田原殿の一三人

野望蟻

第1話 田原殿の一三人

 田原村の見張り台から一人の男が周囲を警戒していた。

 視界の先に見えたのは敵国の軍旗である。

 男は一目散に族長のいる会議場へと駆け寄った。

 通称『田原殿』である。


「田原総一朗様、敵襲です!」

「まことか!」

 田原総一朗は、来るべき刻が来たことを確信した。

 敵国との停戦交渉は遅々として進まなかった。

 それは外交担当の田原総一朗が主張を曲げることをよしとせず。鶏鳴すら無視してひたすら相手国の交渉係と激論を繰り広げたからである。

 田原総一朗は外交担当に田原総一朗を推薦したことを後悔していた。

 彼は実直であるが芯が強すぎるゆえ、なかなか譲歩をしないのである。

「田原総一朗を呼べ!」

 族長の田原総一朗は、斥候の田原総一朗に命令をした。

「はっ!」

 斥候の田原総一朗はすぐさま踵を返し田原殿から出て行った。

 田原殿には続々と田原総一朗が集まった。

 軍務担当、経済担当、福祉担当、政治担当……とにかく田原総一朗が集まったのである。

 かくして田原殿において、緊急の会議が始まることとなった。

 後にこの会議は「朝まで生総一朗」と呼ばれることとなる。


「敵国が攻めてきた。斥候の田原総一朗によれば軍勢は一万と聞く」

「一万ですと!?」


 田原総一朗は驚きの声をあげた。

 こちらには女子供を含めても田原総一朗がせいぜい三千名しかいないというのに一万もの軍勢で攻め込まれては到底太刀打ち出来ないと思ったからだ。

 

「田原総一朗はどう思う」

「はっ」


 田原総一朗に意見を求められた政治担当の田原総一朗は深々と頭を下げた後、意見を具申した。


「恐れ入りますが、このままでは田原村が全滅致します。降伏交渉を開始すべきかと思います」

「貴様、それでも田原総一朗か!」


 軍務担当の田原総一朗が激昂した。

 彼が七三気味に分けていた白髪交じりの頭髪は、天へと逆立ち怒髪天の様相を呈していた。


「まあまあ、田原総一朗殿。落ち着いてください」


 福祉担当の田原総一朗が軍務担当の田原総一朗を宥める。

 二人とも同じ顔をしているため、胸の徽章を見なければ見分けがつかない。


「外交担当の田原総一朗殿が間もなく戻ってこられます。彼の意見を聞いてからでもよろしいかと」

「ふむ」


 族長の田原総一朗は田原総一朗の意見を聞き入れることにした。

 彼は田原総一朗の中でも他者の意見を取り入れ、自己の中でブラッシュアップしてアウトプットする希有な田原総一朗なのであった。


「外交担当の田原総一朗が戻ってきたら会議を再開しよう。それまでは休憩とする」


「総一朗、ちょっといいか」

 族長が、田原殿の脇に設けられた厠へ向かおうとすると、柱の陰に隠れていた男に声をかけられた。

 幼なじみの田原総一朗である。

「田原総一朗じゃないか、すまんなちょっと今大事な話をしているんだ」

「敵国が攻めてきたことだろう? 噂は村全体に広がっているぜ」

「まあこれだけ小さい村であれば仕方ないだろう。わかっているなら今日は勘弁してくれないか」

 族長の田原総一朗は、幼なじみとの歓談をしている余裕はなかった。

 厠へと足を向ける彼に幼なじみの田原総一朗が、衝撃の言葉を呟いた。


「裏切り者がいる」


「……裏切り者だと? この村にか? 詳しく教えろ」

幼なじみの田原総一朗は諜報担当であり彼の情報は信憑性が高い。

族長の田原総一朗は、振り返るとすぐに詰問した。

「ああユダだ。敵国はこちらから流れた情報に基づいて動いている。田原村は間もなく刈り入れの時期だ。多くの田原総一朗が西方の穀倉地帯へ向かうことを知っている。相手方にいる情報屋から教えてもらったよ」

「経済担当の田原総一朗も開戦には難色を示していたな」

「戦って死ぬか飢えて死ぬかの違いだ」

「それで裏切り者は誰だ? 厳しく処罰しよう」

「ああ、裏切り者は……」


 族長の田原総一朗は固唾を呑んで次の言葉を待った。

 聞きたくは無かったが、これも田原村を守るためである。

 裏切り者を処罰するのは法務担当の田原総一朗と私の役目なのだ。

 彼の出した名前を聞いて族長は愕然とした。


「田原総一朗だ」



 田原総一朗は激怒した。

 またがる馬は息も絶え絶えであったが、心を鬼にして鞭をふるった。

 外交担当の田原総一朗は、相手が提示する停戦条件を聞き憤懣やるかたない気持ちに囚われていた。

 田原村で一番の論客と呼ばれた田原総一朗であったがその彼でも優位な条件を引き出すことができなかった。

 田原総一朗を全員捕虜として差し出せとはいくら何でも足下を見すぎている。

 前方を見ると田原殿から立ち上る狼煙が見えた。

 間もなく田原村へ到着するが、敵国が提示した条件を田原総一朗が承諾することはあり得ないと確信していた。

 しかし外交担当として田原総一朗は全て報告する義務があるのだ。

 騎乗する田原総一朗は、一人ため息をついた。


 田原殿における会議は深夜になっても終わる気配はなかった。

 開戦か、降伏か――。

 この重要な懸案事項に『裏切り者は誰か』が追加されたからである。


「私は自分で見聞きしたことしか信じない」

 

 これは田原村の座右の銘であり、田原総一朗を田原総一朗たらしめる田原総一朗なりのポリシーである。

 裏切り者が誰かを探すためにも、この会議における田原総一朗の一挙手一投足に傾注しつつ、族長として意義のある会議にする必要があった。

 自分で見て、聞いて裏切り者を選別する。

 これは大変に難しかった。


「族長、こうなったら多数決といきましょう。この中にいる裏切り者を多数決で決めるのです」

 財政担当の田原総一朗と広報担当の田原総一朗が声を揃えて、提案した。

 田原総一朗同士で口裏を合わせているのだろうか。そういえば田原総一朗は裏切り者が田原総一朗であると言っていたが何人いるとは言っていなかった。

 二人の田原総一朗が裏切っている可能性だってある。

 族長の田原総一朗は頭を抱えた。

「族長、まずは仮の投票ということで試してみましょう」

 族長補佐の田原総一朗が冷静に場を仕切り始めた。

 仕切ることには右に出る者がいないのが田原総一朗である。

 粛々と族長補佐の田原総一朗が、投票箱を準備し、田原殿にいる田原総一朗が無記名で投票用紙を投票箱へ入れていく。


「結果が出ました」

 数十分後、族長補佐の田原総一朗が投票箱に入れられた投票用紙を数え終えた。


「田原総一朗に十三票、満票で田原総一朗です」


 それはそうだろう、と田原総一朗は思った。

 やはりそうだっか、と田原総一朗は苦々しく結果を受け止めた。

 まさか、そんな馬鹿な、と田原総一朗は狼狽した。

 とにかく十三人の田原総一朗は十三色の表情を浮かべていた。


「どうする族長」

 軍務担当の田原総一朗が族長の田原総一朗に耳打ちした。

「どうもこうもないだろう、無記名だろうが田原総一朗だし、どう投票したって田原総一朗にしかならん。これでは投票の意味がない」

「なら拷問でもするか? 捕虜の扱いは得意だぞ」

「みんな同じ顔なんだ。替え玉を使われたらどう責任を取るのだ。無実の田原総一朗を痛めつけるのか? 法律と証拠に基づいて法廷という議論の場で徹底的に議論し有罪にすべきか無罪にすべきかを決め、そしてその後の処遇について改めて議論して今後の糧にすべきだろう」

「じゃあどうするのだ! このままでは田原村が滅んでしまうぞ!」

 族長は、もう疲れ果てていた。

 みな似たような思考、性質を有しているというのに立場が異なればここまで衝突をするのか。

 田原村の高窓に朝日が差し込む。

 いつの間に夜が明けていたのだろうか。

 敵国との交渉は難航し、夜明けになっても議論は空転し未だに結論が出ない。

 族長の田原総一朗は族長を辞任し、ただの田原総一朗に戻ることを決めた。


「みなすまない。このような有事において私に族長という役務は荷が重かったようだ。族長を辞任しようと思う」

「なんですと! 族長を辞めてどうするんですか」

「田原駅の駅員にでもなろうと思うんだ。また一からやり直して自分を見つめ直そうと思っ「そんなことはどうでもいいんですよ!」


 食い気味で外交担当の田原総一朗が吠えた。

 相手の発言を巧みに遮り自分のペースに持って行くのは彼の得意技だ。


「じゃあ次の族長は決まったんですか? 新しい族長の選任手続きや後任への引き継ぎを確実に行ってからにしてくださいよ!」


 族長は、ふうっと大きく息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。


「じゃあ、まずは次の族長を誰にするか議論しようじゃあないか」




 日本から南東に約三千キロメートルの位置に半径五キロメートルほどの小さな無人島がある。


 白髭をぼうぼうと生やした老人が、海辺で枯れ木を集めていた。

 彼の名は田原総一朗――戦場ジャーナリストとして戦地へ赴く途中、飛行機が墜落し命からがらこの無人島に辿り着いたのだ。

 最初の二週間は救助を求めるために必死に手を振り大声を上げた。

 だが、誰一人として救助に来る者はいなかった。

 高齢者でも扱えるフォントの大きいスマートフォンも電波が届かなければ無用の長物であった。

 とっくに電池はなくなり、彼は生きるために島を探索することにした。

 幸い、山頂付近から流れる水と椰子の実が彼の命を繋ぐことになった。

 魚を捕まえる技術も向上し、高齢であるにもかかわらず素潜りで貝を採取できるほどになっていた。

 そんな折、海中に沈む小さな石像を田原総一朗は見つけた。

 三十センチメートルほどの石像であるが、田原総一朗はそれを大事そうに抱えて島へと持ち帰った。

 石像を磨き上げ、彼は毎日石像に向かって拝むようになっていた。

 すると、夢の中に石像が現れたのだ。石像は言った。


「田原総一朗よ、私はこの島の神だ。海中から引き揚げ、さらに神体を磨き上げたその善行に免じて願いを叶えてやろう」


 田原総一朗は驚いた。夢の中で彼は考えに考え抜いた。

 願いとは何だ、私の本当の願いとは何だったのだろう。

 争いのない平和な世界か。しかし人間が生き物である限り衝突は避けられない。

 人々が絶対に衝突しない世界。田原総一朗は神様に真の願いを伝えた。


「神様、この世界にいる人々全員を私にしてください。全員が同じ考えであれば争いも諍いもない幸せな世界になると思うのです」

「そうか、それでは全ての人々を田原総一朗にしよう。思考の共有はするか?」

「いえ、それでは議論ができなくなってしまいます」

「議論も一つの争いだと思うのだが……まあわかった目が覚めれば世界にいる人々は全員田原総一朗になるだろう」


 目が覚めた田原総一朗は、海に投げ入れた蛸壺を引き揚げた。

 これは彼のルーティンワークになっている。

 蛸壺に入っている真蛸に田原総一朗は喜びの声を上げた。

 彼は真蛸をぶつ切りにすると、火で炙ってかぶりついた。

 世界は大きく変わった。

 しかし、無人島にいる田原総一朗の世界は変わらなかった。

 思考の共有をしなければ彼が遭難していることを世界に存在する彼以外の田原総一朗は気付きもしないからである。

 そもそも、神様に対して救助を求めれば良かったのだが田原総一朗が憂いていたのは世界の行く末であり、自分の行く末など些事に過ぎなかったのだ。

 

「何も変わらないじゃないか。自分自身と議論をしたかったのだが夢は夢でしかないということか……」


 新しく生まれ変わった世界で、彼だけは変わらない世界を生き続けるのだった。

                                  (了)



 

 

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