華ちゃんがスランプです

 生放送の翌日、可波は仕事場に入れてもらえなかった。

 そして翌々日の今日。

 さすがに家に入れてはもらえたが、今度は「仕事したくない」の一点張りだ。


「あのさ、締め切り守らせるのが僕の仕事だから、このままだと二人ともクビになるよ?」

「そんなこと言われてもやだ。本当に無理! やりたくないの!」


 クッションに抱きついて首をいやいやと振る。

 また脳汁がどうのってやつだろうか。


「じゃあ気分転換にどこか行こ」


 立ち上がって華子の手を取ると、思いっきり振り解かれた。

 それだけではなく、なぜかすごい顔でにらみつけられる。


 その態度に、いつもぼんやりとしている可波も思わず目を見開いたほどだ。


「え? どしたの?」

「うるさい! 死ね! おまえのせいだ!」


 理不尽だしいいがかりである。


「僕なにかした? えっと、ちーちゃんと出かけてたから?」

「!」


 ……だったら、一概にいいがかりって言えないかも。


「ねえ華ちゃん?」


 華子の前にしゃがんで、顔をのぞき込んでみる。

 怒っているけど泣きそうな表情で、彼女の感情の正解が見えない。


「ちーちゃんと出かけて、カップルみたいな撮られ方したけど、付き合ってるとかそういうんじゃないよ」


 言い聞かせつつ、どうしてこんな自分がこんな言い訳をしているのかわからなくなる。

 それでも効果があったのか、華子がチラリと視線を向けた。


「…………どうせ、素直じゃないし」

「え?」

「とにかく、今はあんたの顔見たくないの!」


 ちょっと痛いくらいには、ばしばしと殴られた。


「はあ。あたし、なんでこんなやつ……」


 さらには、なんだかひどい言われようである。

 可波はため息をついて立ち上がった。


「もういいよ、勝手にして」


 きっとこれは粘ってもダメなやつだろう。


 まだスケジュールがギリギリというわけでもない。

 だったら、少しだけひとりにしてあげても。彼女もひとりで考えたいのかもしれないし。


 可波は荷物をさっと拾い上げると、振り向きもせず自分の部屋に戻って行った。



……


…………


………………



 不貞腐れていた華子は、玄関ドアが閉まる音を聞いてのそりと体を起こし、ノートパソコンを手元に引いた。

 画面はSNSを開いた状態だった。


 華子は泣き腫らして重いまぶたを半分開けて、呆然と画面を見つめる。

 サーチワードは「泥酔のはす」。


 エゴサーチの最新結果に『痛い』や『頭おかしい』などのワードは前から出てきてはいたが、最近は『勢いがなくなった』『つまらない』などの批判も増えていた。


 顔出しをしてアダルト関係の仕事をし、配信で炎上もしていればアンチも多い。


 ネットでは擁護よりも、叩かれることや煽られることがほとんどだ。

 それを毎日毎日浴びていて、普通の人間なら心が保つはずがない。


 だから今まで「泥酔のはす」という衣をまとって、自分の心を切り離していたのだ。


 それなのに――。

 最近、心がざわついている。



「お姉ちゃんみたいになりたい!」


 純粋な子どもの目が忘れられない。


「華ちゃんは華ちゃんだよ」


 信じてくれているあいつのことだって。



 ――土塔可波。


 彼が来てから、少しずつ華子は自分が変わっていくのを感じていた。

 むくむくと、自分の中に鍵をかけて閉じ込めていた結野ゆいの華子はなこが、声を上げ始めている。


 それは自分のはすにとっては良くないことで。

 できれば一生出てこないでいて欲しかった。


 素の自分結野華子を抑えながら批判を浴びれば、今まで平気だった言葉も、致命傷とまでいかずとも、心に引っ掻き傷をつけていく。


「ううっ、ワーグナー……ワーグナー、助けて……」


 素なんて押し込めたかった。

 けれど、そう思っているということは、すでに手遅れだ。


 華子として扱われるようになったときから、少しずつメッキがはがれていたのだから。


 泥酔のはすの衣はほとんど消えてしまっていた。

 自分が自分であることを許されて、自然と受け入れてしまったせいだ。


 それにおけるメンタル崩壊の覚悟はしていたのに、思ったよりも精神的に来た。

 とどめの一撃は間違いなく、可波と千織のツーショットだ。


「ああ、ダメだ…………好き、なんだ、あたし……っ」


 ぽつりと、言葉とともに涙がこぼれた。

 みっともなくて、惨めで、手が震える。

 こんな、人として終わってる自分なんて、恋をする資格ないのに。

 しかもずいぶん年下の男子にいったよな、おい。


 一昨日VTRで見た、可波と千織が並ぶ姿が似合いすぎて、嫉妬で焼け狂いそうだった。


「おえっ、ごほっ! げほっ! げほっ!! ううぉ……死にてぇ……」


 自分への嫌悪感が、胃からせり上がって外に出た。

 肩で息をしながら、床に広がる汚ないそれをぼんやりと見つめる。


 ワルキューレの騎行が部屋に響く。


「人を好きになって、メンタル死ぬとか。マジで人間のバグだろ、最悪……」


 他人から見えている自分と、自分が認識している自分。

 その乖離かいりが激しくて気持ちが混濁こんだくしている。

 ガラガラと心の要塞が崩れていくのを、ただ黙って見過ごすしかない。


「もーやだ。できないよ。つらいよ、ぜんぜん楽しくないよぉ〜」


 ソファに顔を埋めて、華子は子どものように泣き叫んだ。

 ワルキューレの騎行は、夜更けまでループし続ける。

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