華ちゃんは尊いですね?

「終わったぁ〜〜〜〜〜〜!! っだらあ!(ツッターン!)」


 華子はソファに寝転がったままパソコンのエンターキーを押すと、ばたりと顔から倒れた。


 と思えばパッとおもてを上げて目を光らせると、獲物を見つけたように、向かいの床に座って勉強をしていた可波に飛びついた。


「かなみん! 終わった! 褒めて! 褒めて〜!」

「えらいね、おつかれさまー。おやつもあるからねぇ」


 可波がもしゃもしゃと頭を撫でると、ようやく気が済んだらしく、満面の笑みで隣にぺたんと座った。


 距離が近い。


 一話あけた途端の狂犬のこの変わりようチワワ化は、さすがに妄想と願望と性癖がすぎるのでは?と、不信感を持たれる前に説明したい。


 まずひとつめの要因だが、歌舞伎町に行った日から、華子は可波に対して少しずつ心を開いていった。

 一緒に部屋で過ごすことも慣れてきたし、なにより名前で呼び合うようになって、心の距離が近づいたのは事実である。


 だがチワワ化は、昼間起こったとある茶番が、ふたつめの要因になったと言わざるを得ない。




 それが、ほんの数時間前のこと。


 昼食を二人でとったあと、可波は華子のスケジュールを確認。明日から続く収録に危惧し、今日からプロットを進めてもらうことにした。


 しかしまだ締め切りは先の仕事なので、華子にとても嫌そうな顔をされる。

 できるところまででいいからと説得し、机に向かうまでに1時間かかった。


 そうしてようやく座ってくれた華子の背中に向かって、可波は不思議そうに尋ねる。


「でも、華ちゃんって文章を書くの好きなんだよね?」

「それがなに?」

「なのに、どうして毎回毎回、ツラそうなの?」


 何を戯言ってるの?という風に、大きな目が振り返った。


「好きを仕事にしても、仕事が好きかどうかは別でしょ?」


 そしてこの顔である。



  ◆◇



 原稿はパソコンで書くが、プロットだけは紙に書くのが華子のやり方だった。

 プロット。いわば全体の骨組み。

 どんなストーリーを描くかの設計図の部分だが、昨今ではエクセルやワード、メモ機能やアプリを使う人が多いだろう。本人は「紙で見る方が全体を俯瞰できるから」と言っている。


 そうして華子がノートと向き合っている間、手持ち無沙汰になった可波はふと本棚へ足を向けた。


 仕事場であるリビングには、背の高い白い本棚が並ぶ一角がある。意外にも、いちばん上の7段目までぎっしりと本が詰まっていた。


「へぇ、華ちゃんって本当に作家なんだなぁ。これ、全部読んでるの?」


 改めてその量の多さに感心していると、ノートに向かってうなっていた華子の声がピタリと止んだ。


「あー、それ? 献本献本。編集部から送られて来るんだよねー。捨てらんなくて増えてく一方で、テキトーに置いてるだけ。暇なら好きに読んでいいよ」

「ふーん?」


 置いてあるのは、ほとんどが小説だった。

 直木賞とか芥川賞で取り上げられたものとか、本屋大賞で見たものまで。割と新しい人気の大衆文学がずらりと並んでいる。


「これは?」


 端っこに挟まっていたファイルを引き抜く。

 何かの資料だろうか。ルーズリーフがたくさん挟まっていた。


「ちょわあっ!?」


 妙な叫び声の2秒後に、可波の手からファイルが消えた。


「これは門外不出のやつ! 勝手に部外者が触るんじゃないっ!!」

「さっき、どれでも読んでいいって言ったから」

「小説に限り、なあ!?」


 すごい形相で睨まれてしまった。

 気を取り直して。


「ねえ、華ちゃんって普段どんなの書いてるの?」

「……今さらそれ聞くの?」


 ため息混じりに華子は言うと、可波に背を向けた。


 ここでフォローをしておくが、歌舞伎町の一件があり、可波も華子の仕事内容を把握しておこうと動いている。

 街の本屋や図書館に足を運んで探してみたが、泥酔のはす著の書籍はついにどこにも見つからなかったのだ。


 華子はノートの前へと戻り、ペンを握り直した。

 そして、ボソリとつぶやく。


「……アダルトなやつ」

「うん?」


 ――ポチャンっ、と。

 キッチンで、水滴が落ちる音がはっきり聞こえたような気がした。


 華子の視線は変わらずノートのまま。


「今はアプリのヤリレポ書いてる」

「あぷりのやりれぽ」

「高学歴の男と会ってホテルに行って、そいつらとの情事を連載してる」

「あー」


 まさかのセクシー路線。

 ナナメ上すぎて語彙がご逝去。「あー」とか「うー」とかしか言えなくなってしまったでござる。


 とりあえず仕事の内容は理解した。

 けれど、疑問も残る。


 ここ最近、華子が家から出るときは可波もほぼ付き添う。

 こっそり家を出ようとすれば100%気づく妙な自信があるが、彼女が出て行った気配はなかったはずだ。

 だから、華子がそういうことをしている・・・・・・・・・・・というのは、にわかに信じがたかった。


 けれど、それで納得した行動もある。


「だからこの前も、あんな・・・お店に行ったんだ」


 先日の地獄みたいな体験が脳裏に浮かび、すぐに振り払った。


 でも、もしそうなら、と可波は眉をひそめた。

 あの日、奥の混沌部屋まで行かなければ、彼女の仕事にならなかったのではないか。

 可波が嫌がっていたから退店したのだとしたら、仕事を邪魔してしまったのかもしれない。


「……」

「……」


 可波は華子に背中を向けるように本棚を見つめ、華子はノートに視線を落とす。

 顔が見えない二人の間に、妙な沈黙が流れた。


 確かめた方がいいのか、それとも話題を変えたほうがいいのか……。可波が考えあぐねていると。


「……ほんとは……ない」


 ほとんど、蚊の鳴くような声だった。


 うまく聞き取れなくて可波は振り返る。

 華子はノートに向かってうつむき、ぷるぷると背中を震わせていた。

 だが。


「そーゆー経験、ないですが!?」


 だんっ!と机を拳で叩くと、責めるように可波へと振り返る。


「アダルト系書いてるけど、ほんとはそういう話よくわかんないしっ!」

「え?」

「しょ、処女で悪い!?」

「待って?」

「別にモテますが? ただちょっと機会がなかっただけですが??」

「何も言ってないよ?」


 一気にまくし立てられて、なんだかよくわからなかったけど。


「なんで拝んでんだよ! 拝むな!!」


 一応、手を合わせておいた。

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