あれからまた、三つほど冬を越した。

 現在の歳は八つ。体も魔力も順調に成長し、努力の成果は少しずつだが形になってはいる。

 だがそれでも、この身は未だ全盛の自分にすら辿り着くことすら出来ていない。

 当初の予想以上に上手くいっていない現状に、日々焦りは募る一方だった。


「今日のお昼は外で食べましょう~」

 

 四季草も春を告げる緑へと姿を変え、風もも生暖かくなった時期のある朝食中。

 母は唐突に、いつもと同じ緩やかな口調でそんなことを提案してきた。

 

「外……ですか?」

「そうよ~。せっかく良いお天気なんだから、たまには外で風に当たりたいわ~」


 疑問から聞き返してしまった俺に、母は変わらぬのほんとした口調でそう返してくる。

 

「良いじゃないか。折角冬も明けたのだし悪くないね」

「でしょう~? じゃあ決定ね~」


 父も笑顔で快諾し、とんとん拍子で今日の予定が埋まっていく。

 ……まあ急で驚いたが、とくに反対する理由もない。

 今日はあの二人も予定があるらしく気にする必要もない。なので訓練は朝の内に済ませ、後は両親のために時間を割いたって問題ないだろう。

 

 そうと決まればと、とっとと支度をしようと立ち上がろうとした。

 その時だった。そんな俺の動きを止めるかのように、不意に右足が重くなったのは。

 

「どうしたラーナ。トイレか?」

「にぃ、だっこ」


 俺の足に抱きつき、顔を上げて要求を述べてくるラーナ

 ……我が儘なお姫様だ。俺とは違い、子供らしい愛くるしい顔しやがって。

 

 二歳を越え、たどたどしいが会話も出来るようになってきた我が妹。

 あまり優しくした覚えはないのだが、どうして俺によく懐いてしまい、こうしてくっついてくることが多い。その頻度は、父がちょっと落ち込んでしまうくらいだ。

 

 両手をラーナの腰へ回し、なるべく優しく持ち上げる。

 俺も成長しているとはいえ、加速度的に大きくなるこの幼女を抱くのは段々難しくなっている。

 せめて一回でも成長期は来てくれれば、こんな苦労はないのだが。

 妹成長の速度を感じながら背中を軽く撫でると、ラーナはこれ以上ないくらいご満悦だと頬を緩ませながらこちらに体重を預けてくる。


「えへへ~」

「あら~。やっぱりラナはお兄ちゃん子ね~」


 どうしたものかと母に視線で助けを求めるが、微笑むだけで何もしてくれない。

 既に父の姿は既にない。おおよそ昼に向けての準備にでも出てしまったのだろう。

 

 母は家事。父は用事。……空いているのは俺だけか。

 ならば俺が見ているしかないか。可愛いお姫様を前に、朝の鍛錬も諦めざるを得なかった。


「にぃ、おへやいく」

「へいへい」


 ラーナの意向のままに、ゆっくりと自室へ歩を進めていく。

 少し辛いが、これも訓練と思えば中々に悪くはない。もちろん落とすわけにはいかないし、少し魔術でいんちきしてはいるのだが。

 

 ともあれ落とすことなく無事に到着すると、ラーナは満足気に俺の腕の中から飛び降りる。

 多少おぼつかなくも見えるが、それでもしっかりと二足で歩いてベッドまで辿り着くラーナ。

 ぽすっと優しい音を立てて座りながら、宝石みたいな輝く目で見つめてきた。


 ……そんな目で見つめてきやがって。これはもしや、いつものやつをご所望か。

 

「にぃ、ぴかり!」


 両手を大きく開き、予想通りに俺へ求めてくるラーナ。

 過去に泣きじゃくるラーナに見せてやったところ、すっかり気に入ってしまったくだらない手慰み。

 やれと言われるのは最早何度目だろうな。

 少しばかり吐きたくなるため息を押し殺し、ラーナに向けて人差し指を伸ばす。


光れルイン


 唱えた言葉と共に現われるのは、蝋燭ほどの光量を持つ小さな白い球。

 魔力の籠もった小さな明りは指先から離れると、ラーナの側をくるくると回り出す。

 

「たま! にぃ、たま!」


 ぴょんぴょんと体を跳ねさせ、動く白球を必死に触ろうと頑張るラーナ。

 実に子供らしい、無邪気で元気あるラーナ。

 何が楽しいのかこれっぽちもわからないが、まあ箸が転がるだけで楽しいお年頃なのだろうと、近くの椅子に座って球を動かし続ける。


 初歩の初歩とはいえ、昔と比べて随分上手くなったとは思う。

 学べば子供で可能とされる一つ編みの術式シングル。けれど始末屋時代の俺は、そんな基礎的な範疇の魔術すら碌に扱えていなかった。それを考えれば飛躍的な進歩に他ならない。

 

 けれど肝心の強化魔術は昔と変わらず。未だに印を刻まなきゃ話にならない。

 今の俺が並の大人が相手にするならば、素のままでも後れを取ることはないと自負している。

 けれど本格的な戦闘をするならば、やはり強化は必要不可欠だろう。もし強化持ちの大人を相手にするのなら、今の自分では一矢報いるのが限界。練度以前の問題だ。

 

 歯痒いことこの上ないが、魔術とは俺にとってそれほどまでに重要なもの。

 強化を自分の力で熟せるようにならなければ、俺はかつての自分を追い越すことはないのだ。


 記述サイン

 詠唱エイル

 思考ソート。 


 魔術の行使の前提である三つの過程プロセス。その内、強化と最も相性の良いと俺が考えているのは記述サインを用いる方法だ。

 自身の魔力で体に刻んだ印を起動し、強化を発動するのは才能なしの一般的セオリー。始末屋時代の俺もそうやって使用していた。


 魔術の行使において最も難度の低いとされる記述。

 書き上げた術式に魔力を流すという至極単純な方法でしかないが、別に簡単だからといって価値が低いわけではない。同じ現象を起こすのならば、やはり簡単であるべきだ。

 そもそもの話、理屈を無視した奇跡現象である“魔法”。その埒外を普遍的な日常にまで落とし込んだものこそ、俺たちが使う“魔術”なのだ。

 

 それ故、全ての魔術には必ず発動そこに至るまでの理論が存在する。

 同じ現象を起こすのならば、やはり簡単であるべきなのだ。

 強化などの持続性の要求されるものは特にそう。無意識レベルで行使出来る感覚センスがないのなら、刺青タトゥーのように刻み込んでしまった方が実用的だ。

  

 ……それをしたくないのは、一重に両親に肌を見られるから。

 他よりも静かで不気味な子供。村で忌み嫌われる俺を懸命に育ててくれている彼らに、これ以上いらぬ心労を抱かせたくはなかった。

 

 ここに至ってなお甘すぎると、それは俺自身が何よりも理解している。

 何を犠牲にしてでも救うと決めたにしては手ぬるいと、あまりに情けないことも重々承知だ。

 けれども、俺はあの人達に出来るだけ憂いて欲しくない。

 例え俺が子供失格だったとしても、彼らの幸せを願っていることに間違いはないのだから。

 

 ……まあ今の進展では、どうせ来年には刻むことにはなりそうだが。

 

「えい、えい、えいっ! とった! とったよにぃ!」


 パチンと、不意に耳に貫いた音がそんな思考を中断させる。

 両手をぴったり重ねながら喜ぶラーナ。どうやら操作が疎かだったらしく、ご自慢のおもちゃは彼女の手によって捕まってしまったらしい。


「お、やったなぁ。良い子だぞー」

「えへへー、えへへへー」


 ご褒美に頭を撫でてやると、ラーナは顔を緩ませてこちらにすり寄ってくる。

 ……こんなことで喜んでくれるのだ。俺にとっては実に扱いやすい奴だ。


「にぃ、だっこ!」

「はいはい。母さん来るまでなー」

「うん!」


 両手を大きく広げて待つラーナを抱きかかえ、負担のないよう膝の上に載せる。

 膝に掛かる二歳児の命ある重み。

 意外に重いと思いつつ、ご機嫌なラーナの背後で右手に魔力を集めては霧散を繰り返す。


「ぬくぬくー」


 段々と眠気が勝ってきたのか、徐々に目と声を柔らかくなるーナ。

 体温か、それとも手に集めた魔力か。どちらにせよ、育ち盛りのラーナにとっては絶好のぬくさになってしまったらしい。


 ……ま、大人しくしているわけだし別に良いか。

 前回は降ろしたら起きて泣きかけたので、流石にこのままでいるしかないが辛いところだが。


 こちらの悩みも関係なく、結局ラーナは五分ほどで眠ってしまう。

 母が見に来るまでの間、揺らさないように細心の注意を払いながら訓練を続けた。






「うーん、良いお天気ね~」


 草の広げた敷物の上に座りながら、母は気持ちよさそうにそう言った。

 

 輝かしい日の光。少し前までの冷風は既になく、冬明けの心地良い風が肌を撫でてくる。

 相変わらず気持ちの良い風だ。人熱溢れる街の活気も嫌いではないが、やはりこういった空気の方が俺には合っているのだろうと常々思う。

 

 ……いや、好きなのは空気ではなく環境か。

 いつ切られるかも定かではない汚れ仕事を押しつけられず、俺を大切に思ってくれる家族と一緒に日常を過ごせている今。それはあの頃と比べようのない幸福な日常だ。


 失いたくない居場所。大切な宝物。

 一度、全てを失った俺にはあまりに過ぎた幸福の数々。だからこそ、今度はなんとしてでも守り抜かねばならない。


「おーいギル、ちょっと手伝ってくれー」

「……わかったー」


 父に呼ばれ、思考を止めて父の側へと駆け寄る。

 周りに散らばっているのは、父が自作した組み立て式の食卓の部品。……なんか荷物が多いなと思ってはいたが、まさか今から組み立てるのか。


「父さん、これ手間の方が多くない?」

「その手間が好きなんだ。せっかく皆で出掛けてるんだからな」


 いつかお前にもわかるかもなと。

 そう思っていそうな口調で父はこちらに言ってくるが、残念ながら俺には理解出来ないだろう。

 こういうとき、俺は手間を嫌ってしまう質の人間だ。そもそも野外での食事なんて、不意の襲撃に警戒しながらさっと済ませてしまうもの。無駄を楽しむ余裕など、当時の俺にはなかった。


 ……始めたての若造の頃ならば、背中を任せる仲間もいたんだがなぁ。


「それにしても、ギルは手際がいいなぁ。物作りの才能もあるんじゃないか?」

「……ないよ、才能なんて」

「そんなことない。ギルが自分で思っているよりも、たくさんの輝きが眠っているさ」


 かつての俺を思い出せば、実に的外れな言葉。

 けれどそこには何故か、嘘や世辞などは微塵もなく。否定した俺の方が恥ずかしくなってしまうくらい真っ直ぐなものだった。

 

「ギルはさ。何かを作る時、一番大事な物は何だと思う?」

「……センス。後は手際のよさ」

「確かに大事だな。けど、父さんは一番ではないと思ってるよ」


 ……じゃあ何だというのだ。それ以上に必要なものがあるというのだろうか。

 いくら考えてもその答えは降りては来ないので、父に降参を告げた。

 

「──忍耐だよ。求める物を作れるまで諦めない、アルガン鋼のような固い心さ」


 父は意外そうに、けれどもほんの少し楽しそうな声色で口にした。

 

「どんなことでもそれに至るまでの道がある。例えその道が綺麗に整っていたとしても、それに至るまで歩き続けることこそ最も肝心なこと。少なくとも、父さんはそう思ってるよ」


 父は手を止めず、けれど驚く程真剣にそう言葉にした。

 ……忍耐か。成程、確かに一理ある。だがそれなら、尚のこと俺とは縁のないものだろうに。


「……買い被りすぎだよ。俺は別に、我慢強くなんかない」

「いいや、そんなことはない。例えどんな理由があろうと、お前の年頃で粛々と鍛錬に励めるのなら、ギルは強い心の持ち主ってことさ」


 父さんは遊んでいたからね、と父さんは懐かしむように笑う。

 ……そんな人間ではないのだが。父には俺が、そんな殊勝な人間に見えているのか。


 確かにルアリナとアルトラ、それとラーナに構う時間があるとはいえ、強制されずに鍛錬ばかりしている齢一桁の子供など滅多にいないだろう。

 けれど、それはあくまで普通の子供であったらの話。いずれ来るであろう滅びを知っている、子供もどきだからというだけで、決して才能なんて肯定的なものではない。


 失いたくないから力を尽くす。失うわけにはいかないから全てを費やす。

 同じ境遇に陥れば誰もがそうするであろう、ただそれだけのことでしかないのだ。


 だから父には悪いが、その賞賛は俺には重すぎるものだ。

 子供の皮を被った凡庸な屑野郎には、あまりに大層で的外れな期待だよ。父さん。


「だから、何か悩んでいるなら相談してくれよ。ちょっと頼りないけど、俺はお前の父さんなんだからな」

「……うん」

「よし出来た。さて! 後は父さんに任せて、ギルはあっちでラーナと遊んであげてくれ」


 いつの間にか、やるべきことは終わっていたようだ。

 もう手伝えることもなさそうだし、言われたとおりにラーナと遊んでくるとしよう。


 言われた通り、父に背を向けラーナのと母の元に歩いていく。

 座る母の周りで蝶を追いかけているラーナ。

 だが俺が寄ってきたのが見えたのか、笑顔でこちらへ駆け寄ってきた。


「あら~? ギルくん、ラーちゃんと遊びに来てくれたの?」

「うん。あっちはもう終わるってさ」

「あらそう~? バルくんったら随分手際いいわね~」


 のほほんといつもの調子で話す母。

 手伝うことでもあるかと聞こうとしたその時、小さく暖かい何かに右手をぎゅっと掴まれる。

 

「にぃ! あそんであそんで!」

「おー良いぞ。何する?」

「おいかけっこ! にぃつかまえて!」


 ぱっと手を放し、一目散に離れていくラーナ。

 母は変わらず、微笑みのまま手を振るだけのご様子。……本当、この人はどこにいても変わらないな。

 

「にぃ、はやく!」

「……じゃあ行くぞー」


 こちらへ手を振って急かすラーナの背を、早歩きで追いかける。

 鍛錬とはほど遠い、平和で暖かな日常。

 どうしようもなく焦る気持ちはあれど、やはりこの時間を捨てることなど出来なかった。

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