猪豚族

 村を襲って人を攫い、適当な奴隷商に売り捌く。

 それは猪豚族オーグに限らず、意志と知恵を持つ生き物であれば行き着く賊の生業。

 何てことのない会話を交わしながら進軍し、今日は何匹捕れるかを競い合う。

 百を超える猪豚族オーグの一団にとってはこの日の進軍も日常の一つ、そのはずだった。


 ──異変は驚くほどあっさりと。死神の鎌は音もなく彼らの元へ訪れる。


「ぐへへっ。今日も歯ごたえはなさそうだ──」


 始まりは進軍の最中、一人の猪豚族オーグの愚痴が途切れたことだった。

 誰とも会話をしていなかったこともあり、誰も気づきはしない。

 ただ減らぬ口が閉じられた。それだけの認識すら、余裕綽々と道行く彼らがすることはない。

 

 だが、その小さな切っ掛けは次第に無視できぬものに変わりゆく。

 最初に気付いたのは、一人の猪豚族オーグが友人に声を掛けようと後ろを振り向いた──そのときだった。


「な、なんだこれはッ!!|


 あまりに予期せぬ光景に驚きながら、この以上とも言える状況に大声を上げる。

 なぜ後ろの仲間がいない。自分は最後列ではなかったはず。なのにどうして、後に続く同胞が一人も見当たらないのだ。

 あいつらはどこに行った。いつからあいつらは消えて、いやそもそも誰が、どうして消えてしまったのか──。


「うグっ!!」


 呻きはほんの一瞬。なにをされたかもわからないまま、猪豚族オーグの首が地に転がる。

 そこでようやく、他の猪豚族オーグも何かが起きていると気付く。

 

 何が起きた。何をされた。仲間は、同胞は、どこに消えた。

 猪豚族オーグ達は焦りながらも、周囲の様子を把握しようと気配を探り出す。

 

 だが手遅れ。気付くには、あまりに遅すぎた。

 一人、二人、三人と。畑を作物を採るよう呆気なく、猪豚族オーグは地へと倒れ伏す。


「そこだッ!! 人だッ!! 只人ヒュームがいたぞッ!!」


 荒々しい怒声が響き渡る。影も形も掴めぬ敵の正体を、怒りのままに告げていく。

 

 そしてその瞬間、猪豚族オーグの目に入ったのは。

 大きく叫んだ猪豚族オーグの胸元。

 命を繋ぐ心の臓から銀色の棘が突き出された、無惨に生を散らした姿だったのだから。


 




 ようやく気付いた間抜け共に呆れながら、すぐに剣を引き抜き茂みへと飛び込む。

 ばれることは想定内。むしろ予想外だったのは猪豚族オーグ共の数の多さの方。

 何せ一体一体が強靱な戦士。種族単位の強者である彼らは、雑兵ですら厄介な敵だ。

 

 肝心なのは一度すら捕まらないこと。あの丸太の如き大腕に捉えられないことだ。

 なに、やること自体は闘争熊バトルベアンドとそう大差ない。自らが役目が果たしきるまで足を止めない、それだけでいいのだ。

 

 姿勢は四足の獣のように低く。速度は吹き抜ける風よりもはやく。

 一撃一殺が大鉄則。それ以上の時間一箇所に留まれば、たちどころに囲まれてしまう。

 四色草しきそうの中に紛れながら、淡々と相手の急所を狙い続けるのみ。それ以外に、数を減らす手段はない。

 

「ウオオォ──!!」


 けだもの達は吠えながら、血眼になって俺を探している。

 だが無意味。所詮は力任せの荒くれ共が、破れかぶれの索敵をしているだけ。いくら屈強とはいえ未熟な一兵卒共に見つかるほど、俺の隠密は安くない。

 戸惑う一人の正面に跳び出し、真一文字に振るった銀閃は、また一匹の大首を断ち切った。

 

「死ねェ!!!」


 背後からの耳を貫く怒気溢れる咆哮。鈍重な鉄斧が同胞の亡骸諸共引き裂かんと振り下ろされる。

 雑なことを。そんな大振り、当たるわけあいだろうに。

 焦ることなく亡骸を盾にして一撃を防ぎ、心臓に突き刺して息の根を止める。

 まだ、まだだ。まだたくさん、るべき相手やつはごまんと残っているのだ。

 

 もっと神経を研ぎ澄ませ。殺して殺して、血の臭いが取れなくなるまで殺し尽くせ。

 そうしなければ生き残れない。そうすることでしか、俺は誰かを救えないのだから──!!


『グルアアアアァ!!!!』


 どれほど動いたのだろう。殺す、避ける、隠れる。その作業を何度繰り返したのだろう。

 所々に掠り傷を負いながら、それ以上に猪豚族オーグを屍へ変えた頃。

 

 一際大きい咆哮が全身を震わしてくる。体を構成する一つ一つが警鐘を鳴らしてくる。

 ずがりずがりと。足音を地を響かせながら、俺の元へ何かがやってくる。

 後ろの猪豚族オーグへ刺した剣を抜き、すぐに身を潜めてその正体を刮目する。


 そこにいたのは怪物。今まで殺してきた猪豚族オーグとは明らかに違う、圧だけでそこいらの弱者を跪かせるであろう、徒党を従えるだけの覇気を纏う傑物。

 間違いない。あいつが、あいつこそがこの猪豚族オーグ達の首領ボス

 それもただの猪豚族オーグじゃない。恐らくあれは進化種──猪豚族長オーグヘッダだ。

 

「……出てこい。──出てこいッッ!!!」


 獲物の場所に見当でも付いているのか。真っ直ぐこちらを見据えながら、再度叫びを轟かせる。

 剣を落とし、耳を塞ぎそうになるのを強引に堪えながら耐え忍ぶ。叫び声一つが小型の爆弾並。こんなもん、強化エンスがなければ一発で耳が逝っちまう。

 

 どうする、素直に飛び出すか。そもそも居場所はばれているのか。 

 いやありえない。いくら上位種といえども、本気で気配を消した俺が見つかるわけが──。


 出るか出まいか。その一考の余地すらなく、猪豚族長オーグヘッダが斧を投げる。

 まっすぐ、こちらに向かって進行する鉄の斧。

 最早悩む暇など皆無。咄嗟に空へと跳び上がり、指先の照準を猪豚族長オーグヘッダに定めながら、術式を唱える。

 

燃え飛べボールアグナッ!!」


 闇夜を奔る三つの炎弾。

 そのうち一つが仁王立つ猪豚族長オーグヘッダの肉体、そして残りの二つが顔面へと直撃する。

 視界をった。不意を突くなら今しかない。

 着地と同時に地を踏み切り、無防備な心臓目掛けて一気に剣を突き出す。

 

「なっ!?」

「──良い手だ。だが、ぬるい」


 だが渾身の刺突が皮膚を通ることはなく、分厚い壁に阻まれたように止まってしまう。

 硬い、硬すぎる。この手応え、闘争熊バトルベアンドよりも遙かに──。

 

「ッ、くそがッ!!」

「ほう。上手く躱したか」


 腹に迫る拳に当たる寸前、咄嗟に後ろへ跳び、突き抜ける衝撃と共に強引に距離を離す。

 立ち上がり、意識を蝕む痛みに歯を食いしばりながら、口の中の液体を吐き落とす。

 ……綺麗に躱せてなんてねえよ、くそったれ。拳一つでどんな重さしてやがるんだ。

 

 魔力を体に循環させ、強引に痛みを誤魔化しながら憎たらしい猪豚族長オーグヘッダを観察する。

 仮にも刺されたとは思えないほど、悠然と君臨する巨漢の怪物。顔に受けたはずの炎も僅かに跡が残るだけ。……わかっちゃいたが、欠片も効いちゃいないか。

 周りにいた猪豚族オーグが舌なめずりしながら俺を囲み、逃げ道なしの包囲網を築き上げる。……大体二十ほど、まだこんなにも残ってやがったのかよ。


「ほう、小童こわっぱか。その歳で我らに立ち向かえるその胆力、うちの馬鹿共にも見習わせたいな」

「……見れる奴も随分減ったけどな。おい豚頭、なぜ村を襲おうとする?」

 

 五感を総動員して隙を窺いながら、目の前の怪物に疑問をぶつけてみる。

 しゃべってくれれば御の字。そんなことより、今は息を整えるため少しでも時間を稼がなくては。

 そんな俺の思惑を知ってか知らずか。猪豚族長オーグヘッダは顎に手を当てながら、少しばかり悩む素振りを見せて口を開いた。

 

「なに、仕事よ。我ら暴食の牙グライオーグも財政難でな。来る依頼に選り好みしてはいられないのだ」

「……何かと思えば夜盗こそどろかよ。図体ほどの誇りもねえらしい」

「違いない。わらべに突かれちゃ我らも末だな」


 貶し言葉も欠片だって響かず。

 猪豚族長オーグヘッダは自らすらさけずむよう、牙を剥いて嗤ってみせた。


「しかし哀れよな。彼奴あやつの気まぐれ一つで、貴様の健気な尽力が徒労に終わろうとは」

「……はっ?」

「そら、そろそろだ。後ろを見るがいい。それぐらいの猶予は残すとも」

 

 猪豚族長オーグヘッダは懐から丸形の何かを取り出し、つまらなそうに村を指差す。

 何を言って……まさか、まさか──!?

 

 振り向いた直後、村から響く爆音と人の悲鳴。

 どうしようもなく嫌な予感が巡ってしまう。最悪を裏付ける爆発が、村を赤く染め上げる。

 なんで、どうして。こいつらはここに、ここで止めきれているはず。

 

 ……まさか、こいつらだけじゃない? 進軍は、二箇所から──?


「さて、名残惜しいが貴様に構うのもここまで──」


 猪豚族長オーグヘッダの言葉を聞いてる時間など、今の俺にはどこにもなかった。

 強化を発動し、怒りのまま加速する体。声なき激怒のまま振るわれる一刀は、猪豚族長オーグヘッダに構える間も与えず片手を切り捨てる。

 痛みに呻く怪物。どうでも良い。速く、速くこいつを殺して村に戻らなきゃ、速くッ──!!


「小癪なッッ!!」


 続けて放ったのは首を狙った横薙ぎ。

 けれど猪豚族長オーグヘッダは痛みに動じることはなく、残った腕に剣ごと体を弾かれる。

 僅かに浮いた体。立て直せない、瞬きよりも短い硬直。

 一瞬あれば立て直せる僅かな隙。けれど、それを見逃すの目の前の豪傑は弱くはない。


 小さな子供の腹を突き刺す豪腕。遠くなる意識の中、体は地面を抉って滑り続ける。

 ぐちゃりと、体内のあらゆる骨がへし曲がる音がする。

 気を狂いそうな激痛を少しでも和らげようと、魔力を回し思考を戻そうと足掻こうと試みる。

 

 だが、ようやく止まったと思った瞬間。

 周りの猪豚族オーグに蹴り上げられ、体は再度空へと弾かれる。

 

 地面に落ちて体内に響く、鈍く固い音。骨が砕けたと、曖昧な意識ですらそう理解する。

 それでも腹に穴が開いたわけではない。動力たる魔力が尽きたわけではない。

 だから動け。後歩幅三つ分でいい。

 を起動出来る程度まで、必死に己を誤魔化し腕を伸ばさなければ。

 

 遠のく意識の最中。刻んだ術印へ魔力を流し、強引に意識を覚醒させる。

 

 痛みはあるが関係ない。痛覚を切ればどうにでもなる。

 四肢は千切れていない。五体満足なら構わない。

 骨など魔力で強引に形に出来る。出来ないほど砕けたのなら、魔力の束を骨とするのみ。


 少しずつ、ほんの僅かだが体の自由が戻ってくる。そして同時に、僅かな余裕がその音を拾ってしまう。

 重く響く悪魔の囁きを。ゆっくりとこちらへ迫る、猪豚族長オーグヘッダの足音を。


「……まだ息はあるか。つくづく惜しい。ここで手折るには惜しむべき逸材だ」

「……そりゃどうも」

「一言残せ。それが我が胸に刻む、勇敢なる貴様の終焉だ」


 勝ち誇ることもなく、淡々とこちらを見下しながらこちらを待つ猪豚族長オーグヘッダ

 終焉。この一言を最期に、俺が死ぬ、だって? っふはは、フハハハハ──ッ!!

 

「フフフ、ハハハッッ!!」

「……何が可笑しい? 死の間際に狂ったか」

「……どうして、どうして俺が、こんなになるってわかってたのに、てめえ相手に、全開で強化しなかったと思う?」


 指を石に当てながら、目の前で勝った気の馬鹿な豚オーグヘッダを嘲笑う。

 指に魔力が通る度、砕けた指は悲鳴を上げる。

 ……そんなもの知るか。この状況にまで、この俺が、こんなところで指の一つ如き知るもんかよ。

 

「来るってわかってて、一回へまをして、なんも対策しねえわけがねェ」

「……何を言って──」

「なに、ちと大きく、しすぎちまってなァ。おかげで、耐性組まなきゃいけねえほどだぜ」

 

 地面が、より正確に言えば、地面に刻まれた跡が光を帯び始める。

 辺り一面の四色草しきそうが生み出す魔力。その全てを枯れるまで吸いつくし、光は一気に膨れあがる。

 変貌する。草原は瞬く間に荒野へ。

 故郷を囲う数多の植物は、俺が望む結果のための触媒いけにえへと変わりゆく。


 危険でも感じ取ったのか、躊躇なく振り下ろされる斧。

 だがもう遅い。馬鹿な奴だ。死にかけの獲物が一番手に負えねえってのになァ?


大昇雷ライザル・サンデラッ」


 怪物の巨斧が首へ届くより速く、白銀の大雷はすべてを呑み込み、空へと駆け上がる。

 これぞかつての俺がまともに熟せた、三つの魔術のうちの一つ。

 こけおどしの罠でしかなかった小さな白光りは、豊潤なる魔力を得て白きいかづちへ代わり全てを貫き焦がした。

 

 ……出来れば使いたくはなかった。

 この美しい村の景観を台無しにしちまう程度には、大規模すぎる魔術とっておきだからな。


「お、のれェ、おのれェ──!!」


 それでも、耐性がなければ間違いなく必死の大魔術の中ですら聞こえた掠れ声。

 咆哮のままに突き出される拳。

 だがそれはもう棒でしかなく、いかに死に体であろうと、避けるのは容易だった。

 

 やはり怪物。そのしぶとさに畏怖を抱きながら足り上がり、剣を閉まって歩き出す。


「みごっ──」


 死力の一撃は刃をこぼしながらも、怪物の首を真っ二つに切り落とす。

 地面を倒れる体。多分生き残りはいない。

 叶うのなら、もう瞼を落として眠ってしまいたいと切に思う。

 

 けれど今、そうするわけにはいかない。

 どれだけ体が悲鳴を上げようと、動かなければいけない理由があるのだから。


「……村に、戻らなきゃ」


 剣を杖に、悲鳴を上げる体に鞭打って進み出す。

 僅かな強化で体を繋ぎながら、ゆっくりと村へ。赤く色づき煙の漂う故郷へ足を運んでいった。

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