そもそも脳汁ってなんですか

 思い切ってのはすを外に連れ出した可波だったが、困っていた。


(どうしよう。のはすせんせーがテンション上がりそうなものなんて知らないし。……ストゼロ以外に)


 完全ノープラン。

 そもそも実妹以外の女の子をリードした経験はない。

 可波は青く澄んだ空を見上げてにっこりとした。

 ――詰んだ。


「ちょっとぉ、キリキリ歩いてっ、よっ!」


 リュックごと背中を押されて、可波は前によろける。

 ふんっと鼻を鳴らして彼を追い抜くのは、作家の泥酔のはす。行き先が決まっているかのように、その足取りは軽い。

 プランを悩むだなんてとんでもなかった。

 迷わせてもらう暇すらなく、彼女を追う。



 街を歩いていると分かったが、のはすはとても目立っていた。

 確かに彼女、顔立ちは整っているし髪ツヤもいい。

 華奢な脚が重そうな厚底シューズでやすやすと歩いている姿は、大きな武器を振り回すゲームのロリキャラっぽい。

 街ですれ違う人々の二度見・チラ見・振り返りを後ろで観察しながら、上下ウニクロの無難な大学生は「人種が違う」と思った。


 それはそれとして。


「のはすせんせー、待ってよ、どこ行く気?」

「はあ?」


 あまりにもスタスタ先を行くのはすに、見かねた可波は声をかけた。

 のはすは足を止めると、可波を上から下までなめるように見た。

 つまらなさそうだった表情が急に、ニチャア……と汚い笑みへ変化する。

 完全に、よからぬことを思いついた顔である。


「バイトはなんか楽器弾ける?」

「? なにも?」

「そ、じゃあんたタンバリンね!」


 そう言うと、くるりときびすを返し、のはすは近くの古楽器屋に入った。


「やっほー、おやっさーん! 例のあれ貸して、出番だぁ!」


 客のいない狭い店内を見回して、のはすは楽器の間からチラチラ見え隠れする三分刈りに声をかけた。


「ん? おお!」


 ウサギが巣穴から顔を出すように、キーボードの向こう側から男らしい眉毛と目がピョコッとのぞいた。


「久しぶり泥酔ちゃん。なんだおやっさんって。最近の子は言わねーよ、年齢出てるぞ」

「おいサービス業だろ、客に向かって一言多いわ」

「俺たしかに老けてるけどさぁ、あんたの3つ上とかだぜ?」


 売り物のギターを乾拭きしていたガタイのいい男性は、「やれやれ」と藍色のエプロンで手を拭きながら立ち上がった。

 その視線はのはすを通り越し、店先で猫を撫でていた可波へと移る。


「彼は? 新しいクリエイター?」


 あごをしゃくって、のはすに促す。


「ううん。あたしの監視員」

「……泥酔ちゃんついに法を犯したのか?」

「おい」


 とことん信用のないのはす。

 同情した可波は、会話を聞いていないふりをして猫を撫で回し続けた。



  ◆◇◆◇◆◇



 夕方手前のさるこく

 ふたりは駅前広場に立っていた。


 膝丈の木箱のスイッチを入れて、可波は振り返る。


「こっちはオッケー。……本当にやるの?」


 可波の気乗りしない声にも動じることなく、のはすはスマホをいじってスタンドに立てていた。

 さっきまで着ていた緊縛ウサギプリントのTシャツワンピは、重そうなフリルのブラックドレスに変わっている。


「もちろん! 用意はいい?」

「あ、待って待って」


 慌ててのはすにマイクを渡す可波も、ジャケットのセットアップに着替えている。

 出がけに背負わされていたリュックには、のはすが用意したふたり分の衣装が入っていたのだ。

 まあなんと、準備がよろしいことで。


 キュイイイイイイイン!!


 マイクの電源を入れた途端、木箱のスピーカーが震えて思わず可波は耳をふさいだ。

 大音量のハウリングに驚いた通行人が、何事かと振り返る。


「Yeah! ここにいる全員、脳汁出してやんぜぇ!」


 のはすが足元を蹴ると、次は別のスピーカーから音楽が流れてきた。

 それに合わせて、彼女は抱えていたピンクのギターをかき鳴らす。


「よっしゃ、いくぞー! ワン、ツー、スリー、フォー!!」


 すごい。

 呆れるほどに、まったくでたらめだった。


 ではここで、いかれたメンバーを紹介しよう。

 ギターボーカル、泥酔のはす。

 タンバリン、土塔可波。

 その他のパート、カラオケの音源(これがだいぶダサかった)。


 メンバー編成もおかしいし、ゲリラライブ自体も無茶苦茶だ。

 でもなにより、フォーカウント関係なく頭から歌が始まる曲なのだが……。


 そんな誰もが聞いたことのある有名な洋楽を、のはすはでたらめな英語で堂々と歌い上げる。

 鬼の心臓だなと、可波は戦慄した。


 わけもわからず、一歩引いたところでタンバリンを叩く可波だったが、ふと気づいた。

 ギターのことは詳しくないが、彼女の出す音は別に耳障りではないのだ。

 むしろ、流れてるカラオケときれいに合ってるような気も。


 それを肯定するように、平日の夕方前なのに、周りにはいつの間にか人が集まっていた。

 ふたりが奏でる曲を、観衆が笑顔で聴いてくれている。

 即興で始めた路上ライブが形になっているのは、紛れもなく彼女の才能だった。


(すごい――!)


 のはすのことは正直「傍若無人でダメな子だけど、手中におさまるチョロ子さん」くらいに思っていた。

 だけど、まだこんな一面もあるのかと知ると、ちょっと楽しくなってきたかもしれない。いや、だいぶ?


 キラキラしている彼女の背中と、お客さんの笑顔を見ながら、可波はカラオケのガヤみたいな役割を全力でまっとうしたのだった。

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