第9話

 そして、数分が経ち、ようやく起きた担任は。

「何で、いるの…?」

 そう言って、今のこの状況に驚いている。俺が驚きたいところだよ…。拘束されたのは俺の方なのに…。

「先生が引き止めたんでしょうがっ」

「うん。そうだね…」

 ごめんなさい。と言って、あっさり解放してくれた。

 抱き心地は、そんなに悪くはなかった…。担任からほのかに香る(洗剤か香水か何かわからないけど)匂いも嫌ではなかった…。

 だから、何だと言われると…。正直、離れたくなかった。

太志たいしに怒られちゃうな…」

 ははは。と軽く笑って、何事もなかったかのように振る舞う担任を見ていると、直視できなくなってこの場から離れようと思った…。

「じゃあ、先生。また…」

 明日。と言って、ベンチから立ち上がった。

 正直、その後の記憶はあまりハッキリしてない。ただ、ひたすら早歩きで、チカちゃんがいる病院まで歩いたんだろうか…。チカちゃんの病室まであと数十歩。息切れを整えながら歩く速度を遅めた時に、

「遅い」

 ふいに開いた扉から、不機嫌そうな顔で俺に近付き、胸ぐらを掴んでいるのは。

近永ちかながくん…?」

 病人とは思えないくらいの力強さに驚き、チカちゃんの目から溢れる涙を見て、戸惑った…。

「いいから、入って…」

 俺の胸ぐらを掴んでいたその手は、いつの間にか俺の手を掴んでいた。

「はい…」

 お邪魔します。と言って、病室に入る。

きょうちゃん、会いたかった…」

「俺も…」

 ギュッと抱き締める手のぬくもりは思いのほか冷たくて、チカちゃんが病人だと気付かされる…。

「そういえば。言いたいことって何?」

「うん…」

 改まって、チカちゃんの手を握り直して、チカちゃんの顔を見る。泣き顔も改めて見ると可愛いんだなと実感する。

「近永くん、好きです…」

「はい…」

 照れるチカちゃんも、嫌いじゃない…。

「でも、付き合えません」

「え…?」

 驚くチカちゃんも、嫌いじゃない…。

「ごめんなさい…」

「ちょっ…と、それ言う為にワザワザ来たの…?」

「うん。そうだよ」

 普通に、想いを伝える。

 今日は、ただそれだけを伝えに来た…。案の定、チカちゃんは予想通りの呆れ顔だった。

「それは、どうも…」

「じゃあ、帰るよ」

 バイバイ。と、チカちゃんの手を名残惜しく離した。

 気持ちは今すぐにでも…。抱きしめたい。勿論、言えないようなこともしたい。でも、大切なヒトだから。これから作る思い出も普通に過ごせたら、と。

「ズルいよ…」

 そんな気持ちを察してか、チカちゃんは俺の体にしがみ付いた。

「京ちゃん、ズルい…」

「ごめん…」

 思わず、泣き止まないチカちゃんの腰に手を回した。

「ごめん…」

 こんな至近距離でキスすら出来ないでいる臆病な俺に、チカちゃんは泣きながら笑う。

「もう…、いいよ…」

 諦めにも似たその言葉に、少し救われた気がした…。

「さよなら…」

 でも、その言葉でもっとツラくなった…。チカちゃんがもうすぐいなくなる現実を改めて思い知る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る