僕はちーちゃんと話したい

「あ、すみません……。はい、家にはいるんですけど、ちょっと体調がよくないみたいで……。申し訳ないです。はい。絶対に今週末までには書いてもらいます」


 事務所からのお叱りの電話を切り、可波はキャンパスのベンチにもたれかかって空を仰いだ。

 こんなにいい天気なのに、気分は一切晴れなかった。


 あのあとも、華子は頑なに書かなかった。


 今までは最悪、締め切りギリギリになれば泣きながらでも書いていたのだが、燃え尽きてしまったように仕事と向き合わない。

 このままだと華子自身も、事務所をクビになるかもしれない。


 今までになかった急なトラブルで、事務所も騒然としている。

 可波に温和なマネージャーの君取ですら、叱責の電話を寄越すレベル。


(はぁ。やっぱり、ちゃんと病院も調べておこ……)


 学生課から借りてきていた分厚い電話帳を膝に乗せていると。


「あ」


 少し先で歩いていた千織と目が合った。

 ギャルたちに背中を押された千織はひとり、不服そうな顔で近づいてくる。


「……隣、座っていい? なにしてるの?」


 久しぶりの甘い香り。

 ピンクのワンピースに、白のもふもふなボレロを羽織った千織が、長い髪をおさえて可波の手元をのぞきこむ。


 しばらく学校で目も合わせてくれなかった彼女とは、約一週間ぶりの会話だ。

 少しだけ体をこわばらせ、可波は口を開く。


「病院を探していて」

「そっか。……タウンページって初めて見たけど、重そうだね……。私も探すの手伝うよ」


 わずかに顔をしかめたあと、千織は可波の隣に座ってスマホをつけた。


 いつもと変わらず接してくれる千織の態度に、可波はホッと胸を撫で下ろす。

 ただ、彼女から舌ったらずさが消え、淡々とした喋り方に変わっていたのだけれど。可波が気づく余裕はなかった。


「可波くん、どこか悪いの?」

「いや僕じゃなくて。華ちゃんが、全然書けなくなって。心療内科?を見ていて……」


 一瞬、千織の手がピタリと止まった。

 可波は失言したかと怯えたが、千織はスマホから目を離さずにすまし顔で答える。


「……でも、心療内科って予約取れても3カ月後とかだって聞いたことあるよ」

「そうなの?」


 なるはやでなんとかしたいのに、なんてことだ。

 すぐ病院に頼れないなら、この案は終了である。早速行き詰まりを感じてしまう可波だった。


「メンタルケアまでやるんだ? バイト大変だね」

「うーん。僕には合ってると思ったんだけど、確かに書いてくれなくなってからはちょっと大変かもしれない」


 このバイトを始めて、いろんな人に「大変そう」と言われてきたけど、初めてそう思ったかもしれない。


 可波は空を見上げて少し考えた。そして。


「ちーちゃん、よかったら場所変えて話さない?」


 華子のこともだけど、千織のことも。

 このままにしておけないと思っていたので。



  ◆◇◆◇◆◇



「こっち向いて。えーやだぁ♡ かわいいー♡」


 白やらピンクやら黄緑やら……目がチカチカする色のワッフルパフェを持たされ、さらにポーズまで指定されて可波は顔を引きつらせた。


 向かいの席では、千織が満面の笑みを浮かべてスマホを向けている。


「わーい、私も撮ろっと。可波くんも入ってるから顔作ってねっ」

「顔を作る?」

「これ、インスタのストーリーに載せてもいい?」

「インスタのすとーりー?」


 アイスが溶けるまでパシャパシャやって、千織は満足したようだ。


「それで話ってなに」


 スッと表情が引いて真顔になる。

 めちゃくちゃ怖かった。


 千織に連れてこられた「ネオ韓国カフェ」は、女子のお客さんだらけで、まあまあの声量が飛び交っている。

 さらに目の前には仏頂面さんがお鎮座。

 落ち着かなさを感じながら、可波は頭を下げる。


「ちーちゃん、ごめん」


 千織は何も言わず、ブラックコーヒーに口をつけている。


「あんな終わり方は嫌だなと思って。ちーちゃんとはこれからも仲良くしたいから。……大事な友だちとして」

「……なんだ、そーゆうこと」


 千織がコーヒーを机に置いた。

 反射的に、可波は背筋を伸ばす。


「そーいうの、わざわざ呼び出して言うことじゃなくない? ちょっと期待しちゃったんだけど」

「ご、ごめん」

「まったく、可波くんってほんと人の気持ちに鈍いんだから」


 ため息をひとつついて、千織は口を尖らせた。


「……せっかくだから、どうしてダメなのか聞いてもいい?」


 可波は手付かずのコーヒーの表面を見つめた。

 少し考えて、覚悟を決める。


「僕はちーちゃんが思っているよりも打算的だと思う」

「……どういうこと?」

「うん。高校時代に告白してくれた後輩と付き合ったことがあるんだけど、好奇心を満たしたいだけで、彼女を見ようとしなかった」

「えっ、えっ?」


 彼女は可波のことを知らない。少なくても、そういう妙なことを言うような人間だとは、今の今まで思っていなかったのだろう。

 千織は激しくまばたきをして、眉間に皺を寄せていた。


 できれば可波も言いたくなかった。

 彼女には、自分の嫌な部分を見せたくなかった。


「今の気持ちだと、同じことの繰り返しになる。ちーちゃんは、ぼんやりしていた僕にもみんなと同じように話しかけてくれた子だから。大事にしたい」

「なにそれ。意味わかんない……」

「だよねぇ」


 愕然として、千織はうつむく。


「……可波くんは、泥酔さんが好きなの?」

「そういう理由じゃないよ。僕自身の問題だから」

「だったら、もし私を利用するのだとしても、一緒にいられるだけでいいんだけどなぁ」

「……ちーちゃん」


 千織は顔を隠すように萌え袖で肘をついて、窓の外へと視線を移した。

 長い間、無言だった。


 彼女が泣くことも覚悟をしていたけれど、千織は耐えていた。

 自分が泣くと、可波が辛くなると思ったからだろう。


 そんな子だから。

 絶対に。これ以上、傷つけたくない。


 窓の外で山手線が10本ほど通り過ぎてから、千織の視線が戻ってきた。

 もう目に涙はにじんでいなかった。


「――わかった、納得することにする。だからもうこの話は終わりね! じゃあそっちの話、聞いてあげるよ。泥酔さんどうしたの? 鬱なの?」

「……えっ?」


 何を言っているのだろうか。と、可波が驚いて言葉を失っていると、複雑そうな表情で腕組みをした千織は、


「私、困ってる人を放っておけないタイプだから」


 そう言って、椅子に背中を預けた。

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