迷惑配信はやめようね

  ◆◇



「うん、おっけー……っと! ふぃー、あんたらがいてよかったぁ。とりあえずさんきゅー」


 歌舞伎町のリサーチを終えて立ち上がったのはすだったが、トヲヨコの少女らがやけにニヤニヤと自分を見ていることに気づいて眉を動かした。


「ねねね、あのおにーさん誰? 界隈じゃなくない?」


 そう言って、黒いボブヘアにピンクのインナーカラーを入れた少女は下世話な笑みを浮かべる。

 のはすはその意図に気づかず、首をかしげた。


「ああ、うちのバイト?」

「いやん! うちのバ・イ・ト♡だって! こんなとこに連れてくるなんて、やるじゃんのはすす!」

「? なにが?」

「さっさと付き合えって〜!」

「はああああっ!?」


 瞬間湯沸かし器よろしく真っ赤に沸騰して、いらんことをよく喋る少女に詰め寄る。


「ち、違っ!? そーいうんじゃないからっ!」

「えー、のはすすがカップル配信?」「だりー」

「やんねえ!! おまえら、ままま、まじでやめろよぉ!?」


 冷やかされ慣れてないため、事故が起きている。


 挙動不審の半泣き。

 のはすは意味不明な言語を叫び散らしながら、年下女子の頬を引っ張っていた。まるで小学生のケンカである。落ち着け。


 そんな可愛らしい行為を受け入れながら、ストローを突っ込んだストゼロ片手に少女は笑う。


「界隈ってやたらつるむけどぉ、『また明日』つって次も会えるか期待できないし、お互い干渉もしないじゃん。『今、この瞬間楽しいかどーか』が全て! でものはすすはおにーさんと、明日の約束ができるんしょ? ウチらと違ってマジ尊いわー」


 はらり、と少女の頬から手が離れた。

 のはすの目が曇る。目尻がぴくぴくと痙攣した。表情は苦々しく歪んでいる。


「な、なんだよそれ。あたしは、違う。なにも変わってない……」


 座り込む女の子たちはのはすの気持ちも知らず、指を差して笑っている。




 ――以前、泥酔のはすも、この場所に座っていた。


 今よりも仕事が少なく、配信の金で細々と命をつないでいたころ。自分が世の中から必要とされていない気がしていた。今よりも彼女は、随分と鬱キャラだった。


――『大丈夫』『なんとかなるって』『泥酔ちゃんなら余裕でしょ』


 思い悩んで、悩んで悩んで悩んで。

 意を決し、苦しい気持ちを打ち明けたときの無責任な大人たちの言葉は、彼女を傷つけ、失望させ、追い詰めた。

 もう次の日を迎える元気すらない。

 怖くて不安で、いつしか頭の中には「消えたい」というたったひとつの願望で埋められるようになっていた。


 そんな彼女がたどり着いたのが、歌舞伎町トヲヨコ界隈。


 お互いに本名も知らない少女たちは、誰もが同じように心に傷を抱えながらも笑っていた。


 度数の高い酒を飲んで大笑いすれば、不安が一瞬でも拭えた。今夜こそ死ねると思っていたのに、気づいたら夜を越えていて、呪わしい翌日を迎えていた。


(――ま、死ぬのは明日でいっか)


 その気持ちは本物だったはずだ。

 けれど、なぜか翌日もその翌日も、孤独な少女たちと一緒に朝日を眺めていたのだ。

 それは希望の光……には決して見えなかったけれど、また絶望までの時間ができてしまう。

 力技で日々を生かされていた。

 彼女がSNSでバズるまで、それは続く。


 ――だから、今の自分があるっていうのに。


 きゅっと、鳩尾みぞおちの上が痛む。


 結局、自分は出て行った側だ。

 古巣から突き放されても仕方がない。


 だけど、大きな穴が開いたような胸の痛みは、理屈とは関係なく襲ってくる。


「え、知ってるけど?」


 首をかしげた少女の、ピンクの毛束がさらりと揺れた。

 言葉の軽さとは裏腹に、慈愛に満ちた瞳でのはすの言葉を受け止めていた。


「なんで泣きそうやねんw ウチらはぁ、どんなのはすすでも迎えてあげりゅ♡ だから安心して、リアルも大事にしにゃさい♡」


 いつの間にか周りの子たちも、のはすに好意的な笑顔を向けていた。

 少女に鼻の頭をツンツンやられて、のはすはようやく「あっ」と目を見張る。


 誰ものはすのことを拒絶しようとは思っていなかった。

 お互いの事情に踏み込むはずのない少女たちは、そのルールを少しだけ破って。

 ただ純粋に、彼女の幸せを願ってくれている。

 その理由はシンプル。“界隈”だから。


「……なんだよ、リアルって。そもそも、カブキはバーチャルじゃねーからっ」


 目頭が燃えるように熱くなって、のはすはわざとそっけない態度を取った。


「えー、だいたい夢の国だろw」


 そんな彼女に対しても、気を悪くすることなく誰かが答えた。

 適当に返してるくせにまあまあセンスがあるものだから、こんなときなのに思わず吹き出してしまう。


「ふふっ。そうかも」


 気づかれないよう、一気に目元を拭って。


「あやべ、リスナー放置プレイ中だったし、あたしもう行くわ」

「うい。元気でなー、泥酔ババア」

「だっから、ババアって言うなっ!!」


 キレたパフォーマンスをしながら背を向けるのはすを、少女たちは楽しげに見送る。



 のはすに気づいた可波が、手を上げかけて慌てて口元を押さえた。

 「喋るな」の命をまだ守っているらしい。


 可波の持つスマホが、ゆっくりと向けられる。


(そうだ。今のあたしは、泥酔のはす。そしてトヲヨコ界隈出身の、つよつよライバー)


 トヲヨコの名を背負うプライドが。

 彼女に、配信用の顔を作らせる。


「ただいまー! 界隈いわく、近くに人が寄り付かない謎のビルがあるんだって。ふふん、あたしがカブキの闇を暴いてやるぜ!」


 まだ、胸がくすぐったくてそわそわして。

 だいぶ頬が上気している。



  ◆◇◆◇◆◇



 のはすに「絶対に喋るな」と言われていたから可波はなにも言わなかったが、彼女が目指したのは有名なヤクザビルだった。


「凸るとこ、ちゃんと見てろしっ!?」


 本当に、かなり有名なのに。

 可波からは配信画面が見えるが、「フリでしょw」「仕込み?」などのコメントが流れている。

 可波もそうだといいなと思っていたが、カメラに向かって吠えるのはす。ガチで知らないみたい。


 意気揚々と突撃して行く彼女を一応カメラも追うが、可波だけ途中で引き返し、ビルの外で待機した。

 まあ、待機というほどでもない。

 のはすが大泣きしてビルを出てくるまでに、1分もかからなかったから。



 たくさんのコメントと投げせんが飛び交う画面を見ながら、可波は「ライブってすご」と感心していた。

 自分には一生縁のない世界だな……とも。


「うえええん、ギフトいっぱいぎだぁ。これでコスメ買゛うぅ〜〜」


 のはすはのはすで、スマホを覗き込みながら、懲りずに地獄みたいなことを言うのだった。

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