誕生日なら早く教えてください

 引っ越してきて、テレビの集金以外で初めて家のインターホンが鳴ったかもしれない。


 早朝にも関わらずしつこいチャイムに根負けし、可波は布団から這い出した。

 玄関を開ける前からだいたい予想はついていたけれど……。


「おはよー、かなみん!」

「おはよう華ちゃん。早いねー」


 あくびが漏れる。多分まだ7時そこらだったはず。


 夜型の華子がこの時間にパジャマ姿ではなく、髪も服もキメているという事実が信じられない。もしかしたら夢を見ているのかも。と、ひとつの可能性が浮かぶ。

 でも一応、聞いてみることに。


「今日は華ちゃんオフだよね。なんで起きてるの?」

「オフだからだよ。遊ぼ!」


 遊びに来た小学生かーい。

 華子が休みということは、もちろん可波のバイトも休みである。


 久しぶりの終日休み。

 千織のことも考えたいし、ひとりでゆっくりと過ごそうと思っていたけれど、特に予定のない可波に毎度のことながら選択権はなかった。



  ◆◇◆◇◆◇



 10分ほどで可波が支度してから、二人で街に出た。


 バイト中とやっていることは変わらないと思ったが、街の様子はいつもと少し違った。


 土曜日だからだろう。駅前はいつもより人通りが多い。


 気をつけないとすぐ人の波に飲み込まれそうなものだが、華子は平日と変わらず、マイペースで突き進む。

 可波だからよかったものの、マネージャーの君取だとはぐれていただろう。


 ズンズン歩いていた華子が、急に足を止めて立ち止まる。

 大きな商業ビルの前。

 1階に入った本屋の大きな販促ポスターの前で、何かを考えるように立ち尽くしてから振り向いた。


「そういえば、あたしの誕生日は明日なんだけど、なんで今日が休みなの?」

「え」


 初耳だった。


「たしか28さ……おっと」


 可波は飛んできたパンチを軽々と避ける。


「そこはいいんだよっ……」


 華子は当たらない拳を腰元で握り直し、悔しそうな声を絞り出した。


「なにそれ、もっと早く言ってよ。君取さんに伝えて休み調整したのに」

「別にいい。どうせ誕生日に予定なんてないし」


 などと言いつつも、チラチラと何べつもされる。

 えっと……。


「僕でよかったら、今日、お祝いしよっか?」


 華子の目の中に流星群が到来しているかのように、わかりやすく瞳が輝いた。

 でもすぐに、ぷいっとやって。


「べ、別に。なんか、あたしが無理やり要求してるみたいじゃんっ」

「行きたいとことか、やりたいことってある?」


 華子のツンデレはシカトした。

 しかし聞いたものの、可波自身あまり質問にピンと来なかった。


 華子はだいたいストレスが溜まると、やりたいことをやりたい放題していて、可波も毎回それに付き合っている。今さら改まってやりたいことなんて、特にないのでは。

 それよりも物をあげたほうがいいのかも?

 付き合ってもいない異性からのプレゼントだと、やっぱり消え物かしら。


「……かん」

「えなに? ピューロランド?」

「地雷系ばかにしてんのか? ちがう。……すいぞくかん、に行きたい、です」


 あまりにも遠慮がちに彼女が口にしたのは、今までに二人で行ったどこよりもかわいらしい場所だった。



  ◆◇◆◇◆◇



 どちらかというと、静かな水族館より遊園地のジェットコースターではしゃぐが好みなのだと思っていた。


 でもよく考えれば、華子の外出はアドレナリン出すときや取材のとき。それが好みだと聞いたわけでもなかった。


 水族館に入ってからの華子はいつものように騒ぐことなく、借りてきた猫みたいに大人しく水槽に見入っていた。

 本当に好きなんだ……と、可波は感心する。


 薄暗い室内とは対照的に、太陽の光が降り注いできらめく強化ガラスの向こう側。

 種々雑多な魚たちは争うことなく、水中を揺蕩たゆたう。

 目を輝かせ、水槽に張り付く華子の小さな顔を、きらきらと光の花弁が撫ぜていく。


「えっなに!? もしかして、あたしだけ楽しんでる? ごめん。カナミはつまんないよね……」


 華子と視線がぶつかって、自分が彼女の横顔を長時間見つめていたことに気づいた。

 意識すると恥ずかしい。


 だけど可波が言い訳する前に、早とちりした華子は、犬が耳を垂れるみたいにしゅんとしてしまった。

 そんなわかりやすい様子に、思わず笑ってしまう。


「ううん、楽しんでるよ。それに今日は華ちゃんが主役なんだし」

「ほんと!? じゃ、隣の水槽いこ!!」


 すぐに機嫌が直るのも、彼女のチョロかわいい長所である。


 華子に腕を取られた可波は、つい小走りになる彼女についていく。

 カップルや家族連れの多い水族館を、二人でいろいろな水槽を見て回った。

 ちなみに華子によれば、可波はカメに似てるとのこと。一切認めなかったが。


 シャチに水をかけられたり、アシカの家族ショーに笑ったり。

 大学の友人とも遊びに行くことはあったが、自分がここまではしゃいでしまうことに可波は少し驚いていた。


(そういえば、ちーちゃんにもそんなようなこと言われたっけ)


 もしかしたら、華子には自分が思っている以上に心を許しているのかも。

 そう考えると、少しくすぐったいような気持ちになる。


 それから二人は、大きな水槽の前で足を止めた。

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