僕は少しだけ変わったらしい

 それから20分後。

 広場で遊んでいた子どもたちが道端に集まっていた。


「サクラ、そこ黄色足りてない」

「そう言うお姉ちゃんも、そこの赤い落ち葉曲がってる!」

「あれ、ほんとだ。あはは、サンキュー!」


 華子とサクラが楽しげに落ち葉をばら撒く。

 その足元には、某ゲームキャラクターである黄色いネズミの落ち葉アートができかけていた。


「すっげー!」

「ぴえんさん、茶色い葉っぱ持って来た!」

「ありがと、じゃあ耳んとこ詰めといて。あと、あたしはぴえんじゃない! の・は・す!」

「ぴえんさん、俺もやりたい!!」

「聞けよガキンチョ!!」


 華子がアウトラインを描き、中身を見合った葉で埋めていくだけの落ち葉アート。

 色さえ決まっていれば、小学生でも参加しやすい。

 よく考えたなぁ。と、可波は少し離れた道の端から眺めた。


「んじゃあとは完成までよろしく。サクラ、あんたがリーダーだからね」

「う、うん!」


 華子は緊張に顔をこわばらせた少女に微笑むと、可波のもとへと走った。


「はい、ジョウロ。水入れて来たよ」

「じょーできじゃん。さすがあたしのかなみん♡」

「なにそれ……。あっ、重いから気をつけて?」

「お??」


 ジョウロを両手で受け取った華子の体が、ぐらりとよろけた。


「カナミ、後ろで支えてて」

「いいけど、なにするの?」

「うーん。『絵は無理だけど、文章でなら表現できる版権シリーズ』にする。つーわけで、黒ネズミに決定。作家の底力を見せてやる! カナミはあたしに合わせて!」


 華子はジョウロの先を持つと、さっと軽やかに地面に撒いた。

 細いただの線が重なり、みるみるうちに“黒ネズミ”の形を作り上げていく。


「言ってることがめちゃくちゃだけど、ほんとだ。描いてはいけない絵を描いてるはずなのに、なぜか版権的には問題ない……」


 可波は謎の力に恐れおののいた。


「あー!! それミッk」

「その先は言っちゃダメ! 今後も安寧あんねいな生活を求めるならな!」


 子どもたちの言葉を遮って、華子が物騒なことを叫ぶ。

 喋りながらも手は止まらないため、可波は動きに合わせてジョウロを支える。


「そこ、暇なら傘貸してあげる。先っぽに水つけて、絵描いてみ?」

「わたしやりたい!!」


 ジョウロが軽くなったのを確認して、可波はそっと華子から離れた。

 そして遠巻きに、芝生で座って見ていた千織の元へ行く。


「すごいな。泥酔さん、文章だけじゃなくてアートもできるんだ」

「ね〜、器用なんだよな〜」

「可波くんと息合ってて、ちょっと嫉妬かも」

「僕はなにもしてないよ。少し手伝っただけ」


 千織の隣に座った可波は、苦笑いして再び華子を眺める。

 あれだけ華子を避けていた子どもたちが、今は彼女を中心にして遊んでいる姿がまぶしい。


「あの、土塔くん。さっきはごめんね……?」


 千織と逆方向から、恐る恐る声を掛けられた。

 見れば、白ギャルの美々がちょこんとしゃがんでいる。その後ろには黒ギャルの里香もいて、こちらは立って頭をかいていた。


「うん。さすがに言いすぎた。マジごめん」


 里香が片目をつむって手を合わせた。


「ネットだと人を困らせるイメージが強かったけど、実際会うと印象違うなって……。悪いことしちゃった」


 美々も肩をすくめて謝る。

 可波は首を横に振り、二人を許した。

 言葉をかけなかったのは、せめてもの反抗かもしれない。

 

「お姉ちゃん!」


 少女の声に、可波たちの意識がアート会場へと戻る。


 ひとりぼっちだった少女が、華子のワンピースの裾を引いていた。

 華子はツインテールを宙になびかせ、不思議そうに振り返る。

 もうすっかり涙が引っ込んでいた少女サクラは、華子に向かってはにかんだ。


「あたし、大きくなったらのはすお姉ちゃんみたいな、かわいくてかっこいい人になりたい!」

「へー。……え。あたし!?」


 意味を理解した途端、華子の目が大きく見開かれた。


「ずるい! あたしもぴえんのお姉ちゃんみたいになりたい!」

「俺も! ライバーなんだろ? 弟子にして!!」

「は!? ちょ、あたしはそんな……」


 いつものように偉そうな大口を叩くと思いきや、華子は素で困っていた。


「ちょっとB班、なに散らかしてるの!? ってまた黒のあなたァ!?」


 そんな彼女たちに横槍を入れるように叫んだのは、ボランティア責任者のメガネの女性。


 冒険プログラムで森散策の引率をしてこの場を離れていたが、ちょうどA班の子どもたちと帰還したところにバッタリ。という感じ。


 華子はメガネの女性を見て、顔を引きつらせる。


「げ」

「げ! じゃないですわよ! ボランティアしたいというから許可しましたけど、清掃もまじめにやらないし、散らかすし! くどくど! くどくど!!」

「うっ…………サンッ!」


 大人に叱られ慣れてない華子はストレス耐性がなく、生理的に無理と判断したらしい。ワンピースをひるがえして瞬時に逃亡した。


 そんなことと露ほども知らない女性。

 華子がいなくなった後も、道のアートを見ながらくどくどぶつぶつやって子どもたちを困惑させていた。


 仕方がない。

 これが華子なのだから。


 可波は苦笑して、代わりに謝ろうと立ち上がる。


「あ、待って!」


 服の裾を引かれて止められた。

 なぜか泣きそうな顔の千織に驚いてしまう。


「どしたの、ちーちゃん?」

「や、なんだろ。ちょっと苦しい……かも」

「病気!?」


 可波は千織の前にしゃがみ込み、額に手を当てた。

 確かに少し熱いかもしれない。

 千織は視線を下げてうつむく。

 自分の膝をきつく抱いて。


「違うの、そうじゃなくて。私、あの人が来てからちょっと胸がざわざわしてて」

「あの人?」

「うん。だって、可波くん、全然いつもと雰囲気違うんだもん!」


 千織の目からぽとりと涙がこぼれたのを見て、可波の胸の奥が軋む。


 ふと、高校時代の風景が頭をよぎった。

 あの日も、後輩の女の子が突然、可波の目の前で泣いたのだ。


(――まじか)


 そのときの彼女と千織の表情が、あまりにも似ていて。

 

 可波は、千織の額から手をそっとおろした。


「……絶対、私の気持ち、気づいてると思ってた」

「あの……、ごめん」


 考えたこともなかった。

 だって千織は学校のアイドルで、誰にでも優しくて。可波に声をかけるのも特別ではなかったはずだ。

 みんなから愛される彼女は、高嶺の花――。


 そんな彼女が今、可波だけを澄んだ瞳に映している。

 蠱惑こわく的で、めまいがした。

 里香と美々が気を利かせて立ち去る気配がしたが、可波は真っ赤になった千織から目が離せなかった。


「そのごめんはどういう意味?」

「それは……」

「私は、可波くんの彼女になれる可能性、ない……のかな」


 顔を伏せる千織。

 まっすぐな言葉に、さらに頭が熱くなる。


「えっ、と……」


 こんなかわいくて性格もいい子が、自分を好きだと言ってくれている。

 人生が大きく動きそうな甘い誘い。

 バクバクと早い鼓動に急かされる。

 よくない感情がむくりとかま首をもたげて――。


「……ちーちゃんのことは好きだよ。うれしい」


 4年前もそうして、流されるように後輩と付き合うことになった。

 可波の強い好奇心と頼みごとを断らない性格の延長線であり、特に意味はなかった。


 3カ月ほどのつたない付き合いで得たのは、あの子への強い罪悪感。

 そして、自分に甲斐性がないことを再認識して、なぜか安心したのだった。


「……けど、少しだけ、時間もらえるかな」


 知らない間に自分の心の中に生まれていた小さな変化に。

 そして泣きそうな目の前の女の子に。

 可波の胸はざわついていた。





 余談になるが、その日、落ち葉アートの画像が通行人のSNSで大バズし、翌日には街の新聞とテレビにも取り上げられた。


 華子の事務所にはボランティア団体から謝罪と、軽めに次回参加の打診が来たらしいが、可波から話を聞いていたマネージャーの君取が、本人につなぐことはなかったという。

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