父親
剥き出しの剣を杖に、力の入らない片足を引きずって村であった場所を歩いていく。
火を纏いながら半壊している数多の住居。
赤い液体を垂らしながら転がる、見覚えのある人達と
本能が忌避しそうな赤黒い悪臭。不快極まりない血の臭いが鼻を刺激してくる。
目を背けたい。けれど生き残った残りの感覚がそれを許さない。
ここはもう守りたかった村ではなく。
繰り返してなお崩壊した、無惨な地獄の中なのだと。無情にも告げてくるのだ。
「ああ、ああっ……」
どうしてこうなった?
何がいけなかった?
……俺は、何を間違えた?
気を緩めれば失われるであろう意識の中で、後悔だけがぐるぐると回り続ける。
強くなった。あの屈強な
──なのにこれだ。どんなに強くなろうと、何も守れていないじゃないか。
「誰か、誰か……」
掠れた声は燃えさかる村に掻き消される。それでも、誰に届くわけもない虚しい叫びで必死に誰かを呼ぶ。
誰でもいい。父でも母でも妹でもルアリナでもアルトラでも、生きているのなら誰だって構わない。
だから誰か。たった一人でもいい。お願いだから、誰か俺の声に応えてくれよ。
それでも、そんな切実な願いを叶えてくれる優しい存在はどこにもいない。
歩けば歩くほど、鳴り響く激音に近づけば近づくほど、祈りに反した現実を見せつけられる。
……これが報いか。己のために殺し続けた俺には、誰かを助けることなど許されないのか。
「……じい、さん」
また一人。
子供の亡骸をかばいながら守るように力尽きた老人が、朦朧と揺れる視界に入ってしまう。
……グランザ。歴戦の狩人でさえ、こうも無残に散ってしまうのかよ。
「……行かなきゃ」
今にも崩れそうな足と心。ぐしゃぐしゃな己をただ一つの意志で繋ぎ止めながら、村に残る最後の
ふらふらと、最早焦点すら合わず。たった一本の糸に縋る、哀れな罪人のように。
また一人、人の二倍はあろう巨体が倒れ伏す。
炎と廃墟の檻の中。滅びゆくアルフの村の中央にて、二人の強者は向かい合う。
一人は男。
その手に持つ木刀は、まるで何かを切ったかのように血を滴らせ、尖った切っ先を敵に向けられている。
片やもう一人……否。人族に近くも遠い姿、海のような青い肌をした有翼の
その種族の名は
数多の種族が住まう
「……これで全滅。そんな棒きれ一つで、まさかここまでやられるなんてね」
女は嗤う。その美貌に嘲笑を浮かべながら、目の前で奮戦する哀れな
女にとってそれは挑発ですらない。
己が力に対する絶対的な自信。そして目の前の
「褒めてあげるわ。私の
「……そりゃどうも。随分と甘いんで、殺す気なんて無いと思っていたよ」
「言ってくれるわね。僅かな闘気で凌ぐだけの
些細な言葉に血管を浮き上がらせ、怒気と共に魔力を高める
けれど男は何ら動じることはない。
一片たりとも姿勢を乱さず。眼前で怒りを露わにした女の見据え、隙を窺い続ける。
「それにしても、こんな辺鄙な村に一角の戦士がいたとは思わなかったわ。数名を囮に見事逃亡。……まったく、これじゃあ大損よ」
「……そうかい、なら良かった。とっても嬉しいよ」
男は毒づくように吐き捨てながら、剣を握る力を更に強める。
つい先ほどまで平穏であった村。
家族が笑い合える大切な居場所。
遠く昔、戦地を駆け巡っていた頃から思い描いていた幸せな日々。
だが、その幸せは露に消えた。つい先刻まであったはずの幸福は、吹けば飛ぶ泡のように割れ失せてしまった。
それでも、彼が今ここで剣を握らない理由にはならない。ここで戦いを放棄してしまえば、自らの死よりも恐ろしい結末が待っていると。それだけは分かっているのだから。
「どう? いまここでしっぽ巻いて逃げ出すのなら、貴方の命だけは見逃してあげる。悪い提案じゃないでしょ?」
「……舐めるな
男の拒絶に、
それに頷く意味を男は分かっている。この地で力尽きた犠牲者を、そして見逃すことでこれから出るであろう犠牲に目を逸らす事に他ならない愚行だと理解している。
逃がすわけにはいかない。こいつは今、自分が抑えなければならない。
そうでなくては家族に、信頼しあちらを任せた
だから戦え。あらゆる策を模索し、なんとしてでもこの場を乗り越えろ。
かつて
そうでなければ。それくらいのことができなくては。
今日剣を盗んだであろう、
「……そう。ならここでお別れねッ!!」
先に動いたのは
指を弾き、現れ出た数十の炎。空に浮く火の玉は矢と変形し、駆け出した男を貫かんと突き進む。
僅か一矢にでも捕らわれれば致命。続く連弾をどうすることも出来ず、苦悶のまま燃え死ぬと、男はその脅威を感じ取る。
だからこそ、男が選んだのは突き進むこと。
一度退けば、もう二度と接近は叶わない。何もかもが不利なこの状況で、それでも勝ちを掴み取るためにはそうする以外に道はない。
縦横無尽に駆け巡る
それでも、戦地を奔る男を殺すには足りない。
そこにいる男こそ。仲間と共に陰竜殺しを成し遂げ、
かつて無数の戦地にて、雇い手に多くの勝利をもたらすために戦い続けた猛者なのだから。
「──ちッ!? 調子に乗ってんじゃねえぞゴミ虫がよォ!!」
僅か数秒、一気に距離を詰められた
剣筋はほんの一刹那遅く、その青首を捉えるに至らず。
「死になさいッ!!」
膨れあがる魔力は内から外へ、空に漂う無数の炎は一つに集約される。
周辺全てを呑み込むほど巨大な炎の玉。触れることは愚か、ただ近くに寄るだけで溶かす灼熱の地獄が、彼女の元に顕現する。
これこそが魔法。詠唱も術式もなしに
まるで太陽が地へと落ちるよう。夜空は今、深紅の業火に染められる。
空に浮かぶ天の威光が、ただ一人で抵抗する小さき人を葬るために放たれた。
「──ふう」
業火の接近を目の当たりにし、男は軽く呼吸を整え覚悟を決める。
一つ呼吸をする度、喉も肺も焦がされそうな熱気と煙。
だが構わない。今から挑むは溶解必至の大地獄。例えどこが焼けようと、自分で燃やした命の炎を絶やさなければ、それだけで構わない。
地を踏み抜き、広場を走り加速しながら跳び上がる。
ただ一つの跳躍で届く訳のない距離。──そう、
跳躍が終わり、落ちる間際に足をかけるは廃墟の屋根。
今にも朽ちようとした家の名残を踏み越えて、男は更に跳び上がって剣を振る。
「なッ!?」
魔力は微弱、闘気は
それにあれは木刀のはず。いくら闘気を練ろうが所詮は木、我が魔法を一刀両断に出来るはずのない
──なのに何故、何故だ!? 一体何者なのだ、あの
皮肉にも、自らが出した巨大火球に視界を遮られる
自らの上から迫る、焦りのまま反撃の
だが足りない。男は空を回り勢いを付けながら、
「──ぐっ!!」
その身は自ら出した極炎の残滓を貫きながら、地を砕く勢いで叩き付けられる。
手応えはあった。決着はなくとも、手傷は負わせたはずだと男は確信している。
だが、あくまで敵が自身と同じ
素早く着地し、息すら付かぬまま、
好機は一瞬。この一振りこそ本命。村を滅ぼした仇へ向ける、決着の一撃。
その名は
──だが。
「……悲しいわね」
振り下ろした先で青肌の魔族が唱えたのは、苦悶でも断末魔でも命乞いでもなく。
苦しそうに息を乱しながら、それでも決して核へ届くことのない剣への哀れみであった。
「──なっ」
「皮肉よね? どれだけ強固な障壁を張れようと、結局自身に魔力を流して受け止める方がずっと頑丈なのだから」
自らを嘲るように呟きながら、刃を止められた男の懐を炎槍が貫く。
すぐに男は木刀を腕から抜こうとするが、それよりも早く衝撃が体を突き飛ばす。
「惜しかったわね。もしこんな棒きれじゃなければ、今頃私はお陀仏だったかも」
「……がはっ」
「だけど残念、これで茶番はおしまい。貴方がどれだけ傷を付けようが、魔力があればこの通りだもの」
腹を貫かれ、武器を失い、地面を転がされ、それでも闘志を絶やすことなく睨む男。
そんな男を前に、
男の顔が絶望に染まる。まるで時間でも戻ったかのよう。
所々にあった傷や抉れた腕。男が付けた全ての傷を、目の前で無に帰して見せたのだ。
これが
特異な力を持たぬ
「最後に聞いておきましょう。名前は?」
「……言うかよ、糞アマ」
「──そう。残念」
欠片も思っていなさそうな声色で、彼女は残念がりながら空に矢を番える。
今もなお示す猛獣が如き敵意を潰すため、男の顔に矛先を照準を合わせ──。
そして、放たれる直前。
正面から飛んできた鉄の塊──この戦いを共に出来なかった
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