手合わせ

 家族で出掛けたあの日、俺は父に一つ頼みごとをした。

 その内容とは父との手合わせ。詰まるところ、剣での野試合だ。

 ここ数年遠ざけていた実戦の感覚を取り戻す。そのためには実戦が一番。

 いろいろ試し、自身の停滞からそう痛感した俺は、この村で最も強く信頼できる父へ願ったのだ。


 お願いと聞いて最初こそ嬉しそうにしていた父だが、少しばかり返答を悩んでいた。

 単純に子供に剣を握って欲しくなかったのか、そうではない理由でもあったのか。

 答えは父の胸の中のみ。心なんて読めない俺には、その理由が分かることはないだろう。


 けれど一歩も退かない俺に、父はやがて諦めたかのように条件付きで頷いてくれた。

 

 時間は早朝。

 立ち合いは一日三本まで。

 そしてやるからには、いかなる場合でも手は抜かないということ。その三つ。


 父の提案に、俺は即答で頷く。

 誰にも邪魔されず、実力者であろう父が手を抜かずに接してくれる好機。

 たとえ一日三度という少ない機会だろうと、それを逃す気も余裕も俺にはなかった。


 




 空はまだ暗く、夜明けを告げる朝鳴鳥コケコーの鳴き声が聞こえた直後。

 夜と朝が切り替わろうとししているそんな時間に、俺はいつもの鍛錬場で木刀を構えた。

 

「……ギル、いいんだね?」

「はい。お願いします」


 向いで俺を問いたのは、いつもの英雄の卵共ルナリアとアルトラではない。

 僅かに漏れ出した日の光が照らすのは、真剣な表情でこちらを見据える父の姿。


 しとり、と額から落ちる汗。手に持つ木刀に力が入る。

 普段は母とは違った意味で温厚な父。子供に戻ってから、怒声の一つも聞いたことがない優しくも甘い人。

 そんな姿しか知らない俺にとって、目の前で構える父の迫力は今まで感じた事のないものだ。


 ──肌を刺す視線。

 それはまるで幾重にも相対してきた、殺しの相手に向けられるものと同等。


 まるで隙を見せぬ相手ちち。決して見失わぬよう、五感全てを研ぎ澄ます。

 いつ攻めるか。

 どこに打つか。

 構えから流派は推測出来る。ならばその優位を生かして、こっちから──。


 ──思考の合間、先に動いたのは父だった。

 

 無数の思考の縫い目を付くような速度。

 瞬き一つにも満たない合間に、十数歩の距離はいとも容易く踏み越えられる。

 

「──へえ。今のをなすんだ」


 真上から落ちる一撃を、自らの木刀を滑らせ何とか逸らす。

 だが、それでも完全に殺すことは叶わない。

 直撃を避けてなおそこいらの大人とは比較にならない威力に、少し腕を軋ませる。

 

 ──何つう威力だ。これで様子見とか、優しげな顔に見合わず性格たちが悪いぜ。

 

 初撃で決めるつもりだったのか、少し驚いたように呟く父。

 それでも何ら止まることなく二撃三撃を繰り出してくる。

 まるで俺を試すかのような斬撃は、一撃ごとに重さと速度を増していく。


 膂力は明らかにあちらが上。そんなことは始まる前から分かっていた。

 守ってばかりじゃじり貧で、このままいけばいずれ捉えられるのは明白。

 けれど反撃は至難。だからこそ、一気に押し通る以外に活路みちはない。

 むかしのようにいつものようにない隙を作り出せ。強引に実力差を覆す──!


強くあれエンスっ!!」


 小手調べは終わりだと、両手で持たれた一撃と同時に言葉を紡ぐ。

 強化に掛けている魔力は全体の一割にも満たない量。それでも欠片の安定もしない詠唱行使。

 

 けれどそれで十分。

 所詮は小手先の緩急。けれどもその浅知恵こそが、この状況において勝ちを拾える最大の武器になる。

 俺の意志に応えるよう、内側で呼応し脈動する魔力。

 漲る力の飛躍に父が僅かに驚愕したのか。そんな油断をそのまま形にしたかのように、父の剣先が僅かにぶれたのを視認する。


 一度軽く退き、父の木刀の軌道から逸れた後。視界の外、左奥へ最速で飛び込む。

 父の腹を貫かんと突き進む木刀。父が追いつくよりも速く、捕まらないよう尖鋭に。

 

 ──だが。


「惜しい。けど、足りないよ」


 今度はこっちが驚愕する番。

 確かに胴に届くはずだった突き。けれどそれは、あるはずのない木刀によって逸らされる。

 次一手を組み立てる間もなく、手から弾かれ地に落とされる得物。剣先を向けられた俺に残された選択肢は、両手を挙げる降参の意志だけだ。


 まさかあそこから負けるとは。……いや、今のは俺の油断が全てだ。

 戦闘において、微弱な強化一つで勝てるのなら誰も苦労していない。そもそも、強化とは弱い人間が強者に追いすがるための抵抗。そんなことはわかりきったことだろうに。


 それに今ので実感したが、すっかり感覚も鈍ってやがる。

 全盛期の俺ならあの程度で動じることはなかったはず。少なくとも、相手が速度を上げただけでいちいち心を揺らしはしなかったはずだ。

 初見殺し一つで勝った気になってしまった鈍心なまくらごころ

 それこそが今の俺がかつての足下にすら至れていない証拠。これでは例え魔力量が勝っていても、始末屋エンドとして地を這ったあの頃の方がましだった。


「驚いたよ。まさか強化の魔術を使ってくるとはね。アラナさんに習ったのかい?」

「別に、独力だよ。……なんで母さん?」

「なんでって、この村で教えられそうなのは母さんとハウルアくらいだしね」


 自らの至らなさに悲観していると、不意に出てきた名前に疑問が生じてしまう。

 ハウルア──アルトラの母親──が出てくるのはまだ理解できる。彼女も父の同僚だったのなら、それ相応の実力者なのは想像出来るから。

 だが、どうして母の名前が挙がる? 母はちょっと天然な普通の人、じゃないのか?

 言葉の意味を考えても、その答えが一向に出てこない。それほどまでに、記憶にある母と魔術が結びつくことなかった。


「……詠唱試行を独学か。なら、流石はアラナさんの子だ」

「……母さんって魔術を使えるの?」

「ああ。色々あって今は使わないけど、昔は結構名の通った魔術師メイジだったんだぞ?」


 知らなかった。あんなにのほほんとした人に、そんな過去があったのか。

 確かに両親の過去について知っていることは少ない。

 

 どうしてこの村に住むことになったのか。

 その前は何処で何をしていたのか。

 馴れ初めはどういったものなのか。

 

 いざ振り返れば、前を含めてもそんな些細なことすら聞いたことがなかった。


 ……だがまあ血筋が優秀なら、俺は中々に出来が悪い子供なのだろう。

 だって今持っている魔力だって元々も素養ではなく、あくまで自分で伸ばしたものに過ぎない。

 父の剣才もそうだが、俺はどちらも受け継かずに生まれた子供。

 さしずめ俺は才人から生まれた凡人。荘厳な黄金鳥こがねどりに混じる灰鳥ライドってわけだ。


「剣もそうだが、その歳じゃあ考えられないほど戦い方が完成されている。これが天性だとしたら、ギルは間違いなく天才だよ」


 誇らしげに俺へ向けてくる父の賞賛は、そんな俺の内心とは真逆の言葉。

 生憎、はいそうですねと頷けるほど単純な馬鹿にはなれない。

 だが客観的に否定は出来ないし、喜ぶ父の気を削ぐのもあれなので俯くことしか出来なかった。


「けど、父さんみたいな剣の適性はないよ。それこそ、アルトラやルアリナよりも」


 結論こたえを知っているからこそ言える、実に惨めな負け犬の戯れ言。

 父の剣は練心流と呼ばれるもの。心鉄揺るがぬつるぎとすれば、その太刀筋に切れぬ物なしと謳われる、グレーデッドで最も使い手の多い流派である。

 戦わずに殺せば最上である俺の剣とは真逆、まごうことなき王道の剣。卑怯上等の殺し合いならともかく、正面切っての戦闘でこちらが勝ることはそうそうない。


 事実、ただ剣の腕だけを競うならば、父から学び始めた二人とそう大差はなくなっている。

 それでも他の要素を駆使すれば負けはしないが、その優位もいつまで持つか。想像を遙かに超える急激な成長に、この惨めな凡人の小細工がいつまで食いつけるか定かではない。

 

「……ギル。ギルはどうして、そんなに強くなりたいんだい?」


 気まずい空気を変えるため、もう一回と言おうとしたとき、父は俺にそう聞いてきた。

 

「一人で剣を振り続けるのは別にいい。好きなことを続ける姿は親として誇らしいよ」

「……なら」

「けど、ギルはそうじゃない。ギルはアルトラ君達と違って、剣を振ったり体を鍛えることに楽しさを見出してはいない。そうだろう?」


 問い詰めるわけではなく、あくまで確認するようなた父の口調。

 悪意のない真っ当な疑問。多少の観察眼があれば誰でも気付いてしまう、いつかはされると思っていた質問。

 けれどいきなり過ぎる直球の質問に、自分でもわかるほど表情が強ばってしまう。


 ここで何もかもぶちまければどれほど楽か。

 父は息子の言葉を無碍にする人ではない。例えどれだけ突拍子のない妄言だとしても、真剣に話せば嘘と一蹴することはないのだろう。


 けれど駄目だ。それでは駄目なのだ。

 父が手練れなのは分かっている。あくまで推測に過ぎないが、始末屋エンドとして活動していた全盛期の俺と同じくらい。もしかしたらそれ以上の実力の持ち主なのだろう。

 それでも巻き込むわけにはいかない。……いや、巻き込みたくないのだ。

 例えどれだけ強くとも、あの日確かに父は死んだ。真っ赤に燃え広がる家族の場で、父と母は無残にも倒れ、その命を落としたのだ。


 運命が容易く曲がることはない。それは誰もが知る絶対のことわり

 形のない不変に踏み込めるのは世界の創造種、超常たる六人の王種オーバードのみ。その中でも流れと巡りを司る輪廻の王ドゥワルグだけ。

 会ったことも見たこともない伝説上の幻想存在。

 そんな奴らにしか届かない領域を、俺なんかが犯せるはずもないだろうに。


 だが、それを言ってしまえば村も家族も滅ぶ結末は変えられないことになる。

 何せ俺は輪廻の王ドゥワルグではない。過去に戻されただけの替えの効く凡人だ。

 だからこそ、父の命を脅かす死の要因から少しでも遠ざけたい。何が正しいのか分かるほど賢くないから、せめて死んで欲しくない人のために俺が頑張るしかないのだ。

 

「……楽しいよ。顔に出てないだけ、父さんが気づいてないだけだよ」


 だからこそ、例え騙すことになってもそう言うしかなかった。

 今の俺はどういう顔をしているのだろう。きっと泣きそうな子供の面だ。

 だが生憎、それを教えてくれる姿見はない。こちらを見据える父の碧の瞳だけが、その答えを示すのみ。


 僅かな静寂。俺と父の世界を取り囲むのは、僅かに吹く朝風の音のみ。

 

「……そうか。なら、父さんがまだまだってことだな」


 先に沈黙を破ったのは、いつもと変わらぬ父の声。

 謎を探るような探求の目が、いつも通りの暖かさを持つ父親の目に戻る。


 ……本当、優しい人だよ。この村で守りたい人達は。


「さて、やるからにはびしばしいくぞ! いやー、ギルが俺に勝つのはいつになるかなぁ?」

「……勝たせる気とかぜんぜんないよね?」

「まあね。お前の父さんとして、簡単に負ける気はないよ」


 言葉通り、決して負ける気のない自信に満ちた父。

 その笑顔に苦笑いしながら、俺は数歩距離を取り、再度木刀を構える。

 手加減なしこそ上等。こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。

 更に先へ。父よりも、ルアリナよりも、アルトラよりも。

 誰よりも強くならなければ。それでなければ、目の前いるこの人すら失ってしまうのだから。


 言葉はいらず。強く地を踏みきり、勢いのままに父へとぶつかる。

 草原にて鍔迫る二本の木刀。

 上がる太陽に構うことなく、今のすべてでこえるべきかべへ挑み続けた。

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