気持ち作りの時間、いる?

「よし。これであらかた片付いたっと」


 可波は汗を拭うと、胸を張ってまわりを見回した。

 ピカピカに磨かれたキッチン。

 ごみひとつ落ちていないリビング。

 まるでモデルハウスのように変身した、泥酔のはすの仕事場。

 まさか数時間前まで、ストゼロ缶とゴミであふれていたとは、誰も思わないだろう。


 実家にいたときは親が仕事でいなかった分、妹の世話も任されていた可波は、一通りの家事を身につけていた。

 家事も嫌いではない。自分では気づいていないが、いわゆるスパダリの素質を充分に持っている。今までそれが発揮されたのは、悲しいことにハウスキーパーのバイトだけだったが。


「のはすせんせー、そっちはどんな感じですー?」


 家事に集中しすぎて、すっかり放置していた監視対象に声をかけて「あ」がこぼれた。

 なんか、テーブルに頭を沈めてうなっている。


「神がおりてこない件……」

「? 目の前にあるじゃん」

「紙じゃなくて、神な!? G・O・D!」


 並んでパスタを食べたのが約3時間前。

 可波が片付けをしていた間、のはすはこの状態のままちっとも進んでいなかった。


「やっぱ無理。やる気枯渇。執筆終了。シャットダウンします」

「えっ。だってそれ仕事なのに……」

「おい、引いてんなし! あーもぉ、脳汁出ないし無理ぃ〜」


 開き直ると、のはすは背後のソファにダイブした。

 可波は隣に座って、力の抜けた彼女の背中に疑問を投げる。


「じゃあ、いつもどういうふうに仕事してるの?」

「うーん。この時間は瞑想してる〜」


 よくわからないけど、ヨガみたいなことだろうか?


 のはすは開放感から、調子に乗ってべらべらと続ける。


「取材や収録がない日は昼くらいに起きるでしょ〜。そんで24時まで気持ち作り(瞑想)をして、24時から朝にかけて一気に書いてる〜」

「思ってた以上にめちゃくちゃだった」

「はあ? 作家なめてる?」


 体を起こすと、のはすは昼ドラの嫌な姑よろしく、可波をねちっこくにらみつけた。興奮した鼻息があたるほどには顔が近い。


「時間かけて、気持ち作っていかなきゃ言葉って出ないの! 創作している人間は全員そうなの! あんたみたいな凡人にはわかんないでしょーけどね!?」


 作家が全員そうとは限らないのでは……と思うが。

 しかし可波はクリエイターでもアーティストでもない、一般の大学生。作家がそうと言うなら、不信感があっても黙るしかない。


 それに、可波のバイト契約の内容はこのようになっている。


・仕事の締め切りを守らせること。

・泥酔のはすの逃亡を阻止し、管理すること。


 締め切りまでに書いてもらえさえすれば、たとえ彼女が瞑想しようが寝ていようがどうしたっていいのだ。そして可波自身も、何して過ごしてもいい。自由度の高い職場だった。


 それで、さっきまで家事をしていたのだけれど。

 終わったので手持ち無沙汰。話しかければ怒られる始末。


(のはすせんせーにも、やり方があるのかも。初回だし、ちょっと様子見って感じにしとこーかな)


 諦めて、リュックを探る。学校の課題の本を読むことにした。


「え……あれ?」


 なにか言い返されるかと構えていたのはすは、可波の手応えのなさに気抜けした。口うるさいマネージャーと、反応が違う。


 所詮は学生バイトだなと、のはすはこっそりとほくそ笑んだ。

 もしかしたら君取よりもラクかも。

 ごはんも掃除もうまい便利なやつだし。服従させて好きに使って、逃げ出すまで遊んでやればいい。


「ふふーん。あたしはストゼロ飲もーっと。さーて、ドーピングドーピング♪」

「あ、冷蔵庫のやつ全部捨てときました〜」

「ア゛ーーーーーーッ!?」


 冷蔵庫の前で絶叫し、のはすはくずおれた。

 しかし彼女はめげない。


「ちくしょー、こんなところにいられるか! あたしは部屋を出て行くぞ!」

「しれっと死亡フラグ立てて出ようとしてもダメです」


 可波はリビングのドアの前で、のはすの行く手を阻んだ。


 お互いに相手の出方を見きわめるため、じりじりとにらみ合う。

 ――先に動いたのはのはすだ。


「ふははははは! 脇がガラ空きなんだ、よっ!!」

「はい、捕獲」

「なぜだッ!?」


 飛び込んできたのはすが、すぽっと可波の脇の下に挟まっていた。


「……」


 顔を真っ赤にするのはす。

 そのハマり具合は、彼女の抵抗する気力を一気に削ぐほど。本当に気持ちよく、すっぽりいっていた。


 可波はしょぼくれた犬のように大人しくなったのはすを運んで、ぽいっとピンクのソファに投げる。

 仁王立ちで文句を待っていると。


「もーやだ。あんたなんて大嫌い……」


 マジトーンでめそめそと泣かれてしまった。

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