脱出

 その日、外から隔離された無限炭鉱インフベグに激震が走った。

 切っ掛けは三度の放送ミス。不審に思った直後、それを合図かのように暴れ出した複数の囚人達。

 最終日、交代間近という気の緩み。唐突すぎた事態の急変。

 見張りの看守は次々と数に押され、抵抗も通報もする間もなく捕縛、或いは殺害されていく。


 徒党を組み、進む毎に数を増やしながら進軍する労働奴隷達。

 別棟に残る数人を除き、瞬く間に炭鉱は制圧されていく。

 時間にして三分。無敵とさえ謳われた難攻不落の陥落には、あまりに早すぎる時間だった。

 





「鮮やかァ。やるじゃねえか負け犬共」


 賛同者達は勝ち鬨を上げ、参加していなかった者達も戸惑いながら部屋を抜けていく。

 ただ一人、制御室にて施設内部を見渡していた俺は、連中の手際の良さについ拍手してしまう。

 想像以上だ。屈強な肉体を持つ奴もいるだろうが、所詮は烏合の衆だと少しばかり舐めていたよ。


「ともあれ問題はここから。後のことを考えれば、こんなところで躓かれても困る」


 映像越しでも感じる勝利の余韻を喜びながら、気を引き締め直して放送魔晶に指を掛ける。

 

『あーあー、聞こえるか諸君。共にこの地獄から抜け出そうと足掻く同士達よ』


 施設全土への放送。奴隷達は、唐突に鳴り響いた声に驚きと警戒を強めているのがわかる。


『いきなりの放送で失礼。俺の名はエンド。お前達の主導者、解放の灯たる少年と道を共にする者さ』


 万が一のことを考え、ペテルが主犯だと職員の耳に入らないよう気をつけながら続けていく。

 首謀者であろうと、名前さえ通らなければここを抜けた後も問題はない。どうせ職員共が顔と番号でしか覚えていないのは、結局指摘されることのなかった俺の首でよく理解出来ているのだから。


『今より十分の後、唯一の出入り口たる大扉を開き、外へと道を作る。それが俺達に残された、地上への帰還を叶える最後の希望になることだろう』

『馴染みあるこの炭鉱に留まるのもいい。外に希望を求めず、死ぬ前に看守共で憂さ晴らしするのもいい。罪人共は己に酔い、更なる罪を犯さぬよう信仰する何か祈りを捧げたって構わない。どのような道を選ぼうが、自身で決めたのならそれこそが最後にふさわしい選択だ』

『だがもし生存を望むのなら、命を賭してなお求め願うものがここではないどこかにあるのなら! いかなる犠牲を払おうとも! 幾人の屍を踏み越えようとも! お前達は前に進むべきだろう!』


 力強く、迷いなく、躊躇いなく言葉を紡いでいく。

 こういうのは勢いが肝心。捲し立て、焚き付け、聞き手の理性と思考を熱で染めるのが重要だ。

 俺はペテルみたいな先導者にはなれない。けれどその場限りの扇動者の模倣であれば、言葉だけで人を陥れる悪党共の再現であれば、かつて狩る側であった俺に出来ない道理などあるわけがない。


 ──さあ謳えよ悪党おれ

 舞台で踊る道化のように、見る者聞く者を一色に染め上げちまえ。


『命を捨てろ! 導き手の光に集え! 地獄と外を繋ぐ大橋を上げろ! 先に見える景色が絶望であろうと、その先にある希望を掴むまで足を止めるな!』

『俺達ならやれる。お前達なら成し遂げられる。さあ動け、さあ踊れ! ここがお前等の正念場! 己にすら言い訳の効かない、自分が主役になれる最初の最後の舞台へ上がるがいい!』


 それっぽい締めくくりで放送を切り上げ、魔晶が映す像から彼らの反応を窺う。

 困惑、不安、渇望、憤怒、興奮。こんなちんけな画面ですら確認できる、人の想いの入り乱れ。

 誰もが同じ感情を抱くことなどない。けれど一つ、足を動かし大扉の前まで歩くという行動だけは共通している。

 空気に流されるだけなのか。それとも自らが意志を確かにし、その一歩を踏みしめているのか。

 どちらでもいい。そんな個々の内側など、わざわざ俺が知ってやる義理などありはしない。

 どんな答えであろうとあくまで彼らの選択、彼らの選んだ道に過ぎない。付いていく気のない俺に寄り添う権利などない。


 しばらくして、正面の大扉──無限炭鉱インフベグ唯一の出入り口前に無数の人が集結する。

 その先頭、彼らに呼びかける一人の少年。先ほど解放の灯などと大層に呼んでやったペテルが、周囲を纏めようと奔走する姿が見て取れる。

 生憎監視魔晶は音を拾わないので彼の言葉を聞き取ることは叶わない。けれどきっと、俺なんぞには思いつかない真っ直ぐで縋りたくなる言葉を吐いているのだろう。


「……妬けちゃうな。まるで英雄あいつらみたいだ」


 脳裏に微かに残っていたどこかの子供の姿を重ねながら、再度監視魔晶に手を掛ける。


『さあ時間だぜ同胞達よ。別に怖れで蹲ってもいいが、後悔だけは残すなよ。まあそんな奴なら集う前に逃げ出してるだろうがな!』

『というわけでお前等待たせたな! 散々待たせたがそろそろ開門だ! ……じゃあ後は任せたぜ、相棒』


 放送を切り、数多あるボタンの中で最も大きな二つの片方を思いっきり叩く。

 施設中が軋みながら、大きな壁でも動くかのような重苦しい音を響き渡らせる。

 開門は成り、無事に計画は成就した。後はあいつら次第、俺とペテルの同盟はここで仕舞いだ。

 懸念は未だ姿を見せぬ総看守長のみ。……ま、どうせ通り道だし確かめといてやるか。


強くあれエンス


 開いた扉から駆け出ていく労働者達に背を向け、向かうべき場所へとひた走る。

 目的地は彼らと同じ大扉ではなくその真逆。出口のない、職員達の住居たる別棟だ。

 確かに通常の出入り口はない。職員であってもあの大扉以外にここを抜け出せないのだから、職員用の出入り口などという都合のいいものは存在しない。

 だがそれは、あくまで通常の出入り口に限った話。ここの見取り図を見つけた際、あれならば誰にも見つからずに外へ抜け出せるのではないかと考えたのだ。


 通路を駆け、ひたすらにそこを目指し続ける最中。

 唯一の懸念である総看守長がいるであろう部屋まで辿り着き、目の前の光景に疑問が浮かんでくる。

 労働奴隷が通らぬ場所に置かれた部屋だというのに、何故か扉は片方外れている。

 それだけじゃない。その先に見える贅沢な部屋の床は赤く染まり、男が一人無様にも横たわっている。

 

 あれは総看守長本人。あんなに無駄にでかい図体、ここには他にいないし間違いない。

 どういうことだ。あいつはあれでも弱くはない。醜いほどのデブだが、地位相応の魔力を持ち合わせた厄介な存在だったはずだ。

 よほどの憎悪を持奴隷に奴隷に殺されたのか。それとも、或いは職員による殺人か。

 ……どちらでもいいしどうでもいい。死んでいることに驚きはすれど、こいつの死因なぞに一秒たりとも割きたくはなかった。


 血の臭いが充満してそうな部屋へ入ることなく、再度別棟目指して走り出す。

 階段を降り、長い廊下を駆け、そしてようやく到着した別棟は、やはり人の影など皆無のもぬけの殻。

 外の対処に出ていったか、或いは全員地面に転がっているか。いずれにしても計画は俺にとって都合のいい形で進んでいるのは確かだ。


 ……ただ一つ。総看守長室を通った辺りから感じる、この不快な気配を除けばだが。


「さて、鬱陶しいからそろそろ姿を見せろ。向かってこねえんならどうせ敵じゃねえんだろ?」


 立ち止まり、後ろから付けてきた気配へ様子見がてらに敵意をぶつけてみる。

 今は時間が惜しい。相手の素性がどうであれ、とっとと片付けて憂いを払いたいのだ。


「……お見事です。出来うる限り、気配は断っていたつもりなのですがね」


 数秒の後、視界の陰から姿を見せたのは女、くすんだ白銀の髪を靡かせる褐色肌の女だ。

 囚人のくせに、こんな地獄にあっても損なうことなき容姿の輝き。

 なるほど、さてはこいつが職員達が話していた総看守長のお気に入り。交代寸前で放り込まれた哀れで幸運な女か。


「この声、放送の人ですね? 実に立派な演説でした。台本でもおありでしたの?」

「どうでもいい。時間がないから選べ。檻に戻るか、正面の祭りに混じるか。或いはここで死ぬかだ」

「あら野蛮。エスコートしてくださらないの?」


 女は向けられた敵意に何ら動じず、口元を押さえ、余裕そうな笑みを見せてくる。

 上品だがどちらかと言えば素人に近い。けれども決して無駄のない、洗練された佇まい。

 弱くはない、むしろ何かある。それこそ、この場でやれば俺も負傷を覚悟しなければならないであろうなにかが。


 ……まあいいさ。敵対しないのなら互いに他人。これ以上構う理由もない。

 

「……敵じゃないなら好きにしろ。俺の邪魔にならないよう、勝手に出て勝手に生きろ」

「それはどうも。そうさせてもらうわ」


 くすくすと笑う女に背を向け、再度別棟を走り出す。

 その辺から大きめな鞄を取り、適当に剣を奪い、食料庫で保存してある食料と水を移動が苦にならない程度に確保していく。

 よし、支度が済んだしこんな所からはとっととおさらばだ。後は出てからどうにかすればいい。

 

「貴方、もしかしてその格好で外に出るつもりなの?」

「そうだが。それがなんだよ」

「砂漠を舐めてるの!? 頭回してるのに考えなしなの!?」


 先ほどとは違い、どこから持ち出してきた珍しい服を身に纏っている女。


「平気だろ。むしろなんでだ。暑いし邪魔なだけだろ」

「はあっ!? 正気!? そんなんなのに世間知らずのお坊ちゃまなの!?」

「失礼だな。生憎外を知らないだけだ」


 女は先ほどまでの優雅さなどどこかへ放り投げ、心底呆れた視線をぶつけてくる。

 確かに今着ているのは服とさえ言えない貧相な布きれ。正直外に出る格好とは言いがたくはある。

 ただ、それは優先順位の低い問題。俺の背丈に合う服を探す暇などないし、移動に手間取る格好をするならこの布きれの方がまだ実用的だ。


「……そう。なら、尚更助言には従っておきなさい。ほら早く!」


 女は俺の返答に少しばかり沈んだ表情を見せた後、数枚の衣類を無理矢理押しつけてくる。

 わざわざ俺の分も集めたのか。こんな場所で人のことを考えるなんて、なんともお節介な奴だ。

 悪意ではないのはわかるし、とりあえず指示に従い袖を通す。

 初めて見る形式の服。地元にはなかったもので、少しばかり着るのに時間が掛かってしまう。

 

「……へえ、中々いいな。通気性も悪くない」

「ま、及第点ね。本当なら体を洗う時間も欲しかったけど後でいいわ」


 手に残った布を奪われ、ぐるぐると頭に巻かれていく。……これはいるのか?


「さあ行きましょう。出口まで案内してくださる?」

「……はあっ。遅れたらそのまま置いていくからな」

「ええ。貴方が先に倒れなければね」


 拒否しようがどこまでも付いてきそうな女に、とうとう俺は音を上げる。

 まあ服の恩はあるし付いてくる分には構うまい。どうせしばらく経てば付いて来れなくなるはずだ。


「それでどこから逃げるの? 正面以外に出口なんてないんでしょ?」

「普通のはな。だが例外はある。そもそも完全に逃げ道がないのならこんな所で働いたりはしないだろ」


 目的の場所へ走りながら、尋ねられた疑問に答える。

 如何に難攻不落とはいえ、天災やもしもの事態は必ずある。そんなときを想像した逃走手段がなければ、いかに高い給料をもらおうとこんな場所で労働などするわけがないはずだ。

 となれば必ずあるであろう非常用の出口。見取り図を手に入れた俺はそれを探し、職員用の別棟にうってつけのものが存在していることを発見したのだ。


「……ついた、あそこだ」


 最後の角を曲がり、ようやく目的の場所まで辿り着く。

 それは扉というには小さすぎる出口。どこに繋がるかすら定かではない穴に付けられた蓋。

 見取り図にあった名称の形は滑り落ちる道エスクコースター。もっとも文字までは習っていないため、発音も意味も知らないのだが。


「え、これ? ……本当に使えるの?」

「さあ? けど、大群に紛れて祈るよりかは可能性があるだろ?」


 不安そうに顔を歪める女。そんな彼女を無視しながら、銀蓋を開け準備する。

 先に光はなく、どこに繋がるかも定かではない暗闇。果たしてどこに繋がっているのか。


「ほら行くぞ。来ないならさよならだ」

「え、うそぉ。……あーもうわかった、わかったから!」


 来ないのならばそれで良しと、顔すら見ずに挨拶だけして穴へと飛び込む。

 さあて無限炭鉱ここで仕掛ける最初で最後の大博打。

 果たして吉が出るか。それとも大凶を引くのか。久しくなかった未知への少しだけ、本当に少しだけだが心が躍っていた。

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