第11話 熱血法科的場くん
スパイスの効いていないカレーにはガラムマサラをかけると良い。そんなライフハック。
「ありがとう。君のおかげでカレーがさらにカレーになった」
的場はわかるようなわからないようなことを言ってガラムマサラの小瓶を返してきた。
「僕もかけようかな」
実は、スパイスの効いていないカレーというのも嫌いではない。
人が、というか日本人が、人生で最初に触れるカレーというのはスパイスの効いていないカレーであることがほとんどだろう。
それは市販の甘口ルウで作ったカレーだったりお子様用のレトルトカレーだったり。
とにかくスパイスをガンガン効かせたカレーをいきなり子どもが食べたらびっくりしてしまうというものだ。
だから多くの人にとってカレーの原型は刺激の少ない優しいカレーだろう。
成長するにつれて優しいカレーでは物足りなくなったりするが、たまには基本に立ち返ってみるのもいいものだ。
学食のカレーというのはお世辞にもスパイスが効いているとは言えないが、僕はこれはこれで好きだ。
だからいきなりガラムマサラをぶっかけるということはせず、味変という形で振りかける。
残り半分くらいとなったカレーにガラムマサラをかけようかとしたとき、背後から声をかけられた。
「こんにちは!」
元気よく挨拶され、振り返ってみると、そこには忍野さんがトレイを持って立っていた。
「お、忍野さん。こんにちは」
忍野さんは梅雨の湿気にも負けず艶やかな黒髪をサラリと流し、ニコニコ笑っていた。
タッパーを返して以来、僕たちはお互いに見かけたら挨拶するくらいの関係になっていた。
「忍野さんだとっ!?」
的場は驚いたような声を上げて忍野さんを見た。
「ああ忍野さん。これは的場範一。僕の同期」
「はじめまして、忍野七海と申します」
ペコリと頭を下げた忍野さんに対し、的場は目を見開いて硬直したかと思うと、首をガクガクさせながら手元のカレーを見下ろした。顔面は蒼白になり、額には大粒の汗が見えた。
「おい、的場?」
的場は急に立ち上がり、片手で口を覆いながら言った。
「ウッ……すまない、失礼する! 」
的場はそのままトレイを抱えて走り去っていった。
「……的場さん、どうされたのでしょう?」
的場は生忍野を見たことで忍野カレーの味がフラッシュバックしたらしい。彼はエピソード記憶が相当強いタイプだ。
「彼は熱血硬派なのです。男女七歳にして席を同じうせずというやつで……」
「随分、古風な方なんですね……」
硬派というか荒廃って感じだが。
まあ的場のことはまた改めて紹介すればいいだろう。そのとき的場には硬派童貞を演じてもらわねばならない。ガチガチのやつを。
「……あの、こちら、よろしいですか?」
「ああ、どうぞ」
走り去る的場を見送った僕たちはとりあえずテーブルについた。
「珍しいですね、一人ですか?」
「はい。いつもはお弁当なんですけどたまには学食を利用しないと勿体ないかなと思いまして」
珍しいですね、だなんていつもあなたを観察していますとうっかり白状したようなものだが、忍野さんは特に気に留めている様子もない。
「勿体ない?」
「学生として学食を利用できるのは人生で限られた期間だけですから」
「なるほど」
確かに普通、大学生として学食を利用できるのは人生で4、5年。人生80年と考えれば相対的に貴重な時間かもしれないが、そこまで僕は学食を利用することを特権的に考えてはいなかった。
「先輩は大学生をやりすぎて学生の有難みがわからなくなってしまったのでは?」
「む、確かに」
僕は既に人生の四分の一くらいを大学生あるいは大学院生として過ごしている。モラトリアムの化身みたいなやつだ。フレッシュマンの忍野さんとは感覚が違っても当然か。
「でも先輩がいらっしゃって助かりました。なかなか席を見つられそうもなかったので」
雨の日の昼に一人で学食に乗り込むというのは中々ギャンブルである。
「席がなかったらどうする気だったんですか?」
「立ち食いです。そうなることを想定してカレーうどんにしたんですよ!」
「……なかなかアグレッシブな選択ですね」
僕は忍野さんの純白のシャツを見ながら言った。黒髪と白シャツのコントラストがまぶしい一方で、カレーうどんの存在が緊張感をもたらしている。
白い服を着ているときにカレーうどんとは勇気ある選択だ。蛮勇といってもいいかもしれない。
「先輩もカレーなんですね。……いただきます」
忍野さんは小さく手を合わせて「いただきます」をしてカレーうどんを食べ始めた。驚くほど器用にちゅるちゅるやっている。服にカレーが跳ねる様子はまったくない。
いったいどうすればそんなに器用にカレーうどんを食べられるのだろう。後学のためにコツを教えてほしいと思ったがなんとなくセクハラになる気がしてやめておいた。
「先輩は自作のカレーか専門店のカレーしか食べない方なのかと思っていました。カレーに一家言おありのようでしたから」
「え?」
それは褒められているととっていいのだろうか。
「そんなことはないですよ。僕はカレーならなんでも大好きです」
「そうなんですね。あ、そういえば私のカレーも食べていただいたんでした」
「カレーならいいんです。……カレーならね」
カレーとして最低限の水準を満たしていれば。
僕はガラムマサラの小瓶を手に取り蓋を開けた。
「あら? それは?」
「ああ、これはガラムマサラといって……」
待てよ。
的場とカレーを食べているときはなんとも思わなかったが、ガラムマサラを持ち歩いてるってちょっと異常では……?
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