喧嘩とすら言いがたい一方的なじゃれ合い。

 くだらない一悶着を終えた後、俺達はいつもの場所へと集まっていた。

 

 村から少し離れ、村周りを囲う四色草しきそうを刈り取った場所。

 季節関係なく、大人の腰ほどの高さまで伸びる四色草しきそう。定期的に刈らなきゃいけないのが難点だが、それさえ気にしなければ滅多に邪魔の入らない絶好の訓練場だ。


「いってて……」

「だいじょうぶ?」

「おう! ぜんぜんへーきだぜ!」


 座りながら頬を擦るアルトラが、心配するルアリナへ親指を立てる。

 一発もらったのは未熟だが、この歳であれば泣かないだけ立派だろう。

 そもそも相手は大人げない年上が三人。あのガキ共がどんなに素人でも、拳一発が痛いことには変わりはないのだから。


 ……蛮勇と言えど、この臆なぬ度胸と勇気こそ、流石は未来の勇者だと褒めるだろう。


「無茶したな。数は上だったろうに、よくもまあ飛び込んでこれたもんだ」

「だってぎるだがこまってたし! それにおかあさんがよくいうんだ! うられたけんかひゃくばいにしてかえって!」


 アルトラはにっこりと、白い歯を見せるほどの笑顔でそう言ってくる。

 

 ……果たしてこいつは、自分が使っている言葉の意味をわかってるのだろうか。

 まあでもアルトラの母親であるハウルア。片親ながらにこの村へ越してきた彼女は、かつて父の同僚であり肩を並べた実力者だったとか。

 ナーリアの血筋は豪傑が多かったって確かな歴史があるはず。それを考えれば、この強気な言葉は代々伝わる英才教育ということなのだろう。


「がるばんたちもひきょーだよな! こっちはふたりであっちはさんにんだぜ?」

「……でも勝てただろう?」

「おう! やっぱぎるだはすっげえつえーな!」


 ……よく言うよ。本当に強いのは、俺などではなくお前の方だろうに。

 もし俺が普通の子供なら、きっとあいつらに喧嘩など挑まず逃げ出したに違いない。目の前で困る誰かのために立ち向かうことすらせず、その場で祈るだけで動けなかった。そのはずだ。


 そんなアルトラが向けてくる純真な琥珀の瞳は、いんちきだらけの俺には眩しすぎる。

 真っ直ぐで無鉄砲、けれども誰かのために立ち上がれる強い人間。

 この小さな少年こそ、かつて俺がなりたかった姿そのもの。薄汚れた俺がそんな存在に尊敬されても、その賞賛を手放しに喜べるわけがなかった。


「おし! じゃあきょうもはじめようぜ!」

「おー! きょうはまけないよ!」


 勢いよく立ち上がり、楽しそうに体をほぐしはじめるアルトラ。それにつられるルアリナ。

 俺もゆっくりと腰を上げ、気持ちを切り替えるようと体を解す。


 今から始まるのは子供の遊び。酷く単純な鬼ごっこだ。

 この場所に見に来た際、一人で素振りをする俺を見た父の提案から始まった余興。

 どうしてか付き合うことになってしまった遊戯だが、幸か不幸か、今や欠片も油断できない訓練へと成り代わってしまっていた。


「じゃあいくぞー! せーの!」


 アルトラの掛け声と共に、三者はそれぞれ手で形を作り出す。

 誰が鬼をやるか決める簡単な手遊びだが、今回出された形は三つの内二つのみ。

 俺とルアリナの出した握り拳。そしてアルトラの指を一本伸ばした状態。この場合、勝負はアルトラの一人負けだ。


 ……アルトラこいつが鬼か。どっちでも面倒いが、まあルアリナよりは逃げやすいか。


「くそー! またまけた-!」

「あるとくんのまけー。きょうもにげきるぞー!」

「なにをー! るなもぎるだも、きょうこそはつかまえてやるんだからなー!」


 心底悔しがりながらも、今日こそは捕まえてやると意気巻くアルトラ。

 「いっくぞー」と宣誓した後、アルトラが大きな声で数を数え始める。

 開始の合図を待ちきれなかった言わんばかりに、全力で四季草しきそうの茂みに駆け込んでいくルアリナ。

 

 ……どこからそんな元気が出てくるのか。

 自分が持ち合わせていない若さに舌を巻きながら、俺もゆっくりとアルトラから離れて身を隠す。


「ろーく、なーな、はーーち!」


 多少離れても、それでもなお耳に入るアルトラの声。

 ないだろうが、万が一にも聞き漏らさないよう注意しながら歩き、地面に刻まれた円の端──村を守る結界の端まで到達する。


「にじゅうきゅー! さんじゅー! いっくぞー!」


 数え終わったと同時に、潜伏などお構いなしに動き出すアルトラ。

 

 場所を見失わないよう、五感を凝らし気配を殺しながら距離を取る。

 五歳の背丈が隠れるには充分過ぎる高さの草々。そんな天然の迷宮の中で俺が本気で気配を消せば、普通の子供に捉えられる道理などあるはずがない。

 

 ──もちろん。それが相手が常識の中にいる、普通の子供であればの話だが。


「そこだなー!」


 何かを捉えたかのように、真っ直ぐにこちらに走ってくるアルトラ。

 完璧に気配を殺し、これ以上ないくらい慎重に動いてこれ。この直感力を前にすれば、未熟への情けなさを通り越して、最早感嘆するしかなかった。


 今でこそ慣れたが、初見の時はまじで焦った。

 相手をおませなガキだと舐めていたのも相まって、危なく捕まりかけてしまったしな。

 

「そこだぁ!」


 伸ばされる手を紙一重で避けながら、アルトラの視線を外すよう小刻みに足を動かす。

 だがアルトラもそう易々と逃がしてはくれない。一度見つけた獲物を決して離すまいと、必死に食らい付いてくる。

 

 正直強化魔法を使えば逃走は容易。それこそ瞬き一つの間に逃げ切ることが出来るだろう。

 

 けれど、この訓練において魔法を使う気はまだない。

 まだ印も刻んでない状態で行使できるほどの自信はないし、何よりそれをしてしまえば訓練にならなくなる。こいつらの鋭い感覚は、ある種自らを研ぎ澄ますのに効果的だからだ。


 ……それに、もし目の前で使えば此奴等も真似してくるかもしれない。こいつらの馬鹿げた才であれば、決して不可能とは言い切れない。

 俺の強化魔術は我流。誰にも教わらずに培ったその技術だが、所詮は強引に開花させただけのつぎはぎでしかない。

 始末屋エンド時代みたいに刻んだ術印マークでの行使ならともかく、不安定な感覚の魔術を真似されては、危なくて自分の訓練どころの話ではなくなってしまう。


 ……まあそんなちぐはぐな技術であろうと、こいつらなら本能で使いこなしそうなのが怖いところだが。

 

「おりゃあ!」


 考えごとに夢中で、思わず掠りそうになる指を顔を逸らして回避する。


 それにしても、たった三ヶ月でよくもまあここまで変わるものだと感心してしまう。

 ルアリナとアルトラ。

 会った頃は間違いなく普通のガキ共であった二人だが、日を重ねる毎に進化し、五歳にして俺の訓練相手が務まるほどの身体能力に成長した。

 

 いくら父に指導され始めたからと言って、それだけでここまで変わるものなのか。

 

 ……いや、変わるのだろう。

 

 俺みたいな凡夫ならともかく、こいつらはまごう事なき英雄の卵。たかが凡人の人生一周分の経験なぞ、彼らの才の前ではほんの一時分の価値でしかないのだから。

 

 ……だがまあ、それでも今ならまだ届く。

 例えいずれ抜かれる定めだったとしても、しばらくは俺が有利で一歩先を進むことが出来る。

 命の張り合いなんて英雄の覚醒にうってつけの場面も来ないだろうし、遊びの範疇であればまだ小賢しい経験と知識でどうにでもなる。


 ──そう、例えば。


「んじゃあとよろ」

「──え、えっ!?」


 突き進む此奴の矛先を、すぐ側で観覧している暢気なルアリナに押しつけたりな。

 

 バレてないと本気で思っていたのか。

 慌てふためくルアリナをよそに、瞬間的に速度を上げてアルトラの横を走り抜ける。

 

 わーきゃー喚きながら離れていくルアリナの声と足音と、それに続くもう一つの足音。

 うーん快調。どうやら目論見通り、無事標的をルアリナへ押しつけられたらしい。

 

 完璧すぎる作戦の成功に自らを褒めながら、追いかけっこに興じる二人の様子を眺める。


 ……それにしても、今のはちょいと危なかった。やはりもう、油断は禁物だな。 

 

 今はまだ勝ててるから問題ない。けれど、この有利を守れるのはあとどれくらいだろうか。

 かつての俺とルアリナ──俺の命を奪った忌まわしくも美しい聖騎士ブリュンド

 あの女との計り知れぬ差を考えれば、やはりいつかは俺が手を伸ばし、届かなくなる立場になってしまうのだろう。


 その成長をずっと近くで見てきたのだからわかる。

 文字通り、俺なんぞとは桁の違う別次元の魔力と身体能力。

 哀れな始末屋であった頃の俺は当たり前。いんちきしている今の俺ですら、底すら察することは出来ないほど圧倒的潜在能力が彼らの中には眠っている。

 

 あそこで駆ける二人が、あの怪物の領域に至るかはまだ分からない。

 もし村の崩壊を防ぐことが出来たのなら。もしかしたらルアリナは聖騎士ブリュンドになんてならないのかもしれないし、或いは変わらず騎士の道へと進むのかもしれない。

 いずれにしても、あの少女がルアリナであることに変わりはなく。

 グレーデッドが誇る最強の聖騎士ブリュンド。絶対なる国のつるぎとなれる逸材であるのだから。


 ……わかっている。こんな思考、所詮俺の弱さでしかない。

 どれだけ関係がずれようとも、聖騎士になった彼女にまた殺されるかもしれないと。

 俺はルアリナに抱いているのは、そんな見当違いの恐怖でしかないのだから。


 ──俺がもっと上手くやれていれば、殺されずに済んだだけの話なのにな。


「みつけたー!」


 いつものように意味のない思考に踊らされていると、ルアリナはこちらに指を指してくる。

 ……言った側から油断かよ。本当、学ばない馬鹿だよな。


 首を振って雑念を投げ捨て、迫る鬼から逃げるべく動き始める。

 二人から離れようとするが、今度は逃がさないと言わんばかりの全力さで、ルアリナは俺の横を追走してきた。


「あっちいけよ!」

「やだ! ぜったいにがさないもんね!」


 先ほどの擦り付けで酷くご立腹なのか、ルアリナは鬼のアルトラよりも執拗さを見せてくる。

 彼女の微笑ましい子供が持つ激情の瞳。

 それはあの氷のような冷たい目とはまるで違う、どこにでもいる普通の子供の目でしかない。


 ……馬鹿らしい。案外深く考えるって行為こそ、損でしかにのかもしれないな。


「──あ、いまわらった!!」

「笑ってねえよ。んじゃな」

「まってよー!」


 何かに驚いたルアリナをよそに加速し、一気に二人を引き剥がす。

 最早ルールのない一対二の追いかけっこ。

 途中から趣向の変わり一人追われる身になってしまったそれは、結局日が落ちるまで続いていった。

 

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