誰が為にカレーは煮える

菅沼九民

第1話 おすそ分けカレー卒倒事件

 気絶。


 四半世紀生きてきて、僕は初めて気を失うという経験をした。


 目覚めた時、右手にはスプーンが握られていた。そして左頬には、なにやらベットリとしたものがついていた。


 僕はカレーライスに突っ伏して気絶していたらしい。


 カレーライス……。


 カレーライスか?


 これはカレーライスか?


 僕の眼の前にある「これ」はカレーライスか!?


 ちゃぶ台に乗っている茶色い「これ」は、カレーライスに見える「これ」は本当にカレーライスか!?


 僕は思い出した。気を失う直前の行動を。


 僕は食べたのだ。「これ」を。


 「これ」をカレーライスと信じて疑わなかった愚かな僕は、口に入れた。


 そして気絶した。


 まずかった。あまりにもまずかった。


 それはカレーと言うにはあまりにもまずすぎた。目の前が暗くなるほどまずかった!


 何百、何千、何万皿のカレーを僕は食べてきた。


 どのカレーも二皿と同じものはなかった。それぞれの個性があった。同じ鍋からすくわれた二皿でさえ、その時の気候や体調によって味わいは異なった。


 しかし、どれもカレーであった。口にした瞬間それとわかるほどのカレーであった。カレーはカレーの域にとどまっていた。つまり旨かった。


 カレーとは旨いものなのだ。僕は帰納的に学習していた。


 だが、「これ」は違う。僕の一定の主観からすれば明らかにカレーの度を越えている。


 一定の主観とはつまり味覚なのだが、口に入れたときの反応があまりにもこれまでのカレーとかけ離れていた。べらぼうにまずかった。 

 

 「これ」を口にしたとき、無意識下で予測していた、得られるはずの味覚、旨味、それが得られなかったばかりか真逆の、むしろ異次元のまず味(そんな言葉はないだろうが)が僕を襲った。


 そのあまりの衝撃に僕は殴りつけられたように昏倒したのだ。


 一度はカレーライスと認識したものが、どうもそうではなかったらしいという驚き。つまり視覚、嗅覚は「これ」をカレーだと告げているのに、味覚だけはそれを拒否した。僕の脳は混乱し、一切の処理を放棄するまでに追い込まれた。


 なんなのだこれは。カレーライスなのか。


 そもそもカレーライスとはなにか。そういう不毛なことを考える趣味が僕にはある。


 くだらないことを、大層大げさに考えて面白がるような、そういう悪癖がある。


 僕はカレーライスが好きだ。


 好きなものについて考えるということはそれほど可笑しいことではあるまい。程度というものはあれど。


 僕はカレーライスについてよく考える。


 しかし「これはカレーライスか」などということを考える機会はこれまでなかった。


 カレーライスに対し、カレーライスかと問う。その行為は僕にとっては、神を疑うことに等しい。


 カレーライスは当たり前にカレーライスだと思っていた。僕の眼の前にカレーライスではないカレーライスが現れるなどと想像すらしたことがなかった。


 想像力の欠如。


 ある種の学びだった。僕は僕自身の盲目的なカレーライスへの信頼を自覚した。この世の恐ろしさを知った。


 認知。その不確かさを知った。


 世界とはこうであるという認識、それが揺るがされるような体験。そんな体験をまさか小汚い六畳一間の自室で味わうことになろうとは、夢にも思わなかった。


 「これ」のまずさは正に筆舌に尽くしがたい。筆舌に尽くしがたいという言葉は、今日このときのためにあるのではないかと思えるくらいにまずい。絶筆!!


 まずいまずいまずい。


 僕はカレーの旨さを語る言葉は持っているが、まずさを語る言葉を持たない。それは当然で、まずいカレーなどというものの存在を僕は認めないからだ。


 もしかしたら、僕はカレーのまずさを表す語彙を持っていたのかもしれない。しかしあまりのまずさに脳細胞が死んで語彙を消失したのではないか、そう思えるくらいにまずかった。


 そもそも僕からすれば「まずいカレー」などという言葉は一語で矛盾している。存在し得ない存在だ。形而下にあってはならない。いや形而上にもあるはずのないものだ。


 それが今、眼前にデンと鎮座している事実。この事実を咀嚼しようとして、またクラクラしてきている。


 いや、つまりは「これ」はカレーライスではないのだ。僕にはカレーとは思えない。カレーと言われて渡されたがカレーではない。


 そうだ!


 「これ」は何も降って湧いたものではない。もちろん僕が作り出したのでもない。


 もらいものなのだ。そうだ思い出した。これはおすそ分けなのだ。


「カレーを作りすぎまして」


 そんなふうに言われて、「はあソウデスカ、カレーですか、それは大変ですね」と言って玄関口で受け取ったのだ。


 そういうわけで、僕は「これ」をカレーだと思い込んだ。


 なのに、食べてみたらおよそカレーとは言えぬ代物しろものだったからびっくら仰天、気を失ってカレー(仮称)に顔面からダイブを決めたのだった。


 カレーだと言って渡されたなら、人畜無害じんちくむがいな僕がカレーだと思ってしまうのは無理もない。


 素朴な小市民を自認する僕は隣の人にカレーをおすそ分けされたなら、それはもうカレーだと思うに決まっている。


 むしろおすそ分けされるカレーこそカレーの中のカレー。カレーオブカレーだとすら思う。


 そのおすそ分けしてくれた隣人が女子大生であったならば(驚くべきことに女子大生だったわけだが)誰がそのタッパーの中身を疑うだろうか。


 そんなやつは、隣の女子大生を疑うようなやつは、疑心暗鬼が虎柄のパンツをはいて歩いているようなものである。恥を知るべきだ。


 世界に星の数ほどあるカレーの中で、最も価値のあるカレーとはなにか。隣の女子大生がおすそ分けしてくれるカレーだ。これは信じていいことだ。僕は信じている。


 しかしその信仰、人類の夢、世界の真理は無惨にも打ち砕かれた。


 隣の女子大生がカレーをおすそ分けしてくれたという天地開闢てんちかいびゃく以来の幸運を得たはずの僕。掴みかけた理想は儚くも僕の手をすり抜けていった。


 うきうきでおすそ分けカレーを口にした僕。その瞬間、何かが弾けて消えた。視界を深い闇が覆った。


 カレーがまずい。


 おすそ分けされたカレーがまずい。

 

 隣の女子大生に。


 おすそ分けされた。


 カレーが。

 

 まずい。


 僕の柔らかな脳が焼き切れるに十分な衝撃であった。これを絶望というのだと、僕は知った。


 カレーがまずい。そのこと自体は、認めたくないが、限りなくゼロに近い確率だが、那由多の彼方に一つくらいは、現実問題として起こり得ることだ。


 カレーを作るのに失敗してしまうとか、腐らせてしまうとか、まあ何らかの超常的なサムシングの影響でまずいカレーが生まれてしまうということは、あるのかもしれない。


 だからただ食べたカレーがまずかったというだけで、僕は卒倒したのではない。

 

 そのカレーが、カレーの中で最も輝きを放つはずの、「隣の女子大生が作ったカレー」であったのが原因だった。


 僕の理論上、無限大に近い効用が得られるはずの「隣の女子大生が作ったカレー」を食べたのに、この上ない苦痛を得ることになったという現実に、僕の意識は霧散したのだ。


 ……ありえない。こんなことが許されていいのか。僕は震えた。怒りに打ち震えた。この世の理不尽さに今にも叫びだしそうだった。


 なぜだ!?


 なぜ女子大生におすそ分けされたカレーがまずいのだ!?

 

 なにかの間違いだ。


「神は死んだ!!」


 それっぽいことを叫んで僕は一息ついた。


 とりあえず顔を洗おう。


 バイトの時間だ。

 



 


 


 


 

 

 


 



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