てか締め切り守れてないんですが

 仕事場からの逃亡に失敗し、うずくまってわんわんと声を上げて泣く年上の少女を見下ろして、可波はひとつため息をついた。


「あのさぁ。大人だから口を出さないようにしようと思ってたけど、今後は僕もせんせーのスケジュールを管理させてもらうんだよね」


 返事が戻ってくる気配がないので、可波はそのまま続ける。


「えっと、J社の連載コラムとH社の脚本案2本、それぞれ今日が提出日だったよね。で、それぞれ何文字書けてるの?」

「0文字だけど?」


 スッと上げたのはすの顔には、涙のあとひとつもない。

 可波も眉ひとつ動かさず、彼女のにごり切った瞳を見据える。



 大体の人間は、後ろめたさにいいわけや嘘を添えるものだ。


 遅刻している相手が言う「今家を出たとこ」は「今起きたとこ」だし、「駅に着いたけど迷ってる」は「まだ電車の中」という意味。


 そうやって少しくらいごまかすかと思っていたけれど、彼女は仕事に関して嘘をつかなかった。

 その部分は信頼できるかも。と、可波は好感を持った。


 ――それでも充分ダメなことには変わりないが。


「これってどれくらいの時間で書けるの? たとえばコラムは?」

「集中したら1時間半」

「脚本は?」

「集中したら2本で2時間強かな」


 時間を逆算してみる。


 ……あ。この人、粘ってる。


「いつもギリギリのギリまでやらなくて、最後は泣きながら書くけど確実に遅れてるってキミドリさんに聞いたんだけど」

「失礼だな、遅れてないわ! 今日締め切りなら、引っ張って翌朝8時くらいまでに出しとけば平気でしょ?」


 平然と答えるのはすに、頭痛を覚える。


「それだと間に合ってないよね? 最悪、遅くても今日の23時59分までに出さないと、今日締め切りにならないよね?」

「ところがだよ、学生くん」


 ち、ち、ち。と、得意そうに人差し指を立てるのはす。


「原稿を夜中に送っても、編集が見るのは翌朝なの。ここでスーパー・アディショナルタイムが発生! へっへっへ。これ、あたしの裏技」

「裏技(キリッ)じゃないよ……。翌朝でいいか決めるのは相手でしょ。今日中っていう約束なんだから守ろうよ」

「なんだおまえ。ぼーっとした顔して、さてはA型長男?」

「それは、当たってるけど」


 話が通じていないし、雲行きも怪しくなってきた。

 彼女が1ミリも悪気なく言ってるのだとしたら。これはだいぶタチが悪い。


 可波はのはすにまっすぐと向き合うと、順序立てて話すことにした。


「じゃあさ、今日がのはすせんせーの誕生日だとします」

「ん? 秋だけど」

「僕は学校帰りに、お祝いのケーキを買いました。誕生会をするために、のはすせんせーは家で待っています。でも、僕は途中で偶然会った友だちと遊びに行ってしまい、帰りが夜中になりました。0時に間に合うかも定かではありません」

「誕生日に人待たせておいて、クズ?」


 そう言って眉をひそめるのはす。まんまと乗ってくれている。しめしめ。


「……僕は思いました。『この時間だと、のはすせんせーは寝てるかな。ケーキ持って行っても食べないだろうし、もう明日でいいか』」

「ざんねーん! あたしは夜中がオンタイムだから食べますう!」


 いやもう、気持ちいいほど欲しい言葉をくれる。

 本当は彼女、真性のピュアなんじゃないだろうか。

 可波は笑いそうになるのをこらえて、子どもにそうするように、優しくのはすの目を見つめた。


「うん、そうだよね。編集さんも、のはすせんせーの原稿の上がりを待ちながら、起きて仕事してるかもね。約束しておいて連絡もせず、勝手に相手の都合を決めるのはよくないでしょ?」

「っ!」


 ようやく自分のことを言われていると気づいたのはすは、気まずそうに目をそらした。

 けれど胸の前で組んだ腕を下ろすことなく、横柄な態度は改めない。


 どこかそれが彼女のプライドで、彼女自身の価値なのだと信じているようにも見えた。


「でもあたしは天才だから、別にあたしのやり方でも仕事は減ってないんですけどっ?」

「……本気でそう思ってる?」

「はぇっ?」


 少し語気を強めると、のはすの声がオクターブ上がり、素直にひるんだ。


「じゃあ具体的に言うね?」


 可波の声に、さらに今までにない圧が加わる。


「のはすせんせーのせいで、関わっている人みんなのスケジュールが崩れるよね。その帳尻合わせは編集さんだ」


 のはすの口もとがひきつるのを確認。続ける。


「きっと『先生は忙しいから仕方ない』って、自分の睡眠だけじゃなく家族と過ごす時間も削って苦しい思いをするんだよ。実際はせんせーがなまけてるだけなのに。かわいそーだねぇ」

「きいーーーっ!!」


 奇声が上がった。

 ぷるぷると震える人差し指を可波につきつけて、のはすが立ち上がる。


「だって脳汁出ないんだから! しょーがないじゃん! あたしだって書けるなら書きたいけど、こんな気持ちじゃ書けないんだよっ!!」


 怒るのは自覚があるからだ。

 なんとなく彼女もわかってはいたけれど、目をそむけていた事実。

 それを可波が不躾に突きつけるものだから、パニックになったのだろう。


 可波は頭をかいて、緊張を解いた。

 なるほど、彼女にも一応、申し訳ないという感情はあるらしい。


「ちなみに、のはすせんせーっていつも何時間寝てるの?」

「2〜4時間」

「……」


 やっぱり。

 あとはスケジュール管理も気になっていた。


 彼女自身の生活習慣もそうだが、可波がさらっと見ただけでも、スケジュールが数カ月先までびっしりと埋まっていたのも心配だった。


 気持ち待ちなにもしない時間があるならと仕事を入れられているのだろうけど、それで9時間ロスしても詰め込まれた仕事をこなせるのなら、おそらく書き始めれば早いタイプなんだろう。


 ただ、毎日の締め切りが彼女のプレッシャーになっていたのなら。

 事務所のやり方にも、わりと問題があるのでは?


「今はどうしても書けない?」

「そー言ってんじゃん!」


 だから可波は、のはすと会話をしながら決めていた。

 これはちょっとした賭けでもあったが。


 ――いつもより優しく彼女の手を取って。


「じゃあ、今から出しに行こ、脳汁」


 のはすはぽかんと、可波を見上げた。

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