異変

 結局、今日も全勝で乗り切ることが出来た。

 ルアリナは納得していなかったが、帰りが遅いと怒られるので不服そうに帰宅していった。

 あいつの体力の底なしさには敬服するしかない。

 アルトラが来なかったので、嬉々とした顔でほとんど休憩せずのぶっ通し。よくもまああの馬鹿体力についていけたと自分を褒めてやりたいくらいだ。

 

 家までの道のりがえらく遠く感じてしまうくらいの疲労。

 服がべたべたする。帰ってとっとと汗を流してしまいたい。こういうとき、父が作った簡易汗流し個室シャワーがありがたいことこの上ない。


 これから湯浴み屋まで行かないといけないルアリナへ、どうでも良い優越感に浸りながら扉を開ける。すると何やら慌ただしく準備に動く父の姿が見えた。


「父さん。どこか行くの?」

「お、帰ったか。俺はこれからバルガッドまで走る。すまないが留守を頼むよ」


 家のオブジェと化している剣を腰に付けた父は、俺の肩を叩いてそのまま家を出る。

 

 もう夕暮れだというのに、随分急なことだ。

 バルガッドといえばここから徒歩で数日かかる、灰秘の国グレーデッドでも有数の規模の街。こんな辺境の村に住む人間が向かうには、少しばかり遠い場所のはずだ。

 

 ……何か起きたな。あの焦りようからして、中々に大きな問題が。


「にい、おかえり!」

「おおラーナ。ただいま」


 どことなく不吉な予感を感じていると、ラーナが前から勢いよく飛びついてくる。

 父とは違っていつも通りの我が妹。いつもと違う点があるとすれば、新しい服を着ていることくらいか。


「みてみて! かわいいでしょ!」

「ああ。とても似合ってるよ」

「えへへー!」


 軽く頭を撫でると、少し華やかな服を見せびらかすようにくるくると回り出す。

 恐らく母の趣味も入っているのであろう、ラーナの愛らしさを抜群に引き出している服。どこぞの店で並んでいても違和感のない出来に、母も器用だと感心してしまう。


「母さんはいる?」

「おく! いまごはんつくってる!」


 再度こちらにくっつくラーナ。どうせ離れる気はないだろうし、そのまま母の元へ向かう。

 ラーナの歩幅でリビングへ到着すると、手際よく食事の用意を整える母が見える。

 いつもと変わらぬ動き。だがほんの僅かだけ、母の顔はいつもよりも笑顔が少ないような気がした。


「ただいま。何か手伝う?」

「あらおかえり~。こっちはもう終わるから、ギルくんは先に汗流してきちゃってね~」


 俺が帰ってきたことに今気付いたのか、母さんは少し驚きながら笑みを返してくる。

 先ほどまで見えた僅かな陰りはなく、いつも通りの笑みでこちらへ話しかける母。

 ……上手いことだ。食い下がるのも迷惑だろうし、言葉に甘えて汗を流すことにしよう。

 なに、話など後から聞けばいい。

 父が飛び出していくなんて緊急事態であれば、聞かずとも食事中にでも話してくれるだろう。


「ラーナ。後で構ってやるからちょっと待っててな」

「えー」


 離れたくないのか、不満そうに頬を膨らますラーナ。抗議の仕方はルアリナそっくりだな。

 

 それでも離してくれたラーナにお礼を言いながら自室へと向かう。

 妹と共用になったため、少しばかり狭くなった部屋。今はまだ僅かだが、いずれあのお姫様が自分色に染めていくのだと考えると、部屋の中央に壁でも欲しくなってしまう。

 

 綺麗に畳まれた服を取り、家を出て外にある小さな個室の鍵を開ける。

 中は手入れの行き届いた流し場。壁にあるボタンで電気を付け、扉を閉めて服を脱ぐ。

 

 誰にも邪魔されない空間。現状、ここが唯一俺が声に出して記憶を整理できる場所だ。

 束の間の休息に、ほっと一息吐きながら壁に付いた蛇口を捻る。

 浄化と保温の術式が刻まれた水貯めから管を伝い、丁度良い温度の湯が天井から振り出し始めた。

 このシャワーなるもの。なんでもこのこの村に越した際、母がなんとしてでも父に作ってほしいと熱望したものらしい。

 一般的な村の家庭、少なくともこの村ではうちにしかないであろう個室湯浴び。

 少なくとも、ある程度裕福な家庭でなければ思いつきもしないだろう。これを提案する時点で、母の育ちが一般的ではないのが窺える。


 ……そういえば、俺は未だに両親の過去を聞いたことがなかった。

 母が有名らしいのは父から聞いたし、父もあの実力なら無名ってわけでもないだろう。もしかしたら、どこぞの街や国では名を馳せた人達なのかもしれない。

 俺を生む前にこの村に流れ住んだのは知っているが、果たして昔はどんな人生送ってたんだか。そもそもどうやって出会ったんだか想像付かないんだよな。

 

 ま、父が帰ってきてそいういう気分だったら聞いてみよう。

 そう思いながら蛇口を閉め、タオルで水を拭き落とす。

 うーんすっきり。やっぱ人の多い集浴場より、個室の方が落ち着いてて俺は好きだな。


 体を拭き終えた後、置いてある筒状の魔具を手に取り起動させる。

 筒の先端から噴き出す風が、部屋と体に残る水分を乾かしていく。この魔動具も父の手作りらしい。


「……ふう」


 実に爽やかな気分。始末屋時代むかしならしけた煙草で一服していたことだろう。

 この心地よさに浸っていたいと。

 そんな気持ちに駆られるが、機嫌を損ねたラーナの顔がふと脳裏を横切ってしまう。

 

 ……あんまり待たせると煩いし戻るか。父についても聞かないと行けないしな。

 

 気持ちを極楽気分から切り替え、のんびりと家まで戻る。

 扉を開けば案の定、ご立腹と言わんばかりに待ち構えるラーナ。……割と急いだ気がするが、うちの姫はこれでもご不満らしいな。

 

「おそいよにい! まちわびた!」

「おーそうか。待たせたなー」


 ……ませた年頃なのか、最近小難しい言葉を使い始めたラーナ。

 まったく、賢いのはいいが誰に影響されたのだろう。

 うちの妹には健全な環境と精神で育ってほしい。せっかく両親に似て整った容姿をしているのだから。

 

「ギルー? もう戻ったの~?」

「うん。もうご飯?」

「あら早いのね~。じゃあちょっとお話もあるし、もうご飯にしちゃいましょう~」


 緩やかな声に反した準備の早さ。手伝う暇もなく、すぐに三人分の食事が並び終わってしまう


 ふて腐れるラーナを座らせ、自身も隣の椅子に腰を下ろす。

 並べられているのは麦パンとサラダ、それといろいろ入ったスープと少しの肉。毎度多少は色は異なるけれども、基本的には変わり映えのない品々だ。


「じゃあ召し上がれ~」

「はい。いただきます」

「いただきます!」


 まずはスープをスプーンで掬い一口。数種類の野菜が凝縮された独特の旨みが、目覚めていない舌の調子を整える。

 流石はうちの定番メニュー。別に好きでも嫌いでもないが、この変わらぬ味が心地好い。

 ようやく舌が温まってきた所でパンを手に取り、スープに付けて口に放り込んでいく。

 

「にいぃ、これたべてぇ」


 半分ほど食べた頃、そろりそろりと近づいてくるラーナの皿。

 ラーナはこのスープが苦手、正しく言うなら野菜が苦手だ。

 まあこの何とも言えない味は、子供の舌にはちときつい。子供になった直後、心が大人であった俺も好きではなかったくらいなのだから。

 けれど、これでも昔に比べればましな味にはなってはいる。昔はこれに三割ほど苦みが含まれたものであったこと。母の舌が随分と雑だったため、中々改善されなかったのだ。


「駄目だ。自分で食べなさい」

「や」

「やって……じゃあ半分だけ。半分もらってやるから、後は自分で頑張るんだ」


 どうせ頷かないのは分かっていたし、どうにか半分で納得してもらう。

 母さんも頑張って作ってるのだけどな。

 ……まあ子供の好き嫌いはしょうがないし、これからの成長に期待かな。


「……それで母さん。どうして父さんは出掛けたの?」


 そこそこ食事も進んできたところどで、気になっていたことを母に聞いてみる。

 母としても話すタイミングを伺ってたのだろう。ゆっくりとスプーンを置き、こちらへ顔を向けてくる。


「お父さんはバルガッド……おおきな街まで買い物に出たの」

「買い物? 行商人なら先日来たよね?」

「……実はハウルアちゃんが倒れちゃったの」


 母にしては珍しく、間延びのない沈んだ声。

 だからこそ、それだけ事態は芳しくないのだと察することが出来る。

 

 成程、合点がいった。だから今日、アルトラは俺達の元に来なかったのか。

 いかにあの負けず嫌いであろうと、母親に何かあればそちらを優先しないはずはない。あいつはそういう優しさを持っている男だ。

 それにしてもあの人が、ハウルアさんが病気になるとは。

 この村だと、父さんと同じくらいには頑丈なイメージだったのだが。やはり病は気まぐれということか。


「この後看病に行ってくるわ。だからラーナの面倒、お願いしてもいい?」

「大丈夫だよ。気にしないで行ってきて」


 そんな事態で自分を優先するほど薄情になったつもりはない。

 断る意味などどこにもなく、母の頼みに頷くと、母は笑顔でお礼をと言ってくる。

 こちらは問題ない。隣のお姫様いもうとが駄々をこねようと、どうせちょっと経ったら寝てしまうだろう。

 むしろ心配なのはアルトラの方だ。

 いかに勇者の卵とはいえ、所詮はまだ子供。弱った母親を前に落ち込まなければいいのだが。


「じゃあもう行くね? 食器は洗い場に置いてくれればいいからね?」


 いつの間にか食べ終わったのか。

 母はすぐ食器を片付け、あらかじめ用意していた荷物を持って家から出ていく。

 これで家にいるのは子供二人だけ。基本的に親のどちらかはいるので、なんだか珍しい光景だ。


「にい、にがぁいよぉ」

「ほら頑張れ。食べ終わったら遊んでやるからな」

「……がんばるっ! あむっ」

 

 素直な奴め。いつもこれぐらい聞き分けが良ければ俺も楽なのだが。

 必死に食事と格闘するラーナを微笑ましく思いながら、残りの食事に手を付ける。

 俺もとっとと食べて、皿でも洗ってしまわなければな。

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