再度、月夜にて
あれほど騒がしかった宴も、ついに終わりを迎えてしまった。
消灯の早いこの村では既に誰もが寝静まっている時間。けれども、俺にとっての今日はこれからが本番。
「……すいません。必ず返します」
寝息を立てる父に軽く礼をした後、壁へ掛けられた父の剣を手に取る。
起こすなんてへまはない。結局剣の技術は追いつけずとも、音や気配を殺す技術なら父より遙かに優れているのだから。
静かに家を出て、歩きながら一度鞘から抜いてみると、錆や刃こぼれは一つもない美しい刃が露わになる。
戻ってくるのはこの夜が明けた後。……あの忌々しい地獄をなかったことにした後だけ。
……大丈夫、やれることはやった。今の俺に出来る準備はやりきったはずだ。
後は流れのまま、命を燃やして抗うだけ。迫り来る敵に愚直に挑み続けるのが、俺がやらなきゃいけない唯一のことだ。
失敗を考えるな。
余計なことで思考を鈍らせぬな。
……忌まわしい
無駄な思考を捨て、心を
日中と違い、聞こえるのは僅かな家畜の呻きだけ。
通る度に感じる奇怪の視線も、否が応でも拾ってしまう
普段は好きにはなれずとも、たまにこういう雰囲気を醸すから嫌いになれない。恨み妬みは人だけのもの、心地好い雰囲気と空気に罪はないのだ。
我ながら甘いものだ。
これから大仕事だというのに、そんなくだらない感傷なんぞ持つから昔も裏切られたというのに。
結局、人間そう上手くは変われないのだろう。
二度目の幼少期を得てもなお、こんなくだらない感傷に浸れるのだから間違いない。
……さて、くだらない憂いはもう終わり。
とっとと気持ち切り替えて、とっとと目的地まで向かうとしますかね。
「……ギルくん?」
静寂に一滴の水を垂らしたのは、今日も飽きるほど聞いた優しい声。
振り向けばそこにはルアリナが、かつてと同じく月光に照らされながらそこにはいた。
……何で、ここに。
宴はとっくに終わり、子供も大人も寝ているはず。仮に起きてたとして、どうしてこんなところで出くわすなんて偶然が起きてしまうのだ。
「……ルアリナ。お前、どうしてここに?」
「なんか眠れなくてね? お月様が綺麗だからお散歩。……へへっ、ちょっと悪い子になっちゃった」
照れくさそうに笑うルアリナ。
きっと彼女にとって、この夜廻りは小さな悪戯みたいなものなのだろう。
……そうか、ようやくわかった。だからあの夜、俺以外にも生き残りがいたのか。
「……ねえギルくん。それ、どうして剣なんて持ってるの?」
跳ねるように近づいてきたルアリナは、俺が持つ剣を見つめて首を傾げてくる。
まずい、何か言い訳を考えなければ。
こいつに隠れて鍛錬とか言ったら絶対付いてくる。今すべき最優先は、こいつを適当な言葉で家に帰すことだ。
「……これか? せっかく十才になったし、ちょっと振ってきたんだ」
自分ですら下手くそだと思える理由を、普段通りの表情を心がけながら声に出す。
なんて適当な嘘。これで騙されるのは昔の俺みたいな阿呆だけ。こいつがそこまで馬鹿じゃないのは、この数年で散々理解させられたというのに。
案の定、ルアリナはその愛らしさに似合わない困惑を浮かべてくる。……やっぱり駄目か。
「どうしたの? 何か悩みでもあるの?」
「……ああ?」
「だって最近ずっとへんだもん! 今日だっていつもと違った! なんか泣きそうだった!」
誰かが起きてきそうなくらいの大きな声で、ルアリナは食い気味に詰め寄ってくる。
咄嗟に目を背けようとするが、彼女はそれを許さない。
ルアリナの両の手が俺の頬を押さえ、翡翠の瞳が俺を覗き込んで離さない。
……相変わらず綺麗な
「いっつも一人で苦しそうにしちゃってさ! 悩みがあるなら教えてよ! 一緒に解決させてよ! ねえ、ギルっ!」
ルアリナは真っ直ぐ俺を見据えながら、必死に訴えかけてくる。
……無理だ。俺じゃこいつには勝てない。この少女の追求を逃れることなど叶わない。
どうしようもない、か。……そうだな。頭の悪い俺じゃこれしか思いつかないな。
諦めたように頷くと、ルアリナは手を離し、花を咲かせたような笑顔でこちらに耳を傾ける。
「ああルアリナ。実はな──」
話し始めたその一瞬。彼女が話を聞けると油断した、ほんの僅かな間。
俺の指は彼女の額を触れ、微細な雷がルアリナの意識を奪う。
後遺症などありはしない。人の意識など、それこそ数え切れないくらいには落としてきたのだから。
崩れ落ちる体を支え、彼女の家まで抱いて運び、壁に寄りかからせるよう丁寧に置く。
これでいい。もし俺が生きていたのなら、そのときはしこたま怒られればいいだけだ。
「……じゃあな」
せめて風邪は引かないようと。
羽織っていた上着を掛け、目的地を目指して走り出す。
正確な時間が分からないのだから、急がなければ間に合わなくなってしまう。
こっちは来る方角さえ知らないんだ。とっとと
「着いたッ」
月光に照らされる
地面に刻んだ術式に触れ、目を閉じて魔力を流せば、映らないはずの目に外が映る。
念じれば切り替わる、四つある景色の窓。
東西南北、それぞれの村端に刻んだ
「……あれか」
目に入ったのは無数の赤。月明かりしかないはずの野原に浮かぶ、数多の赤橙の灯火。
他の三つを消し、その正体を探るべく限界まで目を凝らしてみる。
……見えた。あれが奴らの正体。こいつらこそ、今から俺が殺すべき敵か。
その種族の名は
それが長きにわたり知ることのなかった、俺にとって最初の悲劇を起こす怨敵の正体だ。
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