未知の金世界

 穴に飛び込み早数分。先の見えない大冒険の果てに、俺の体は地面へと投げ飛ばされた。


「けふっ、ああくそっ。口に砂が入った」


 ふらふらと立ち上がり、唾ごと口内の不純物を吐き出す。

 あーふわふわする。体内がかき混ぜられたみたいに気持ち悪いし、いますぐにでも吐いてしまいたい。

 何なんだあの通路。体が浮いたり登るような感覚に陥ったりと、明らかに必要ない構造してたぞ。

 とりあえず、周りの確認の前に少し休憩だ。このままじゃあ碌に頭も回りやしない。


「あアァー!!! どいて逃げて超助けてー!!!」


 その場に腰でも下ろしてしまうと想った矢先、後ろから響いた声に反応し横へ跳ぶ。

 直後、ついさっきまでいた場所に飛び込んだ大質量。危なっ、当たっていたらあやうく重傷だった。


「ぐへっ、ごほっ、あ゛ーぢぬっ、マジでづらいっ。あれ設計したやつイカれてるぅ……」


 俺と同じくらい、或いはそれより情けない姿で転がっている女。

 かわいそうに。だが自分で選んだ道、気にしてやる義理もないしそのままにしておこう。


 それにしても。正確にはわからないが、数えた限り大体三年ぶりの外。

 太陽の光と外の空気。暑いのだけは変わらないが、感じる熱気すらも炭鉱内とは異なる気がする。

 嗚呼気持ちいい。忘れていたが、世界はこんなに色鮮やかだったのか。


「酷い目にあった……。で少年、ここどこです?」

「知らねえ。……砂だらけだ。なんだこれ」

「なにってそりゃ砂漠でしょう。それすら知らないなんて、貴方穴蔵で生まれたんですか?」


 背後に聳える巨大な岩壁以外、無限に続くのは黄茶色の砂の大地。

 目を凝らしても木の一本すら見つけられず。何もかもが乾ききった、見たこともない世界。

 なんだこれ。想像と全然違った。こんな環境、俺のいた国には存在しなかったぞ。


「まあいい。……さて、どこに向かったもんか。出てからの当てを考えてなかったな」


 燦々と輝く陽に当たりながら、次にどうすべきかを考える。

 こんな光景を想定していなかったし、脱出してからある程度の目星は立てられると慢心していた。

 とりあえずよく職員共が話していた、あの施設と隣接しているであろう大街に向かうのだけなし。俺達の脱走騒動で警戒が敷かれてるだろう。

 となれば、残された選択は一つ。この砂漠なる熱砂を当てもなくさすらうしかないわけだ。

 

 ……そういえばあいつら、特にペテルは上手く逃げ切れたのかな。


「でしたら私に付いてきます? 闇雲に彷徨うよりは可能性があるかと」

「……ああ?」

「サンドール……最寄りの街へ寄らずに砂漠を進むのであれば、その歩みは一層過酷なものになります。生存率を上げるなら一人より二人。貴方にとっても利は多いのでは?」


 女からの唐突な提案に、思わず首を傾げながらも思考を回していく。

 旅に同行者がいるのは、確かに俺にとっても利益のある話。常に気を張っていなければならない一人旅よりも、ある程度分担できる仲間がいるに越したことはない。

 それになんといっても俺には知識が必要だ。どうにか言葉を覚えた程度では埋められない世界レベルの常識が欠けていることを実感した今、一人で進むのはあまりに無謀すぎる。


 だが果たして、そうほいほいと付いていっていいものか。

 俺とこいつはついさっき会ったばかり。信頼に足る根拠は何一つ存在していないのだ。


「……餌を守る砂猫サンガッドみたい。そんなに警戒しなくともいいじゃないですか」


 ……いかんな。流石に露骨すぎたか。こういう人の裏を考えるのは久しぶりすぎた。

 どのみちここで立ち止まっているわけにはいかない。陽動の鎮圧が終わればここも嗅ぎつけられるはず。追っ手が来るかもと考えれば、こんなところで悩んでいるのは得策ではないのだから。

 まあ最悪、こいつが俺を嵌めようとしているならそれはそれで構わない。容赦なく切り捨てて、当初の予定通り一人で進めばいいだけだ。


「わかった。どこに行くかは知らないが案内頼む。……ええっと」

「レクリヤよ。よろしく、エンド」


 レクリヤと名乗る女に差し出された手を握り、当面の友好を交わす。

 

「さあ行きましょう。……ふふっ、来ないのならさよならよ」


 レクリヤはからかうようにどこぞで聞いたような台詞を宣いながら、広大な砂の大地を進み出す。

 面倒な女だ。これは付いていく先を間違えたか。

 僅かな後悔を孕みながら、ため息をはいて彼女の後ろを付いていく。その背中に、少しだけ自由で快活であった騎士の少女を思い出しながら。






 砂漠なる砂の大地を歩くこと数時間。あれほど頭上を照らしていた太陽は、間もなく地平線に消え始めるというくらいまで落ち始めていた。

 意外にも前を歩く女と常に言葉を交わすというわけではなく。照りつける太陽の中、進んでは休憩の繰り返すだけ。それ以外の出来事はほとんどなかった。

 ともあれ別に不満はない。手を結んだとはいえ無理に馴れ合う理由はないのだし、何より今は人よりも周囲に興味を惹かれて仕方ないのだ。

 乾いた熱気と足を呑み込もうとする柔らかな地面。そして稀に生えている見たことのない植物など。

 見渡す限りに広がる未知。施設でくすねてきた水を飲みながら、柄にもなく好奇心が湧き上がってきてしまう。

 懐かしい。思えばこんな興奮、冒険者として活動し始めたとき以来かもしれないな。

 

「……それは丸棘ニータスの一種。砂漠の賭博ギャンブルサボとも呼ばれる植物です」

「ギャンブルサボ?」

「はい。中に飲用可能な水分を溜め込むのですが、種類によっては死なない程度に苦しむ毒を持ちます。故に砂漠の賭博ギャンブルサボ、砂漠を迷う旅人の運を測る魅惑の植物なのです」


 レクリヤはこちらへ説明しながら、そっと棘だらけの緑植物へ手を伸ばす。

 そんな棘だらけの植物、ナイフもないのにどうやって採取しようというのか。

 疑問を持ちながら観察していると、レクリヤは指に魔力を貯め、細長い水の刃を形成してそいつを切り落とした。


「察しているとは思いますが緑は当たりです。飲みます?」

「いや。今のは魔術マギル……いや、魔法マギアか?」

「んぐっ、ご明察。見ただけで分かるとは驚きです」


 レクリヤは俺の問いに頷きながら、水で周りの棘を落とし一滴すら零すことなく飲んでいく。

 魔法マギア。それは魔術マギルとは似て非なる、想像力による超常。

 理論に基づく術式による行使ではなく、その場で描いた着想アイデアを再現する、才ある存在にのみ許された力だ。

 当然俺には使えない。術式を思考で構築するのとは根本から異なり、空に絵を描くが如き器用さと適性を以て初めて使用可能になる神業。……あくまで普人族ヒューリアにおいてはであるが。

 俺も実際に見たのは三度だけ。そのうち一回はかつてのルアリナ……俺を殺した聖騎士ブリュンドの光の刃なので実質的には二度ほどしかないのだが、まさかこんなところでその使い手に出会うとは。

 

「なるほど。武器すら持たずに出たのは余裕の表れだったってわけか。我ながら見誤っていたぜ」

「買い被りすぎです。残念ながら得物は衣類にかまけて忘れただけですし、魔法マギア魔術マギルも魔力が尽きれば無価値でしかありませんよ」


 恥ずかしそうに顔を背けるレクリヤ。……どうやら本当に忘れただけのようだ。

 

「さて、そろそろ日没。夜の砂漠を進むのは無謀なので、そろそろ野営の準備をしたいところです」

「……休むのは賛成だが、日が落ちた方が進むには楽なんじゃねえのか?」

「まじで言ってる? 夜の砂漠は急激に冷えますし、何より夜獣も活動時間に彷徨くのは悪手の中でも最悪の選択肢ですよ?」


 俺が呟いた疑問に、常識を知らない子供に呆れるような渋い顔をされてしまう。

 確かに夜歩くのは普通の旅であっても危険だが、あの暑さと日光の元を歩くならましかもと思ったなのだが。……俺が言うのも何だが、結構口悪いよなこの女。


「そうかよ、それは悪かった。じゃあついでに教えてくれ。その夜獣ってのは何なんだ?」

「……そうですね。ちょうどいい場所もあるので一度腰を据えて話しましょう。情報共有は大事です」


 中の水分を飲みきったのか、レクリヤは持っていた丸棘ニータスを抱えて一点を指差す。

 それは大岩らしきもの。まっさらな地平の海に浮かぶ浮島のような足場。

 確かにあそこなら、砂の大地よりかは休めるかも。俺も砂の地面で寝たくはないしな。


「では一つ。是非頼みたいことが」

「……ああ?」

「ええ。察しているかもしれませんが気付かれました。……来ます」


 何を、と問う時間も意味もなかった。

 唐突に振動を慣らす地面。咄嗟にレクリヤを抱えて地面に蹴り、崩れ去る砂の足場から跳び上がり、引きずり込む流れから離れた位置に着地する。


「なんだこれ。おい、どうなっている?」

「夜獣です。どうやら私たちを獲物と定めたようですね。……来ます」


 突如砂漠に出現した巨大な渦。その中心で砂に紛れる巨大な四足の獣。

 あれが噂の夜獣。砂漠の夜に潜むという、獰猛且つ強靱な獣か。


鎧犰サンディジオとは運がいい。皮膚は硬いですが比較的狩りやすい方ですよ」

「弱い? あいつが?」

「ええ。魔獣ではありませんし、どうせ毒を持っているわけでもありませんしね」


 あっけらかんと言ってくれるが、正直そこまで侮ることは出来ない。

 あくまで目測だが、大きさはかつてり合った闘争熊バトルベアンドと同じくらい。つまり俺の倍程度だろう。

 ま、確かに魔力は感じないしちょっと大きいだけの普通の獣。この細くなった体でも充分に狩れるだろう。


「……一つ聞くが、あいつの肉は食えるのか?」

「ええ。今晩はご馳走です。あっ、ちなみに私は戦いません。頑張って下さい」

「はあっ? はあっ……」


 他人事のように宣うレクリヤに呆れてしまうも、すぐに気持ちをサンディジオなる獣へ戻す。

 命じられるがままなのは癪だが、食用になるなら好都合。下手に動かれても困るし、一人でやった方がだろうしな。

 剣を抜き、自らに強化を施し、獲物と化した猛獣の元へ向かうべく渦へ飛び込む。

 さあ脱獄祝いの贅沢だ。わざわざ出てきてくれたのだし、とっとと狩って血肉へ変えてやろうか。

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