始まりの一手

 いつもより早い時間。こんな場所に時計などないが、それでも感覚だけで目を覚ます。

 立ち上がり、未だ寝ぼける体を解しながら部屋を見回してみる。

 他に起きている者などいやしない。俺以外、皆薄い呼吸で寝息を立てている。

 当然か。睡眠とは現実から逃れられる唯一の一時。それ故恐怖や疲労で眠れなかった者以外、ぎりぎりまで休息に勤しむのがほとんど、俺だってそうだったのだから。

 

 最早日常と化した景色。少しだけ、ほんの少しだけ名残惜しく感じ……いや、別にないな。

 こんな糞みたいな場所に思い入れなど抱けるわけもない。俺に吹き飛ばせる力があれば、今すぐにでも大地から消し去ってしまいたいくらいだ。


「さて、そろそろ始めるか」


 魔力を流し、痩せ細った体に活を入れて進み出す。

 さあ本番だ。精々楽しく踊ろうか。俺もペテルも看守わきやく共も、皆等しく演者だ。






 無限炭鉱インフベグ。それは難攻不落、崩されることなき労働場。

 債務者、囚人、落伍者。かつて純粋な炭鉱であったこの場所は、長い歴史を経て労働者を使い捨てる場へと成り代わってしまった。

 光は届かず、最早ここに自由はなく、待つのは干涸らび、物言わぬ屍と化す未来だけ。

 

 けれど、そんな場所にも外の空気が入る時がある。

 不定期な労働奴隷の追加、月に一度の採掘した物質の搬出、そして年に一度の職員の交代日だ。

 今日はその職員の交代日。それ故、職員の間に漂う空気もいつもとは少し異なるものだった。


「いやーようやく交代日だぜ。とっとと娑婆の空気が吸いてえよ」

「辛い辛いとは聞いてたがここまでとは思わなかった。もう二度と志願したくねえよ……」

「けど俺達やりきったんだぜ? あー酒飲みてえ、寮じゃ禁止だったからな。おいヤラレ、どっかいい店知らねえか?」


 制御室で会話を弾ませる三人は、それぞれが思い思いにこの一年を振り返る。

 辛かった日々。共に苦労を分かち合った日々。たまに出てきた砂糖水の氷菓子の美味しさに心の底から感謝した日々。

 いろいろ思うところはあったが、それでもどれも代えがたい思い出。全員二度とこんな場所で働きたくないことだけは共通しているが、長い一生のいいスパイスになったなどと感慨深く思っていた。

 

「……で、あの総看守長は昨日からお楽しみってわけか?」

「ああ、部屋にも戻らず勤務部屋でしっぽりだと。次の総看守長に殺されるんじゃねえの?」

「困るなぁ。とばっちり来そうだし、あの人が引き継ぎやらないと俺達まで交代が遅くなっちまうよ」


 話題を嫌な上司へと移しながら、話に花を咲かせていく三人。

 残す勤務時間は後数時間。始業のサイレンを鳴らし、唯一の出入り口である大扉を開けるだけ。何が起きることもないし、失敗などあり得ない簡単なことだけだ。


「で、実際どうするんだヤラレ。このままだとまたリカルで飲みだぜ」

「一年ぶりだし馴染みの店の捨てがたいが、せっかくの高収入でぱーっといきたいよな。……おい、聞いてんのかヤラレ?」


 職員の一人は背もたれに寄りかかり、ヤラレと呼ばれた男へ気怠げに問いかける。

 だが返事はなく。つい先ほどまで聞こえていた同僚は、何一つとして返してくれやしない。


「おいどうした? まさか寝ぼけてんのか?」

「ヤラレは朝弱いもんな。まったく、遅刻だけで何度減給されかけたことか」


 夢の世界へ沈没してるであろう同僚を起こそうと、男が一人席を立ちあがる。

 もう一人はいつものことだと視線を移しはせず、最後の仕事のために支度を進めていく。

 いつも使う放送魔晶や監視魔晶の点検。そして大扉の稼働準備やら引き継ぎの書類に不備がないかの確認など。最後に余計な難癖付けられまいと、一つ一つをこれ以上ないくらい丁寧且つ迅速に。


「うっし終わり。そっちも出来──」


 自分の作業が終わり、音のない他の二人へ声を賭けようとした瞬間だった。

 突如として首へと襲いかかる負荷。振り向くことすら叶わず、声すら出せずに手足を藻掻かせる。

 振り払えない。抗えない。抵抗すらままならず、口から呻きが漏れるのみ。

 何が起きたかすら把握出来ず。ただ自分の意識が黒く、光ない闇へと突き落とされていく感覚。

 

「が、なっ、うぇ……」

 

 やがて男の目から光は失われ、力の抜けた体は背もたれからずり落ちる。

 朧気ながら、微かに男が確認出来た最期の光景。

 それは自分と同様襲われたのか、力尽き地面へと倒れ伏す同僚二人の姿であった。






 三人の意識を奪い、制御室を我が手に収めた俺は、ほっと息を吐きながら強化を解く。

 眠そうに瞼を擦っていた最初の一人。ヤラレと呼ばれていた男がたまたま後ろを向いてきた時は少しばかり焦ったが、それでも上手いことやりきることが出来た。

 

「さあて放送放送……お、これか。ご丁寧に準備してくれたことに感謝」


 とはいっても、実際は最後の一人の作業が終わるまで待っていたのだが。

 椅子からずり落ち、地面に転がる名も知らぬ男に感謝しつつ目的の物を指でなぞる。

 始まりと終わりのサイレンを施設中へ響かせる大型の放送魔晶。滅多に見ない大きさの魔晶に感嘆しつつ、力を入れてボタンを押す。


 稼働、停止、稼働、停止、稼働、停止。

 繰り返すのは三回。いつも通りの音であって、いつもとはまったく異なる始業の害音。

 だがこれでいい。この三回のやり直しこそペテルに伝えた開戦の合図。俺がペテルへと伝えた、地獄への終止符を打つ最初の一点なのだから。

 

「さあお手並み拝見だ。精々上手くやれよ、ペテルに集った同胞達よ」


 深々と椅子へと座り、側に置いてある水を飲みながら、監視魔晶が映す無数の映像を眺める。

 制限時間は五分ほど。彼らの働きによって、俺の取るべき選択は変わるのだから。

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