霧の都
文虫
第1話
私は、歩き続けた。何もない道を歩き続けてきた。
これまでの人生、何があったかそう言われると、何もなかったと答える。
何もせず、何も残せず、ただ歩くことしかしてこなかった。
小さい頃、母親が言った。
「何でいいから一つ、自分が人より優れていると
思える何かを持ちなさい」
ふと思い出した私は、自分に人より優れているものはあるかと考えた。
なかった。
勉強も運動も、特に一生懸命にならず、見た目だって何の努力もしていないから普通以下だ。
なら何か人に自慢できる趣味はあるだろうか。
ない。
特にない。
好きなものはあるが、大好きなものはない。
そんな人生をひたすら歩み続けた。
まだまだ遠いと思っていた大人の人生が、もうすぐそこ、二、三歩先にある。
私は焦った。
頑張っている人を嘲笑って、かけがえのないものを持っている人を愚弄して、大切な何かを守らんとする人を見下した私は、恥ずかしげもなく焦った。
高校の卒業式、他のみんなが感慨に耽っているなか、私はまるで他人の卒業式に出席しているような虚無感があった。
隣に立っている友人を見た。
彼の手には様々なものがのっている。
一生懸命研鑽した思い出、挫折の経験、努力の結果、卒業したという事実、皆と喜びを分かち合う権利、彼の手のひらには、溢れんばかりの彼が生きてきた証がのっかっていた。
私は私の手のひらを見た。
私の手には何ものっていない。
何の経験も、何の努力もしていない。ただ何にも中途半端な人間という事実があるだけで、赤ん坊の頃からなんにも変わっていない恐ろしく綺麗な手だ。
私の存在価値は、なんだ?
このまま大人になって、なんになる?
私は焦った。
そして、ある噂を聞いた。
見つけるだけで人生が変わる。見つけたら何にでもなれる。人々から敬われる。素晴らしい黄金郷、「霧の都」、私は早速準備をして、歩き始めた。
霧の都は、文字通り霧に囲まれて、外からは見えない場所らしい。都を見つけるには鍵が必要で、それは見つけた人によって違うらしかった。
私は色んなものを鞄に詰めてやってきた。
霧の都へと続く道は、全く舗装されていない、砂利道だった。両側には緑が生い茂っており、絶対とは言わないが、入れそうにはなかった。
私は歩を進める。
幸い歩くことには慣れていたため、砂利道の歩きづらさも、未知への探求心でなんとか誤魔化すことができた。
私以外の足音は聞こえず、景色も変わることはない。しかし電波は届くようで、自分ではない誰かが霧の都を探している報告がたくさんなされていた。
私はそれらを、嘲笑った。
なんせ私は、まだ本気にすらなっていないのだから、余裕の笑みを浮かべるのは、当然の件利だ。
私はスマートフォンをポケットにしまった。他人が見つけた都なんぞに興味はない。
ざく、ざく、ざく、ざく。
辺りに霧が立ち込めた。
「ははっ」
ほらな、私は本気でやったらすごいんだよ。
どうせもうすぐ見つかるだろ。
霧はだんだん濃くなってゆき、両側の木々が見えなくなり、あっという間に一メートル先がまでしか見えなくなった。
ざく、ざく、ざく、ざく。
濃霧のなかに身を投じて随分長い時間歩き続けた。
何故ない?
都は霧のなかにあるんじゃなかったのか。
旅前にある本屋で見つけた解説本『霧の都の見つけ方』、あれを読んでおけばよかった。
出立前の私は、あんなのに手を出したら負けだとか、下らないだとか言ってた気がする。
今もその気持ちは残っているが、若干買っとくべきだったのかと後悔している。
ざく、ざく、ざく、ざく。
出立前に友人が言っていた。「何事も模倣から始めるのが大事だから、霧の都にたどり着いた人たちの体験を調べてもいいんじゃないか?」
私はその助言を一蹴した。
自分の力でやるからこそ意味がある。模倣したところで何にもならないだろうが。
模倣なんて所詮他人の真似事、そんなこと恥ずかしくてできない。
ざく、ざく、ざく、ざく。
ない、ない、ないないないないないない。
濃霧は私の視界を真っ白に染め上げ、地面すらまともに見ることはできない。
見つからないどころか、今私がどこを見ているのかも分からない。
「はあっはあっ」
足がいたい。足先が、踵が、足首が、ビリビリとヒビがはいったような痛みが走る。
先が見えない、どれだけ歩いてもなにもない空間が続く。私にはそれが耐えきれない。
ポケットからスマホを取り出し、画面を表示する。
そこには、霧の都を発見した人の報告があがっていた。
なんで、なんで見つからない。
私はこんな濃い霧の中にいるというのに、都何てものはどこにも見当たらないじゃないか。
他のやつらは見つけられて私が見つけられないなんてあり得ないだろうが。
ざく、ざく、ざく。
「はあーはあー」
力を抜けば、崩れ落ちてしまう。
私はもはや痛みで足が足だと分からなくなった足を、必死に動かして歩く。
見えない、何も見えない。
嫌だ。嫌だ。たすけて。
誰もいない。誰も助けてくれない。
なんで誰もいないんだよ。こんなに助けを求めてるのに、何がいけない、何をしたらいい、私はこんなにも、頑張っているのに。
霧の都は姿を現さない。
「はっ……はあっ」
鞄の中には、夢や希望、期待といったたくさんの荷物が詰めてあった。
まるで重さを感じない、鞄の重さは、未来の明るさであると勝手に思っていた。
歩を進め、限界を感じ始めた頃、鞄を少しでも軽くするために、それらを道端に捨ててきた。
だが今や私の鞄のなかは、不安や失望、悲しさ、悔しさ、後悔が入り交じっており、空っぽにしたはずなのに、はじめの数段重くなっていた。
ざく、ざく。
自分の姿すら、見えない。
まるで自らの眼が真っ白になったかのように何も見えない。
「ああ、うあああああああああああああ」
私は歩き続けた。
鞄の重みで背筋は折れ曲がり、歩き疲れで足取りは覚束ない。
それでも私は歩き続けた。
「ああ、ああ、ああ、ああ、ああ……あっ」
濃霧が、晴れていく。
徐々に自分の姿が見え始め、地面が、そして進む先が見えてくる。
ついに、やっと、都を見つけたのか。
この忌々しい霧とはもうおさらばだ。
「はあっはあっ」
さっきまでよりずっと足取りが軽くなった。
顔には笑みがこぼれ、鞄も不思議と軽くなったように感じる。
ざく、ざく、ざく。
霧が、晴れていく。先が見える。
鞄のなかには、たくさんの夢と希望と、ほんの少しの不安がはいっている。
「やっと……やっと」
ざく、ざく、ざく、ざく。
霧が晴れた。
そこは、入り口だった。
見覚えのある砂利道と、両側の深緑、私の進行方向には、私の住む街が広がっている。
私は、歩いて歩いて歩いて、歩くことしかせず、大きくぐるっと一周回っていた。
今までと全く変わらないことをやっていたことも気づかずに、歩き続けた。
私は、歩き続けた。何もない道を歩き続けて。
霧の都を探している間、何があったかそう言われた。何もなかったと答えた。
何もせず、何も残せず、ただ歩くことしかしなかった。
私の心は、折れた。
恥ずかしげもなく折れた。
何の努力もせず、ただ歩くことしかしなかった私は、恥ずかしげもなく、挫折した。
ざく、ざく、ざく、ざく。
私は鞄を捨てて、街へと帰った。
『霧の都の見つけ方』
まず始めに知って欲しいことがあります。
霧の都を見つけるのは、簡単ではありません。
霧の都 文虫 @sannashi
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