華ちゃんのことがわからない

 華子は伸ばした週末の締め切りも反故にブッチして、逃走はしないが開き直って自室に鍵をかけて閉じこもってしまった。


 今まではストレスが爆発しても、どこかに連れて行けばなんとかおさまっていたし、話を聞いたりごはんを食べさせたりすれば、少しは落ち着いていた。


 それに、可波にそばで監視して欲しいと彼女が言っていたのに。

 突然可波も君取も根こそぎで拒絶するものだから、一体どう接していいのかお手上げ状態になっている。


 ……ということを、可波は戸惑いながらも一気に話して肩を落とした。


「急に、華ちゃんのことがわからなくなったかも」

「ふぅん。“急にわからなくなった”、ねぇ……」


 千織が可波のつぶやきを拾い上げる。


「それって、可波くんもそうじゃない。相手に見せていない部分があったってだけでしょ」


 その言葉に、可波は「あっ」と漏らして顔を上げた。

 千織は不満そうに口をへの字にしている。


「私だって可波くんに見せてない部分あるし」

「え」

「私があざといのも、ぜんっぶ計算だからね?」


 机の上に、千織が身を乗り出す。


「この前私のこと『意外に食べる』って言ったよね? 体型維持だって、見えないところで死ぬほどがんばってるの! いつもこんなの食べてたらすぐ太るよ。だけど、好きな人にかわいく思ってもらいたいから、その一心で笑顔でスイーツ食べてるんだよっ!? もー、これは可波くんが食べてよねっ!!」


 まだ一口も手をつけていない溶けたワッフルパフェを、ずいっと目の前によこされた。


 可波もすでに限界だった……が、そんな弱音は受け入れられそうな雰囲気ではない。

 無言で、自分の前にそれを引き寄せた。

 心していただきます。


「……泥酔さんの気持ち、ちょっとわかる気がする……」

「えっ、ほんとに?」


 地獄に垂らされた蜘蛛の糸にすがるように、可波は反射的に聞き返す。


 身を乗り出していた千織と、突き合わせた顔が思いのほか近くなり、顔を赤くした千織が先に体を引いた。


「ああもう、だからその顔っ。ほんとヤダ……」


 手で顔を覆ってつぶやいてから、千織は可波に視線を送った。


「ネットではエグいアダルトライターしてるし、ヤバい人だと思ってた。でも、会ってみると印象が違った。可波くんがバイト続けてるくらいだから、悪い人、じゃないんだと思う」

「ありがと。彼女はいい子だよ」

「うん。……だったら、本当は仕事、すっごいキツいんじゃないかな」

「それはよく言ってるかも。でも、今までずっと書けていたのに、どうして急に……」

「そんなの、可波くんがそばにいるからに決まってるでしょ?」


 決まっているでしょと言われても。


 思い当たらずに黙っていると。


「可波くんが泥酔さんを、華子さんとして扱ってるから」


 そう言って、千織は優しく諭す。


「アダルト系のために作った泥酔のはすってキャラに入り込めなくなったとか? ……なんだっけ、創作の神?を宿すなら、その器がしっかりしていないと、全部こぼれちゃうでしょ?」


 可波の瞳が揺らぐ。

 まさか、自分が良かれとしていたことが、華子を惑わせていたなんて思ってもみなかった。


「僕のせい……」

「とは言い切れないよ、可能性ってだけ」


 すぐに千織はフォローをすると、萌え袖を口元に添えて考えるそぶりを見せた。


「理由は他にあるかもしれないし」

「他に?」

「SNSは活発に動いてるし、無気力ってわけじゃなさそうなんだよね」

「……ちーちゃんて、華ちゃんのこと、よく見てるね」

「っ!? で、でも、もしそうなら! 近くにいた可波くんなら、泥酔さんのこと、私よりもわかるんじゃない? ゆっくり考えてみたら?」


 千織はごまかすようにコーヒーを手に取り、そっぽを向いた。


 可波は千織のまねをするように、口元に手を当てて今までのことを思い出す。


(他に理由? やりたいことでもあるのかな……)


 本当は経験0なのに、世間にウケてしまってからはアダルト系の執筆をすることになったと言っていた華子。

 皮肉のように、自分を作家と名乗っていた。

 でもどうしてコラムニストなどではなくて、わざわざ作家という肩書きを選んだのだろう。


 作家……といえば、リビングには若手の新書がたくさんあったっけ。

 すべて献本だと言っていたけれど。

 そんなにたくさんの出版社から、作家と名乗っているだけで出版をしたことのないアダルトライターに、送ってもらえるものなのだろうか。


 水族館に行く前、街の本屋の前で止まったのも、考え事をしていたんじゃなくて新刊のポスターを見上げていた?

 それを気づかれないように、慌てて誕生日のことを話した……。


 いつも、同じ年代の若手作家たちと、自分を比べていたのだとしたら。



――ねえ、カナミ。あたしクジラになりたい。



「あ」

「思い当たった?」


 コーヒーカップを置いて首をかしげる千織に向かって、可波はパンっと両手を合わせた。


「ちーちゃん、力を貸して!」


 頭を下げる可波に千織は目を丸くしたが、すぐに呆れたように笑う。


「まったく。ほんと、こんな超絶かわいい女の子振っといていい性格だな?」

「それは本当にそう……。でも僕、今のちーちゃんのが前より好きだよ」

「ふん、そーゆーとこだよ、人たらしめっ」


 千織はそう言うけれど、嫌がっている表情ではなくて。


 嫌われてもおかしくないはずなのに、まだ付き合ってくれるという彼女に、可波は確実に救われていた。

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