-epilogue-

 ぱたん。


 ハードカバーを閉じて、僕は電車を降りる。

 少し肌寒くなって来たこの季節、スーツ1枚だと夜はちょっとこころもとない。


 本屋の前を通ると、気鋭の新人作家のポスターが大きく貼り出されていた。


 『恋と水槽/海野ほえる』


 ピュアすぎる恋愛小説は、日本中の女子高生を泣かせたらしい。


 (――やっぱ、華ちゃんはすごかったね)


 彼女の処女作をいちばんに読むことは叶わなかったけれど、世の中に出てくれたおかげで目にすることができた。


 直接会えなくても。

 どんなに離れていても。

 彼女の声は僕の元に、きちんと届いた。




 早足に目的地へと急ぐ。

 閉館の30分前に、なんとか施設へと滑り込めた。


 あの日、マンションを出てから僕は、意識的に華ちゃんを避けて暮らしていた。

 会いに行こうとは思わなかった。

 彼女が好きなことに真剣に向き合う姿を見て、僕はもう誰かの人生にタダ乗りしてはいけないと思った。

 僕だって、自分の道を切り開くべきだ、って。


 そして会わなければ不思議なことに、少しずつ彼女の気配を感じ取る自信もなくなっていった。

 歌舞伎町も、最寄りの駅前も、古楽器屋のある商店街も、初めて出会った公園も。

 思い出の場所を通ることもあったけど、偶然バッタリ久しぶり!なんて奇跡は起こらない。



 ショーが終わって、悠々と泳ぐシロイルカの水槽を見上げた。

 すいっとおどけるように、イルカたちは僕の前を通り過ぎる。

 何も変わらない彼らに、一昨年、彼女と一緒に見たときに戻ったような感覚がして、心が少し温かくなる。


「じゃあね。また来年」


 館内に蛍の光が流れはじめて、僕はシロイルカに別れを告げた。


 もっと効率の良いやり方なんてわかってる。

 本当に会いたいなら、SNSを始めればいい。

 事務所に電話をするとか、方法はいくらでもある。


 だけど、なんとなくそうする気がしなかった。

 だって僕はモブだったかもしれないけれど。


「カナミっ!?」


 あの子は決してそうじゃないから。


 振り返ると、茶色の髪を肩下まで垂らした女性が走って来た。

 あら。ちょっと雰囲気がお姉さんになってる。


「は? なんでここに!? あたし去年も今年もカメの水槽前にいたんだけど!?」

「えー。カメには特に思い出がないんですが……」

「カナミに似てるって言った! なんで忘れるのよ!」

「覚えてるけど、僕は認めてないから。いや、普通シロイルカの前でしょ、どう考えても」

「あんたの普通がこっちの普通だと思うなよ」

「それは、たしかに」


 あれから2年越しの再会。

 だけどまるで昨日別れたばかりのようなやりとりに、僕たちは顔を見合わせて吹き出した。


「お久しぶりです。海野ほえる先生。かわいいね、名前」

「うん、気に入ってる。この子からもらったんだ」


 華ちゃんはシロイルカの水槽に手をつくと、彼らを愛おしげに見上げた。

 しばらく会わない間に、そんな顔もできるようになったんだなぁ。

 なんだか娘の成長を見逃したみたいで、ちょっとだけ悔しいかも。


「あれ? スーツだ。企業で働いてるの?」


 華ちゃんが僕の格好を見て、目を細める。


「うん。大学も卒業したので。もう大人ですし」

「いや、大人は大人だってドヤ顔しないから」

「厳しめ」


 あれ、僕、緊張してる。

 本当は、会えたらこんなことを話したいんじゃなくて……。


 僕は意を決して、華ちゃんに告げる。


「小説、読んだよ。一作目の『恋と水槽』、華ちゃん節が効いててさ。懐かしくて、かわいかった」


 褒めたのに華ちゃんの顔が曇った。

 締め切りに間に合わなかった当時を思い出したのだと思う。


 でも、僕は、あのときのことを謝らせたいわけじゃない。

 話題にしたのはもっと大事なことを伝えるためだったから。


 だから間髪入れず、二の句を継ぐ。


「主人公の決意にあった『誕生日の前日、私は思い出の場所に足を運ぶ。』の一文を見て。僕は初めて、自分の力で人生にドラマを作りたいと思ったんだよ、華ちゃん」

「カナミ……」

「人生にドラマがない人なんていない。そう思い込んで動かないか、気づいていないだけだ」


 苦しげに涙を浮かべていた華ちゃんだったけれど、ふっと柔らかい表情に変わった。


「うん。あたしも、そう思ってたよ」


 その顔を見て僕はやっと、残っていた緊張を深いため息とともに吐き出した。


 ……まあ今度は別の要因で、心臓がうるさいのだけれど。


「ああーどうしよ、今、すごくどきどきしてる」

「あはは。ドラマのオープニングでも始まったんじゃない?」

「それは、ヒロイン次第かなぁ」

「え。あ……! ちょっと待ってて!」


 華ちゃんはそう言って、ゴソゴソとバッグの中を漁り始めた。


「あった。……あのね!」


「いたぞー!!」


 水族館に似合わないオラついた大声に、僕らは声の主を探す。


「げっ」

「え。げって、なに??」


 なぜか華ちゃんの顔が青いのですが。


「あそこだ、海野せんせー!!」


「やば、編集がここまで追って来ていたか」

「ええっ!?」


 奥からドタバタと走ってくるスーツの男性が2人……。


「ほら、逃げるよ!」

「僕も!?」


 なぜかよく分からず、手を引かれる。

 繋いだ手の間に、ゴツッとした小さなおもちゃのような感覚があった。

 さっき華ちゃんがバッグから取り出したものだろう。ふたりの手からはみ出るようにして、長いストラップが垂れている。


 ……あっ。

 まさか、いつか僕が冷蔵庫に入れておいたシロイルカのストラップだろうか?


 しかしそれを確かめるすべもなく、デタラメのように見えて相変わらず天才的な俊足で逃げる彼女についていくので僕は精一杯だった。


 ……まあいっか。

 安心材料にすがらなくても、僕が少しだけ死ぬ思いをして勇気を出せば済む話なのだから。


 ところでもうひとつ気になっていることが。


「あれ? ねえ今度は胸張って、本当に好きなことやってる……んだよね?」


 そう問うと、彼女は走りながら器用に振り返った。

 そして、にやりと笑って。


「本当に好きが仕事になったからって、仕事が好きだと思うなよ!!」


 あっこの子、お姉さんなのは見た目だけで中身は全然変わってない!


「やっぱ、華ちゃんは、僕がいないとダメだねぇ……」

「ぷはっ、言うじゃんカナミ! ま、ほんとのことなんだけどっ!」


 いうて、わろとりますけれど。

 さて、どこで捕まえて編集さんに引き渡すかなぁ……。

 僕は無意識にそんなことを考えている自分に気づいて、苦笑する。


 そんなわけで。



 もし、これを読んでくれているクリエイターさんがいるのなら、僕はあなたの創作意欲に敬意を表します。


 あなたがどこで活動しているのかはわかりませんが、孤独に苦しむことも多いかもしれません。芽が出ないと焦ることも。

 けれど、発表し続けることに意味はあり、それはいつか、必ず必要とする誰かに届くと思います。


 それが多くの人じゃなくても。

 たったひとりだったとしても。

 あなたのアウトプットに救われる人だっているかもしれません。


 だから諦めないでください。

 それで、できれば楽しんで物作りをしてください。

 あなたが本当にワクワクできるものを、一度くらい本気でアウトプットしてみて欲しいのです。


 そばで見ていた僕は、ものづくりをする人が自分の好きなものに関わっているときのキラキラとした瞳が、世界でいちばん美しく尊いものだと知っています。


 えっと……そんな感じかな?



 あーそだ、最後に大事なことをひとつ。




 締め切りは厳守でなにとぞお願いします。





 締め切りに追われる全てのクリエイター様たちへ。


 元・締め切りを守らせるバイトより。

 愛を込めて。

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