決着

 剣を投げ、支えを失った体。

 そんな些末事など欠片も念頭になく、足は目の前で横たわる男の元へ一目散に駆け出していた。


「父さんッ!! 父さん、父さん……」


 父の名を呼びながら、胸に空いた穴を押さえ、少しでも止血しようと足掻く。

 けれど呼吸は既にほとんどなく。いつも優しく応えてくれた父の瞳に光はない。

 まともな治癒魔術を持たぬ俺には、応急手当すら叶わない程の重傷。

 父はもうすぐ息絶えるのだと。俺が培った死の経験が、か細い全ての生を否定してしまう。


「起きて、父さん。父さん……」

「……ギル、かい?」

「ッッ!! 父さんッ!」


 そんな馬鹿げた事実ことは認められないと。

 自らの結論を放り投げながら呼び続けると、僅かに父の口から擦れ声が漏れてくる。

 辺りの火の一つにすら負ける微弱な音。命尽きる寸前、僅かに絞り出された意志の力。

 ああ、これが最期の言葉だと。

 そんな事実に歯を食いしばりながら、僅かな声を聞き逃すものかと必死に耳を傾ける。


「生きろ。皆を、頼む……」

「……父さん、父さんッッ!!」


 それが最期の言葉。唇は止まり、曖昧な生の気配は消失する。

 僅かに残っていた鼓動も息吹も、父を動かすものは今この瞬間に失われた。

 

 ──嗚呼、死んだ。死んでしまった。

 あれほど死なせまいと遠ざけた父は、俺の目の前で命をなくしてしまった。


「くそっ、くそっ、くそぉォ……」


 何で、どうして。なんで、何が、なにがいけなかったんだよ……。

 叫びは怒声にすら鳴らず。涙は熱で枯れるのみ。

 どこからともなく溢れる激情は、慟哭は、燃える村の中に溶け続けるのみ。


 だが、泣き喚く弱者に優しい世界などあるわけがない。

 悲しむ猶予などないと告げるよう、飛んできた剣が父の亡骸を、戦い散った一人の戦士の尊厳をけがすよう貫き刺さる。


「──ああくそっ。どこのどいつだ、くそがッ」

 

 悪態をつきながら、徐々に近づいてくる足音が一つ。

 父を襲う、遠い輪郭と肌色くらいしか把握できなかった敵の姿。青肌の魔族デモーリアは剣が刺さったであろう左胸を治癒士ながら、こちらに苛立ちを隠さず睨み付けてくる。

 ……こいつが主犯。こいつこそ、猪豚族オーグ共に村を襲うよう命じ、目の前で父を殺した諸悪の根源。


「糞ガキがァ。よくもてめェ、この私を不意打ったなッ!?」


 魔族デモーリアは取り繕うことすらせず、整った顔を歪めて怒りを露わにする。

 ……堪えろ。今だけは、少しだけ、冷静になれ。

 今にも飛びかかりたい衝動を懸命に抑え、父から剣を抜き、忌々しい全ての仇に矛先を向ける。

 

「嗚呼忌々しいィ!! この私が、このムルナ様が、こんなジャリ如きに手傷を負うなんて!!」

「……なんで、なんで村を襲った?」

「ああァ!?」

「俺たちが何かしたか!? この村が、お前に恨まれることでもしたか!?」


 術印の魔力を流し、思考こころに術式を乗せながら問いただす。

 村を襲うのは仕事だと、猪豚族長オーグヘッダは確かに口にした。

 ならその理由は、あいつらに依頼したのであろうこいつには、この村に因縁があったのか。


「……理由? んなもん、私が襲いたかったからに決まってんだろうがッ!?」

「…………あア?」

「こんな碌な力もねえ糞みたいな村ッ!! 放逐された家畜の巣のようなもんだろうがッ!! それを私がどうしようが勝手じゃねえかよ!? ああッ!?」


 言葉も魔力も荒れ狂わせ、こちらに歯を見せ激昂する魔族デモーリア

 ……どうでもいい。こいつがどんなにキレてるかなんて、今は欠片も知ったことではない。

 理由もなく。ただの略奪で、ただ己の懐を潤わせるためだけに父を、母を、家族を殺した。

 

 ──ふざけるな。ふざけるんじゃねえぞ、この糞アマがッッ!!!


死ねアド・エンスッ!!!」


 内に残る全ての魔力を爆発させ、その全てを強化へ換えて飛び出す。

 体なぞどうでもいい。どれほど魔力があったって、失った物を取り戻すことは叶わない。例え明日が来ようとも、もう二度と、あの人達の笑顔は返ってこない。

 それなら全てを力に変えろ。一滴も残すことなく、灰になるまで燃やし続けろ。

 こいつを息の根を止める。それがギルダおれの、始末屋エンドが成し遂げなければならない最後の使命だ。


 記述サイン詠唱エイル思考ソート

 全てを用いた三重の強化。今の俺が最も力を発揮できる、簡単で愚かな決戦魔術。

 傷だらけの身で十秒持てば奇跡。解けば最後、俺は間違いなく激痛と共に絶命する。

 

 だがそれでも、この身が耐えうる一刹那であれば。

 きっと俺は無敵。あの日負けた聖騎士にも、燦然と輝く太陽の勇者とさえ戦えるだろう。


「──ッ、この」

 

 音すら越え、嵐と化す無数の剣撃。

 魔族デモーリアは怒りのまま、とっさに創った炎の剣で必死に凌ぎ続ける。


 まだ、まだ遅い。もっと、もっとはやく。

 腕が千切れてもいい。どれほど体が壊れようとも止まるな。

 この女を殺すまで、死んでも剣を振り続ける。それだけが、愚かな俺に許された唯一の贖罪。


「うおおおおッッ!!」

「く、そ、調子に乗るんじゃ、ねえぞ糞餓鬼ィィイ!!!」


 突きが頬を掠った直後、魔族デモーリアは炎の衝撃で俺を吹き飛ばす。

 其れは彼女の抱く憤怒の具現。

 今なお村を焼く赤炎ですら生温い、禍々しい青炎を魔族デモーリアは全身に纏う。

 

 血も汗も涙も滴る前に蒸発し、彼女の立つ足下は爛れて歪に変形していく。

 近づけば溶解は絶対。青炎はすぐにでも、周辺全てを呑み込まんと荒れ狂う。

 どれほど魔力で補強しようと、剣が保つのは恐らく一瞬。ならば耐熱のない俺の体など、周辺の空気一つで形ごと消え去るだろう。


 ……それがどうした。そんな熱で、その程度で臆していいと誰が認めた。

 一瞬が駄目ならそれより速く。刹那の中で更に加速し、消失までに奴の喉元を抉ればいい。

 必要なのは最強最速の一刀。殺しのための技術でなく、断ち切るための一振り。


 ──嗚呼父さん。どうか今だけは、この一撃だけは力をお貸し下さい。


山斬さんざんッッ!!」


 理性を放り捨て、全力で地を踏み込み煉獄へと飛び込む。

 形にするは一撃の理想。何よりも欲しく、誰よりも持たなかった王道の剣。

 父に比べればあまりにお粗末。だが今だけは、反則を超えた諸刃の強化を纏うこの僅かな一時の間であれば。

 

 ──その一撃は名の由来である伝承いつわの通り。

 山をも切るであろう絶なる剣にすら、きっと届いてくれるのだろう。


 形すら置き去りに、白い閃光は青く聳える翼のヒトの体を二つに裂く。

 燃えつきはしないものの、受け身を捕ることすらなく転がる体。

 既に動くことは愚か、呼吸すらままならず。焼かれ砕けた体は痛みすら失い、ただ死に果てるのを待つのみ。


「がはっ、おの、れ……。おのれぇ……」


 それでも。そこまでしても、青肌の魔族は倒れることはなかった。

 炎を出す余裕すらないほどの魔力消費。いかに魔力に優れた種族であったとしても、深く付けられた致命傷を何度も治療すればいずれ魔力の底は尽きる。

 だが足りない。彼女の命の限界まで、たった一撃では辿り着けない。

 再生はゆっくりと、けれど魔族デモーリア体は死の間際から逃れようとしていた。


「はあーっ、……はあーっ。まさかここまで、手傷を負うっ、とはね……」


 魔族デモーリアは乱れた呼吸を繰り返し、体をふらつかせながらも必死に再生を進めていく。

 彼女にとって、この襲撃は軽い運動のつもりだった。

 多少疲労はするけれど、命の危機など微塵もなく、ぎりぎりの戦闘をするなどとは想像すらしていなかった。


「くそっ、撤退だ。これじゃ、あの方に、申し訳がたたない……」


 とっととこんな場所から離れたい。この失態をどう言い訳するかを考えなければ。

 魔族デモーリアは脳を必死に回しながら、今は一刻でも早くこの忌まわしき人間共がいた場所を離れたいと、死体になど目もくれず翼の再生に力を入れる。

 

「はっ、はっ、これなら飛べ──」


 空へ上がり、主の元へと帰還しようと羽を広げたその時。

 ぐちゃりと、分厚い肉を貫くような生々しい音が響く。

 

 魔族デモーリアの背後から、揺蕩たゆたう胸すら突き抜ける銀の刃。

 第二の心臓たる魔核を砕かれ、肌よりも濃い紺血を吐きながら、薄れる意識のまま後ろへ首を曲げていく。

 そこにいたのは今さっき死んだはずの糞餓鬼の姿。先ほど自分に敗れ、無力にも散った愚かな普人族ヒューリア

 

 ──散々罵り、それでもなお命がけで蹴散らしたはずの弱き人の姿だった。

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