9日で小説を完成させてください
◆◇◆◇◆◇
お互い部屋でシャワーを浴びて、再び華子の家のリビングに集まったのは19時前になっていた。
かなり泣いたし、勢いで好きとか言っちゃったしキスもしてしまった後である。
風呂上がりのラフな格好なんてお互いに見慣れていたはずだけど、なんとなく気恥ずかしくて、二人ともぎくしゃくしてしまう。
「と、とりあえず受けてる仕事は終わらせるね。3時間で出すわ」
「華ちゃん、大丈夫?」
「うん、プロだから。って今さらだよね。信頼はもうないかもだけど、ちゃんと筋は通すよ」
華子は苦笑いを浮かべ、チラと可波をうかがう。
「で、そのあとは……いいの?」
「うん。しばらく新規は受けないように、僕がガードする」
「はあ。カナミぃ、どーなっても知らないからね?」
「いいよ。僕が読みたいものを目の前で書いてもらえるなら、たとえクビになっても悔いはないよ」
「そ」
短く返事すると、華子はパソコンに集中してしまった。
こうなってしまったら話しかけても上の空だ。小さく音楽を流しても邪魔だと怒られる。
カタカタというパソコンの音だけがリビングに響く。
可波は華子の働く姿を、キッチンの掃除をしながら眺めた。
嫌な仕事も我慢してこなさないといけない。
それが普通の社会人の在り方なんだと思う。
だけど彼女には、好きなものを好きに書いてて欲しい。
書くことが好きな気持ちを忘れて欲しくなかった。
3時間もしないうちに、盛大にエンターキーを叩く音が聞こえた。
「しごおわぁ! キミドリに送った。死……」
「お疲れさまー。何飲みたい?」
「その辺にストゼロが〜」
「飲ませたくないから聞いたんだけど?」
「……あったかい紅茶」
「はーい」
紅茶を用意してリビングに行くと、全力を使い果たした華子がソファに突っ伏していた。
「それで、あたしの小説なんて、どこで買ってもらえるっていうのよ。サブカル系のウェブサイトに売り込む感じ〜?」
クッションから目だけこちらに向けて、華子がぼやく。
「一般公募に出そうかなって」
「え。だって公募って、お金もらえないじゃん」
「え。むしろ泥酔のはす名義で小説出すつもりだったの? それ本音で書ける? ネタに逃げないって約束できる?」
「ぐっ」
図星だったのだろう。華子が目をそらした。
悪いけど、そういうところはお見通しである。
可波はリュックから冊子を取り出した。
「それで華ちゃんが仕事している間に本屋行って、どんなコンテストがあるか調べてたんだけどさ」
「ネットで見ろよ……」
「12月1日締め切りのこれとかどう? 原稿用紙150枚以上、上限なしのジャンルレス文芸賞〜」
新人作家発掘出版社賞と書かれているページを開いて見せる。
「……待て、今日は11月20日なんですけど」
「そうだね」
「あと11日しかないんだけど」
「あ、ちなみに11月29日にアップしてね」
「なんで締め切り早まってんだよ!!」
「余裕を持って、パーティーしたいので」
「いや、余裕持たせるくらいなら、もっと先の締め切りの……」
「華ちゃん!」
ぱんっとページを叩くと、華子が黙った。
「そんなに長く仕事をストップできません」
「そ、それもそうかもしれないけどさぁ。でもな、このスケジュールは鬼すぎ……。仕事でこんなことされたら爆ギレ案件なんだが……」
ぐだぐだぶつぶつ言う華子の頭を、可波は愛を込めて撫でる。
「華ちゃんならできるよ。それにできなくてもいいから、チャレンジはしてみよう?」
「うぅ……」
しばし視線を泳がせたあと、華子は観念して目をつむった。
「あーもう! わかった、やるよ!」
やけくそとばかりに叫んで立ち上がる。その勢いで、テーブルの上の紅茶が揺れた。
「短期集中でやってやるよ! だからカナミ! あんたはしばらく部屋に来ないで!」
「あれ、ひとりで平気?」
「逃げないってば。……あんたと約束したんだし」
「というか、ごはんとか」
「それは……レトルト置いといて。たった9日でしょ。その間レトルトでも死なないわ。それに集中してるときはあんま食べらんないし」
「それが心配なんだけど」
「うるさいなー、自分のタイミングがあるの! じゃないとこんなスケジュール無理だからね!?」
そう言われてしまったら仕方ない。
しばらく会えないのも寂しいけど、邪魔はできないし……。
とりあえず栄養がありそうなフリーズドライの味噌汁とか、作り置きとかも用意しておこう。
「カナミ」
華子に呼ばれて可波が顔を上げると同時に、首元に抱きつかれた。
「終わったら隣に呼びに行くから。だから……」
ちょっとだけ言葉を迷わせたあと。
「あたしのいちばんの読者になってくれる?」
「もちろん」と可波は微笑んで、彼女の額に自分の額を合わせた。
そうして華子の執筆が始まった。
可波からお願いしたのは、書き終わるまではスマホの電源を切ってもらうこと。
事務所から直接口を出されたら面倒ということもあったけど、華子に事務所から連絡が入ると、可波的にも都合が悪かったから。
「……というわけで、11月いっぱいは仕事を受けることができません。収録も断ってください」
『いやいや! 勝手に決められたら困るよ! 泥酔先生は事務所所属で、フリーじゃないの。稼いでもらわないと会社が困るんだよ!』
約束した通り、可波は華子に新規の仕事を取りつがない。
君取の何度目かのため息を、耳元で受け止める。
『まったく。
「それは……」
電話口で少し笑うと、君取から『へ?』という変な声が漏れた。
「僕が、華ちゃんガチ勢だからです」
『意味不!!』
君取は再び大きなため息をついて、語気を強めた。
『本当に12月からは泥酔先生は通常業務に戻れるんだよね? それとドトーくんは29日中にはマンションを出てよ? 30日は部屋の解約日だから』
「すみません、了解です」
もごもごと君取が一瞬口ごもる。
「……なんかごめんね、俺も盾になり切れなくて。ドトーくんはよく頑張ってくれてたのに、上がさ……」
不満げな声で、可波を気遣う言葉がうれしかった。
「いえ、君取さんはよくしてくれましたから。今までお世話になりました」
電話を切る。
華子の原稿の締め切りを29日に設定したのはそのためだった。
彼女の小説を読めたらもう、それ以上の未練はない。
こうして小説を待っている間の胸の高鳴りには、一体どんな名前をつければいいのだろうか。
知らなかった温かい感情は、とても幸せな気分にさせてくれる。
さて、モブの自分にはしばらく役割りはない。
あとは主役が輝く最終回を、静かに待つだけである。
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