剣
次の日。訓練を朝だけで済ませた俺は、アルトラの家へ向かっていた。
ルアリナは今日はいない。
昨日のアルトラと違って今日は来れないと言っていたので気にすることでもなく。むしろ今からやろうとしていることを考えれば、いない方が楽なので構わない。
「おーいアルトラ。いるかー?」
扉を三度叩くと、中から返事の代わりに人の足音が聞こえてくる。
呼び鈴はないので不安だったが、どうやら伝わったらしい。
扉の前で少し待っていると、数秒後にゆっくりと扉が開いていき、アルトラが姿を見せる。
「……ギル、お前も来てくれたのか」
「ま、気になったしな。……随分へこたれてるな」
「……わかっちゃうか。まあ、とにかく入ってくれよ」
覇気のない顔のアルトラに言われるまま、家の内へ入っていく。
見に来て良かった。母さんからも少し元気がないと言われてはいたが、まさかここまでとは思ってもいなかった。
実は初めてお邪魔したアルトラの家。
何があるのかちょっと興味を抱きながら後ろを付いていくと、少し広めの居間に辿り着く。
とはいっても、汚くなっているということはない。
まあ昨日は母さんが来たのだ。当人はともかく、内情にそこまでの心配はしていなかった。
「適当に座っててくれ。今何か出すから」
「……待て、俺がやる。場所だけ教えて、お前は座ってろ」
少しきつい言い方になってしまったが仕方がない。
このへこみにへこんだ小僧に茶でも用意さるのは危なっかしくて見ていられない。お湯を零すだの火元に手をぶつけるだので火傷するのがオチだ。
「……ああ。じゃあそこにカップがあるから、それに入れてくれ」
少し強い言葉だったので反発するかと思ったが、アルトラは意外にも素直に頷き、カップの場所を教えてくれる。
やはり重傷。普段なら反論の一つもしてくるところだろうに。
相当まいっていると、お湯を沸かして適当な茶葉をカップに入れていく。結構良さそうな茶葉だが、まあ今は茶の味より暖かさの方が優先か。
「ほれ」
「……悪い。さんきゅ……って、あつっ!」
完成後、アルトラの側へコップを置く。
アルトラは礼を言いながら口を付けるが、予想よりも熱かったのか驚愕を顔に描いてくる。
「熱くない? 舌焼けそうなんだけど」
「上の空なのがお前が悪い。ったく、本当に腑抜けてやがんな」
「……やっぱそう見えるか?」
「ああ。いつも自信満々で負けず嫌い、鬱陶しいことこの上ないやつとは思えないくらいだ」
面倒なので包み隠さずに言ってみるが、アルトラは苦笑いを見せるのみ。
少しは反発していつもの調子に戻ればと思ったが、残念ながら上手くはいかなかったらしい。
ま、唯一の家族が倒れてしまえばそうなるのも無理はない。
似たような思いはしたことあるし、奪われて涙を流すやつをそれ以上に見てきたからな。
「そんなに良くないのか?」
「……ああ。バルドさんが言うには
乾いた笑いの後、アルトラはぽつりぽつりと病態を挙げてきた。
……
挙げられる特徴として有名なのは、死までの期日と変色する血の色。
発症すれば例外なく一ヶ月ほどで確実に死に至る魔力病。確か大地からの呪いって考察もあるくらい重病だと、どこかの本に書いてあった気がする。
「薬に必要な
用途は爆薬や痛み止め、さらには料理など実に多様。万能草と呼ばれることもくらい重宝されるのだが、
だが幸いなことに今は春。この時期が
冬が去ってしてそれなりに日は経っている。父が街で買えないなんてことにはそうならないだろうし、仮に駄目でもどこかの薬屋に特効薬があるはずなので問題はないだろう。
「お前に出来るのはハウルアさんに元気な姿を見せてやることだ。間違っても、不安で自分が潰れることじゃねえぞ」
「……ギル」
「心配すんな。父さんなら必ず間に合う。だから安心して待ってろよ」
俺の言葉を聞き少しだけ落ち着いたのか、アルトラの顔に少し色が戻ったような気がする。
……別に励ますためじゃない。今のはただ、純然たる事実を羅列しただけだ。
確かにバルガッドは遠い。常人が徒歩で向かえば相応の時間を要する、それほどの距離だ。
だが今街に向かっているのは父、俺が強者と認めるあの人なのだ。
あの人が走れば七日ほどで程度で戻ってこれるはず。下卑た盗賊共に囲われようと、容易に対処して戻ってこれるだろう。
だから、俺たちに出来るのは気持ちを乱さず帰りを待ち、ハウルアさんの回復を待つことだけ。余計にじたばたしたところで、ハウルアさんの心労を余計に募らせるだけだ。
……そう。今出来ることを、俺が今やるべきことをやらなきゃな。
「悪いけど、ハウルアさんと少し話したい。頼めるか?」
「……ああ。けど母ちゃんは──」
「すぐ終わる。負担を掛けるつもりはねえ」
あまり気が進まなそうなアルトラだが、それでも頭を下げて真剣に頼み込む。
今の俺、正しく言えば今のこの村には必要なことだ。
別に守ってやりたい奴など数えるほどしかいない村だが、それでも大事な人は確かにいる。だからこそ、俺はそれを守らなければならないのだ。
アルトラの後に続く形で、奥に見える部屋にまで歩いていく。
扉の先に見える綺麗な部屋。その奥にあるベッドの上に、ハウルアさんは横になっていた。
「……母ちゃん起きてる?」
「……起きてるよ。こほっ、どうかしたの?」
「ギルが話があるってさ」
軽く会釈をすると、ハウルアさんはほんの小さく手招きしてくる。
側に寄って看病用であろう近くの椅子に腰を下ろし、目のみで容体を確認する。
アルトラと同じ赤茶色の長髪を持つ美女。
けれどいつも見せてくる豪快な笑顔はなく。体内の魔力の流れも歪んでしまっている。
……予想より芳しくない。もしかしたら、初期症状ではないのかもしれない。
父と同じくらいには頑丈だと思うこの人でこうなってしまうのか。
やはり人は病には勝てないのだろうか。……そんなことはない、そうだとも。
「辛い中すみません。少しお話があってきました」
「……大丈夫だよ。それでギル助、どうしたんだ?」
辛そうな中、体を起こそうとするハウルアさんにそのままで良いと止める。
いつもとはまるで違う、風でも吹けば折れてしまいそうなか細い声。
それでも、こんな状態でもその瞳は優しさに満ちている。たったそれだけで改めて、この人は他人に優しくあれる善人なのだと理解できた。
「……お願いがあります。父が戻るまでの間、貴女の剣を貸していただけないでしょうか」
俺の問いかけに声を上げたのは、ハウルアさんではなく後ろにいるアルトラだった。
「……どうしてだい?」
「父が街に出ています。貴女も倒れてしまった今、村への驚異を払える人間がいません。」
ハウルアさんは僅かな思考の後、その瞳に困惑を乗せて尋ねてくる。
疑念ではなく質問。悪を為すと疑うのではなく、心の底から理由を聞いてきている。
だからこそ、その目から逃げることなく。
真剣に、真っ直ぐに。彼女を納得させるため、自らの考えを声に出していく。
「君が村人信用出来ないのはわかる。けれどグランザさん、彼では不満かい?」
「いえ。ですが不測の事態に抗うには足りない。何か起きたとき、対処できる人間が必要です」
父とハウルアさんを欠いた今、この村にまともな戦力はないと言っていい。
まともに動けるのはのグランザ爺さん、村唯一の狩人くらいだ。それ以外については、はっきり言ってアルトラやルアリナの方が断然動ける程度の連中しかこの村にはいないのだ。
いつもならそれでも問題ない。最悪あいつらが死んでも、俺は一切気に留めることすらないだろう。
だが俺にとって、今はそう楽観的になれるほど余裕を持つことは出来ない。
かつて味わった村の滅びまであと僅か。兆候や片鱗が既に起きているかもしれない。
そんな時期に父という戦力を欠いてしまえば、この村は来たる滅びの日の前に瓦解してしまってもおかしくはない。あの人が帰ってくる場所を守るのは俺の役目だ。
それにもう一つ。これは私情もなるが、真剣を手に馴染ませる絶好の機会なのだ。
子供に戻って七年と少し経つが、真剣を持つ機会が限りなく零に近かったのだ。
どれだけ訓練しようが所詮は木刀。実際の得物を振り慣れていなければ、振り回されてしくじるのが落ちだ。
最悪木刀に切断の術印を刻んだり、家にある刃物で代用してもいい。
けれど持てるのならば本物の剣が一番安定する。間合い、頑強さという面で剣は他とは一線を画しているのだから。
どのみち剣がなくとも、周辺の警戒はしなくてはならない。
そこで起こるかもしれないもしもの戦闘に備え、持てるなら持っておきたいのだ。
「お願いします。どうか俺に、戦える力を貸して下さい」
深く頭を下げ、自分でも分かるほど真剣な声色で頼み込む。
意志も言葉も、少したりとも逸らしちゃいけない。背伸びしたい子供のお願いではないことを伝えなければ、良識あるこの人に頷いてはもらえないだろう。
静寂が場を包む。ハウルアさんの返答が来るまで、俺は頭を下げ続けるしか出来ない。
「……顔を上げて。ギル助」
嫌に長く感じた僅かな間、やがてハウルアさんはゆっくりと口を開いた。
「毎日夕方には返しに来ること。人には向けない。危なくなったら剣なんて捨ててすぐに逃げる。いいね?」
「……はい。ありがとうございます」
伸ばされた手で頭を撫でられ、壁に立て掛けていた剣を指差される。
よかった、どうやら貸してくれるらしい。正直頷いてもらえて助かった。
「……似ているなぁ」
「えっ?」
「何でもない。……怪我すんなよ、ギル坊」
何かを思い出すように呟いた後、ハウルアさんはゆっくりと目を瞑る。
これ以上は彼女の負担になる。話すことも話したし、とっとと剣を借りて退散しよう。
ゆっくりと立ち上がり、なるべく音を立てないように剣まで近づき、持ち上げる。
抜かずとも分かる。久しく感じることのなかった、殺すための鉄の重み。
最後に握ったのはあの月夜。俺がルアリナに殺されたあの日か。
思えば、随分と時間が経ったものだ。
あの日終わったはずの薄汚れた始末屋風情。そんな俺に、まさか誰かを守るために剣を握る機会が来るとは思わなかった。
……今の俺に振れるだろうか。この想いの乗った剣を、誰かのために握る資格はあるのだろうか。
脳裏に過ぎらせながら一抹の不安。無駄な思考だと首を振る。
雑念は捨てろ。この身は武器。所詮は棒きれ一つ、振るうことに意味など見出すな。
最後にハウルアさんに軽く一礼し、後ろにいるアルトラと共に部屋から出ていく。
「……すげえな。剣なんて、一回も触らせてもらったことないぜ」
「条件付きだがな。じゃ、そろそろ帰るわ」
「……もう帰るのか?」
「おう。グランザ爺さんに挨拶しなきゃな」
何か言いたげな瞳を向けるアルトラ。……俺が剣を持つことに思うことでもあるのか。
けれど互いに一言も発することなく、沈黙のまま俺たちは扉の前まで到着した。
「じゃあ帰るよ」
「……ああ」
「そうだ、今日も母さん来るから頼む。穏やかだが、あれで結構気張ってるからな」
「……ああ」
上の空で返事をするアルトラは、さっきよりも顔を俯かせている。
……なんだこいつ。こんな僅かな合間に、何か落ち込むことでもあったか?
「……ギルは凄いな」
「ああ?」
「こんなときでも村のことを考えてさ。……俺とは大違いだ」
何か遠いものを見るよう、手の届かぬ星に焦がれるような目。
その瞳には酷く覚えがある。人であれば誰しも持つであろう羨望、そして自分とは違うなどと勝手に諦めた馬鹿がする切望の眼差しだ。
……馬鹿らしい。そんな後ろ向き、英雄には欠片も似合わない。
お前は笑っていればいい。いつか背負う太陽のように、人々を希望で照らしていればいい。
そういうのは俺みたいな何も持たざる這いずり者にkそお似合い。場末の酒場で肴にすべきくだらない劣等感だよ。
「ばーか」
「いてっ」
だからその思い自体を否定するよう、思い上がった馬鹿なガキの額に指を弾く。
不意の痛みに額を抑えるアルトラ。ったく、普段なら反応くらいは出来るだろうによ。
「馬鹿正直に向き合えるのは美徳だが、抱えすぎは体に毒だぜ。馬鹿アルトラ」
「……馬鹿って言い過ぎだろ」
「馬鹿だから言ってんだよ。いいか? 普通子供ってのは、親が倒れたらそれはもう泣いてうるさく喚くもんだ。んな風に周りのことまで気遣う必要なんてねえんだよ」
英雄の卵だとしても、所詮はちょっと大人びているだけな一桁のガキなのだ。
そんな育ち盛りが、母の病気でそこまで自分を責める必要なんてない。むしろ落ち着いていたら逆に心配になってしまうものだ。
好きに悲しめ。しっかり飯を食べて、早く元気になってと側で笑ってやれ。そうでなきゃ、ハウルアさんだって治らないだろうが。
「父さんは帰ってくる。だからお前のやるべきこと二つ。お前が倒れないよう飯を食って寝ること。俺の代わりにルアリナとラーナの面倒を見ることだ。わかったか馬鹿が」
自分で言ってて無茶だと思う。散々子供扱いしておいて求めすぎなのはわかっている。
それでもこいつがこんな風にへこたれているだけなのは見たくない。
ルアリナと同じ、それ以上にお人好しの負けず嫌い。それこそ俺の知っているアルトラ・ナーリアという男のはずだから。
「そう……だな。うん、ギルの言うとおりだな!」
「おうとも。やっとらしい顔になってきたな」
アルトラは先ほどより幾許かはましな面でこちらを向き直す。
……多少はましになったか。
ったく、こういうのは苦手なんだ。俺の手を無駄に煩わせんじゃねえよな。
「そんじゃ帰る。何かあれば迷わず呼べ。いいな?」
「……ああ! ありがとうギル、やっぱお前は凄いやつだな!」
目でも焼かれそうなほど眩しい子供の笑顔。……そうだ、そんな面してこそアルトラだ。
もう大丈夫だと確信しながら扉を開け、振り向かずに先へ進んでいく。
……さて、ご大層に言っちまったんだ。俺もやることしっかりやらねえとな。
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