただろう。


本当はいろんなことをもっと話したかった!

私が好きな物を彼女と共有したかった!

私は純みたいに生きたかった…。


 今まで、何となく続いていた関係だったが、そもそも嫌いなだけならとっくに終わっていた関係だった筈だ。


 それでもここまで続いたのは私は、彼女のことが嫌い以上に大好きだったんだ。


 

「そうだった…。私、純にまだ何も言えてない…」

 

私は涙をタオルで拭った。そして頼んだコーヒーを飲み干し、会計を済ましてから急いで駅に向かって走り出した。


 久々に身体を動かし、肺が苦しい。

 それでも、必死に両腕を動かす。

 不思議と今まで締め付けるような胸の痛みは消えていた。


 もう、頭の中に迷いは無かった。

 今あるのはただ彼女に純に会いたいという想いだけだった。

 攣りそうな足を叩き足を前へ、前へと踏み出す。

 

 私は必死にエスカレーターを駆け上がり、新幹線へ飛び乗った。


 息を吸うだけで胸が痛いが、不思議と今までのような不快感は無かった。


 私は席につき、夢の終わりを待つ。

 親友へ最後の文句わかれを言うために…


 



 


 

  

 

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シュレディンガーの柩 佐倉未兎 @usatyanman21-kei

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