停滞

 気がつけば、父と手合わせをするようになってから一年が経過した。

 現在の勝率はおおよそ二割。間合いや動きの調整をこなし、少しずつ感覚は戻せてはいる。

 だが、それでも思っていたほど勝ちきれていない。父の強さが想像以上なことを加味してもだ。

 

 とはいっても、別に成長がないわけではない。

 実戦を経て格段に安定した強化魔術。一秒にも満たない瞬間的であれば、全盛期の俺に近しい強さを引き出せるまでには精度は上がったのだから。


 けれど、やはりまだ足りない。

 成長する肉体に合わせ、より過酷な訓練を行うようになった。ラーナがルアリナ達にも懐いてくれたので、訓練の時間が減ることはなくなった。

 なのにこの様。未曾有の危機に向かうには、現状の俺ではあまりに頼りない。

 俺とは違い、あくまで魔術なしで立ち回る父。手心を加えてくれる相手にこの様では、まだまだ勝負の土俵にすら上がれていないも同義だ。


 ……あと一年。俺の運命を決める、十の誕生日まで残された時間は少ない。

 この調子で鍛え続けたとして、果たして未知の存在と戦えるのだろうか。

 今の不完全で未熟極まりないこの実力で、俺は家族の死を変えることが出来るのだろうか。


 考えれば考えるほど、運命は俺を嘲笑うかのよう。

 もう後回しにしていい期間は過ぎた。

 いくら伸び悩んだとて、時は無情に進んでいく。止まっている時間など一秒すら惜しい段階にまで踏み込んでいる。


 だというのに、吐きたくなる嫌な想像が纏わり付いて離れやしない。

 こうして素振りをしていても、どんなに走り込んでもこびり付いて雑音になってくる。

 もっと、もっと強くならねば。

 いくら強くなっても、大事なところで勝てない人間に価値はない。自分の大事なものすら守れない人生など、なんの意味などないのだから。


「おまたせー! 待ったー?」

 

 そんな後ろ向きな思考の最中、耳に響く勝手知ったる少女の声。

 相変わらず、よく通るが煩く甘ったるい高さ。

 けれど今は少し助かったと。そちらを見れば案の定、笑顔で走ってくる金髪の少女──ルアリナがいた。

 

 俺の側まで駆け寄り、肩で息をしながら見下ろしてくるルアリナ。

 現在、俺達三人の中で最も背が高いルアリナ。……昔はこいつが一番小さかったのにな。

 女性の方が成長が早いというが、今ほどその身長に嫉妬してしまうことはない。

 少しでも背丈が伸びれば、それだけ間合いは広くなる。ただでさえ何も足りていないのだから、身長くらいはましに育ってほしい。


「……相変わらず早いな。アルトラは?」

「さあ? アルト君が遅いのはいつものことでしょ?」


 いつものように、見ているだけで甘ったるくなりそうな笑みを浮かべるルアリナ。

 ……この顔の溶け様。これが聖騎士ブリュンドになるかもしれない女の表情か?

 

「今日はラーナちゃんいないんだね? いつも付いてくるのに珍しいね?」

「ラーナは今日母さんと一緒。良い布を買えたから服作るってさ」

「そっかー。ま、あの娘べったりしすぎだし、たまには良いのかもね!」


 ルアリナはうんうんと頷きながら、慣れた様子で体をほぐし始める。

 ……別に仲が悪いわけじゃないが、ルアリナはたまにラーナへ厳しい気がする。女同士とはそういうものなのか。


 一通りほぐし終わったらしいルアリナが、両手を合わせる。

 掌の間に生じる白色の光。

 それは夜に見える光虫ひかりむしのようにふわふわと空に上がり、やがて霧散する。


 五歳の時は俺一人しか出来なかった魔力制御は、既に俺だけの特権ではない。

 光の球に込められた魔力量、そして大きさ共に俺よりも上。

 最近ようやくまともになってきた魔力の制御。それをこいつとアルトラは、誰に教わることなく見ただけで熟せるようになっていた。

 つくづく才能持ちというものは恐ろしい。

 彼らは嫉妬すら抱けないほど簡単に、凡人の常識外を当たり前のように振りかざすのだから。

 

「うん! 準備運動終わりっ! じゃあやろっか!」

「……ああ」


 俺より長い木刀を三度軽く振り、こちらに準備が出来たと構えをとるルアリナ。

 柔和な空気から一点。肌をひりつかせる、程良い緊張感がこの場を覆う。

 九つの子供が持つには鋭い集中。互いが隙を探り合う光景は、遊びの一言で片付けられはしないもの。


 この場は既に戦場いくさば

 睨み合うのは勝利を求む小さな獣が二匹。そよ風漂う野原にて、無言のまま向かい合う。


「せやあぁ!!」


 先に走り出したのはルアリナ。

 一歩、二歩、三歩。軽やかで迅い──風を妖精が如く舞台を舞う少女。

 だが反面、振るわれる刃は実に鈍重。軽さと重さを両立した万能の剣撃、それが今のルアリナの武器。


 既に素人子供の域をはみ出した剣筋。手を抜ける相手ではなくなったのは確かだ。

 けれど太刀筋は未だ直線でしかなく。

 誘いもない真っ直ぐな剣。子供らしい直情さに負けてやれるほど、俺は優しくはない。


「そこっ!!」


 回避の後、ほんの僅かに姿勢を崩す。

 それを好機とみたのか。ルアリナは地面を一気に踏み切り、目前へと迫って剣を降ろす。

 渾身であろうその一刀。それがだとも知らず、ただ一心に剣を振り落としてくる。


「にゃ!?」


 撫でるように優しく。迫る一撃に木刀を合わせ、ほん僅かにずらす。

 当てるべきものに当たらず。そのまま地面へと落ちる。

 ルアリナは思わず目を丸くするがもう遅い。そのまま木刀を弾き、それで勝負は終了する。

 

 ま、逸脱していようが所詮はまだ子供。

 確かに流派は父と同じだが、研ぎ澄まされたあの剣に比べればまだ未熟。駆け引きのない今ならまだ、いなすことなど造作もない。

 

「あー負けたー! やっぱギルくん強すぎるよー!」

「……ま、良い線行ってたけどな」

「うっそだー! ぜぇーったい余裕あったもん!」


 落ちた木刀を拾いながら、悔しそうに口を歪ますルアリナ。

 ……生憎余裕はそこまでない。ま、捉え方は自由だし、素直に受け取れない歳頃なんだろう。


 少し経ったが、それでも未だに震える手。

 自覚のないルアリナの力に内心舌を巻いていると、ルアリナは当たり前のように隣に座ってくる。

 刷り込みされた雛鳥みたいな懐きよう。

 この距離感に最初は戸惑ったものの、最近はすっかり慣れちまって違和感も減ってきていた。

 ……ほんと、なんでこんなに懐いてんだろうな。

 昔ならともかく、今ならもっと愛想のいい友達がたくさんいるだろうに。


「……暑い」

「そう? わたしはちょうどいいよ?」


 こんなに広い野原だというのに離れる気はないらしい。

 ま、離れても寄ってくるし別にいい。体臭が酷いとか、不快な感覚ってわけでもないからな。

 ……本当、随分と甘くなったな俺。

 俺を殺した聖騎士ブリュンドとは一応別人。そんなことは理解していようとも、最初は近づかれるのすら嫌だったはずなのにな。

 

 顔を撫でる優しい風が気持ちいい。ルアリナの言うとおり、確かにちょうどいいのかもしれない。

 わかっている。こんなことをしているのんびり休憩している時間などない。

 けれども少しの間だけは、この何とも言えぬ時間も手放したくない。我が儘だな、俺は。


「……なあルアリナ」

「なーに?」

「何で俺に付いてくるんだ?」


 ふと緩んだ口から零れた言葉に、ルアリナはぽかんとした顔で首をかしげる。


「何それ? どういうこと?」

「……アルトラにもそうだけどさ、俺って結構邪険に接してたと思うんだ。だからどうして、毎日懲りず俺に付いてきたんだろうかってな」


 ぽつりぽつりと言いながら、随分とまあ答えにくい質問をしていると自分に呆れてしまう。

 いかに他の同年代より聡明で落ち着いているとはいえ、所詮こいつはまだ九の子供。更に幼い頃の話を聞いても仕方がないというのに、どうしてこんなことを聞いたというのか。


「……何言ってんだか。悪い、聞かなかったことに──」

「──確かにね? 最初は嫌だったんだよ?」


 無意味な質問だったとその場を濁そうとしたとき、ルアリナはそう口を開く。


「ギルくんってば、最初の頃はずーっと睨んで無視しての繰り返し。お母さんやアラナさんが仲良くしてねって言うから一緒にいたけど、本当はどっかに逃げちゃいたいくらいだったなぁ」


 懐かしむように話すルアリナ。……意外だ。そんな風に思っていたのか。

 

「……けど、小さな木の枝を振ったり走ったりしてるときはすっごい真剣な顔しててね? それでただ怖いだけじゃないんだなーって思ったら、何か見ているのが嫌じゃなくなったんだよ」


 ただじっと聞く俺に、ルアリナは懐かしいねとにへらと顔を緩ませる。

 

「でね? 見ているだけじゃ何が楽しいか分からないから、ふと一緒にやってみよーってなったの! いやー、最初は全く楽しくなかったなー」


 それはそうだろう。

 ルアリナが俺の真似をし始めた時、こいつはほんの三つか四つの頃。最初はちょっと走ればすぐに泣き始めるし、俺の木の枝をせがんで振れば、ほんの三回程度で腕が痛いとか喚いていた。


「……なら、普通は止めるだろうに。その頃なら他に友達もいたんじゃないのか?」

「うん。アイナちゃんとかベルキッドくんとか、ギルくんとは違って友達いるもん」


 遠回しに俺を野次らないでほしい。

 今は欠片も親しくないが、最初むかしの俺は普通に遊んでた連中だったはずだし。


「悔しかったんだー。絶対見返してやるーって、だからずっと一緒に特訓してたんだよ」

「……成程。悔しかった、か」

「うん! そしたらアルト君が来て、バルトさんがこうすると良いよって言ってくれてね? 気がついたら皆でそうやってるのが楽しくなっちゃったの!」


 言葉に偽りないと、本当にそう思っているのがよく分かる満開の笑み。

 ……そうか、楽しかったのか。本当、呆れるほどに剣士の器だよ。

 

 こいつの中にある英雄の──剣を持つに相応しい根幹。

 その片鱗を垣間見た気になっていると、ルアリナは立ち上がり、腕を合わせ天へと伸ばす。


「言ってたらやる気出てきた! さ、もう一回やろう!」


 こちらへ手を差し出すルアリナ。

 一つため息を吐いた後、その手を取ることなく自分で立ち上がる。

 今は俺の方が強いんだから、手なんて借りるのは勝者の示しが付かねえだろうが。


 俺のちっぽけな自尊心に、ルアリナはちょっとご不満だと頬を膨らませる。 

 

「ほら来い。また負かしてやるよ」

「むー! ぜぇーったい勝つかんねぇ!」


 誰にもが分かる軽い挑発にも、こうやって全力で応えてくれるルアリナ。

 少し前なら泣きわめいたものを。才能関係なんてなしに、子供はすぐに大きくなりやがる。


 獣のような前向きさ。目の前にあるのは、俺が失って久しい真っ直ぐな眩しさ。

 駆け出すルアリナにどこか懐かしさを覚えながら木刀を構える。

 さて次は、どうやってこかしてやろうと考えながら、戦いに意識を集中していった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る