けんか

 未来の勇者、アルトラの乱入から三ヶ月。

 煩くも平和な日常に一石を投じたのは、吹く風に少し痛みを感じる冬のある夜のことだった。


「ギルはもうすぐお兄ちゃんになるんだぞ!」

「……っんぐ、お兄ちゃん?」

「そうさ!」


 父の嬉しそうな言葉に首を傾げるも、とりあえずはパンを咀嚼し体へ流し込む。

 一瞬言葉の意味を考えてしまうが、慈しむようにお腹を擦る母を見て、何となく察することが出来た。


 妊娠。つまりは母の中に芽吹く、新たな命の誕生の予兆が見え始めたというわけだ。

 とはいっても、別に驚くことではない。妹自体は前回も存在したのだから。

 確かに報告自体は確かに急ではあった。けれど母の体調が良くなかったことが増えていたし、そもそも俺が寝た後、寝室で何をやっているのかを知らないほど初心な子供ではないのだ。

 

 けれどその記憶はあまりに朧気。

 あれほど好いていた父と母ですら記憶に残ったのは残滓でしかなかったというのに、言葉を交わす機会も少なかった妹のことなどほとんど覚えてなどいなかった。

 

 ……いや、全てを忘れたわけではない。

 けれどそれは、醜く後ろ向きな悔恨でしかなく。それで終わってしまった俺では、もう兄を名乗る資格などなかっただろう。

 

「もうお父さんったら、まだ先の事よ~?」

「いやいや、あっという間さ! 次の冬には家族が増えてるんだからな!」


 普段あまり見ることがない父の興奮を意外に思いながら、無言で食事を続けていく。

 穏やかな気質の父にしては珍しい昂ぶりよう。俺がおかしいだけで、本来家族が増えるというのはそれほど喜ばしいことなのだろう。


 ほんと、素直に喜べない自分の心が嫌になる。

 逆行など本来あるはずのないこちらの都合。真っ当に生き、今を喜ぶ二人にはこれっぽちも関係ないことだろうに。

 

 笑い合う二人。彼らを見ると、何処にも傷はないはずなのにどうしてか胸が苦しくなる。

 すぐ側のはずなのに、酷く遠いと感じてしまう日常の景色。

 手を伸ばせば、声を出せばきっと届く。けれどそれをしたくない、してはいけないと、未来かこの自分が枷となって阻んでくる。

 

 ──こんな暖かい場所。俺には相応しくないと、そう思ってしまうんだ。


「ごちそうさま。もう寝ます、おやすみなさい」

「ああ。おやすみギル」

「おやすみなさい~」


 なるべく取り繕いながら、逃げるように食卓から離れる。

 子供の振りは依然下手くそなのに、逃げることばかり上手くなる自分にまた嫌気が差す。


 たった一人の部屋に響く、乱雑に閉まる扉の音。

 誰もいないと分かっていながらも、それでも気配を確認してからベッドに腰を下ろす。

 小さな子供には広い部屋。三つの頃と違うのは、父の作った机や椅子、棚が増えたことくらい。後はほとんど変わっていない、子供らしくない無骨な空間。

 

 この部屋は鏡。中身の違う、歪な子供を示す自らの鏡像だ。

 幼児期らしい強請ねだりもなく、一緒に遊ぶ友と呼べる存在もいない。その上愛想も悪く、何考えてるかなど分からない、扱いにくい爆弾のような子供。

 ルアリナやアルトラがたまに聞かせてくる、微笑ましいまともな家族関係などこれっぽちもやれている気がしない。異物の混じった出来損ない、それこそが今の俺だ。

 

 きっと妹を作る理由も以前とは違うはず。

 余計なものが混じっていない、愛嬌のある子供らしい子が欲しい。例え優しい両親達でも、そんな願望がないわけではないだろうから。

 体はまごうことなき本物。けれどその中身が汚物、か。

 たった二年で何度も感じてきた罪悪感。少しは薄れたと思っていた後ろ向きな気持ちが、妹という契機によって再び胸を締め付けてくる。


「……なんで戻ったんだろうな。俺は」


 窓から覗ける、夜空で煌めく無数の光点。

 あの光だけいつの時代も変わらないなと。

 ぼんやりと視線を預けながらも、嫌な思考は渦のように回って離れない。

 

 あの日死んでいれば正解だった命。

 始末屋エンドとして生きた日々が最早未来かこのものだったとしても、俺が薄汚い始末屋ひとごろしなのを不変の真実なのだから。

 

(これが罰というのなら、存外に辛いものだな)


 心の中で、この状況を作った誰かにのみ愚痴を吐く。

 決して答えが返ってくることない。別にそれで構わない。

 端から返答なぞ求めてなく、どうせ誰も聞いてやしない。所詮は阿呆の声なき想いにでしかない。

 

 足掻く姿を嗤っているのか、理由もなくただ放り出しただけなのか。

 まあどちらにせよ、俺のやることに変わりはない。

 この身の全てを掛け、今度こそ家族を救う。例えそれで命尽きようとも、それだけは果たさなくてはならないと誓ったのだから。

 

 そうこう考えていると、意識に反して口から欠伸が漏れる。

 そろそろ限界か。せめて少しは子供らしく、早々にベッドへ横になって目を閉じる。

 瞼を閉じれば映るのは、両親が俺を覗き込む姿。

 それはまるで俺を非難するかのようで、けれどどこか哀れむような悲しい瞳であった。






 次の日から、俺の行動は少しだけ変化した。

 とはいっても、別にたいして変わったわけでもない。家事を手伝うことが増え、母が熟していた買い物を代わりに俺がするようになったくらいだ。

 

 訓練の時間が少なくなるが、そこは別に問題じゃない。

 母の体調も同じくらい大事だし、剣を振れずとも魔力の訓練は日常の合間に可能だ。

 嫌なのは人が多い場所に行かなくてはならないこと。

 問題は村に来る行商人が止まる位置に、一人で行かないといけない点。つまりそれは、あまり絡みたくない村の住民と顔を合わせなくてはいけないということだ。


「……まいど」


 商人は憎らしげに俺へ視線を向けながら、数枚の銅貨を雑に渡してくる。

 いつものこと視線を無視しながら、目の前で見えるように数えていく。

 大銅貨が四枚で小銅貨が四枚……うん、この前にみたいにちょろまかされてはいないな。


「……ちっ、愛想のねえガキだな」


 ほっとけ銭ゲバ。舐めた態度取ってるからそうしてるだけだっつーの。

 当てつけのような罵倒を無視し、荷物を抱えながら帰路につく。

 あんな惨めな罵倒など、わざわざ気にしてやる価値もない。

 どうせこの前の嫌がらせが失敗して、衆目で大恥掻かされた負け惜しみに過ぎないのだから。


 ま、ゴミ屑の末路なんて自業自得か偶然の不幸で終わるもの。

 あんな態度を続けるようじゃ、いつかどこからやらかして潰れることだろう。

 

「おいギルダ! あんま調子乗ってんじゃないぞ!」

「あ? ……はあっ」


 そんなことより、とっとと帰って素振りに取りかかろう。

 そう思って足を速めようとした俺を遮るように囲んでくる三人の子供に、露骨なため息を吐いてしまう。

 確か三つだか四つくらい歳上のガキ共。中央のガキは村長の一人息子だったか。

 昔俺に喧嘩を売ってきたので一度捻ってやったのだが、その時からことある毎に俺に仕返ししようとしてくる。いつもの二人より遙かに鬱陶しく懲りないガキ共だ。


 ったく、浅慮なガキ共だ。

 もうすぐ十になるくらいだろうに、こんな往来で喧嘩吹っ掛けてくんなよ。

 

 とっとと帰りたい。

 買い物に来る度に邪魔してくるし、流石に本気で面倒臭くなってきたので、そのちゃちな挑発を買ってやろうか思ったが、両手で抱えている荷物の存在が戦意を持つことを咎めてくる。

 

 ……やめだやめ。こんなくだらないことで、大切な荷物を汚されちゃ叶わないな。


「どけよ鬱陶しい。帰りの邪魔だ」

「何だとぉ!? 年下の癖して舐めてんじゃねえぞ!」


 そこいらの裏道にいそうなチンピラ口調に、思わずこいつらの将来が心配になる。

 立場もあって村じゃイキれるだろうが、所詮は親の七光り。もしも外で同じような態度を取れば、すぐに現実をわからせられる。かつての俺のように。


 そんな心配をよそに、逃げ道を狭めるようにじってくる三人の馬鹿。

 後ろの一人が地面を蹴った音が聞こえる。

 開戦の合図もなしに、いきなり不意打ちとか良い度胸。ま、先手必勝は世の常か。


 ──粗い包囲網。ま、所詮は素人のお遊びだな。


 後ろの奴を軽く避け、二人の合間を掻い潜る。

 ちょっと痛い目見せるために踏み台にして跳んでもよかったが、避ける方が楽だし時間の無駄だ。


「んなっ!?」

「んじゃな。もう来んなよ」

「待てやこらっ! 逃げんじゃねえよ!」


 何か気に障ったのか。すぐに呆気を振り払い、声の主を筆頭に諦めずに向かってくる。

 ……仕方ない、これ以上は構うの面倒いし、走って振り払おう。


「おまえら! なにやってんだよ!」

「けんかはだめ、だよ!」


 馴染みのある声と同時に人影が中間に割ってきたのは、袋の口をきつくした時だった。

 手を広げて壁となるアルトラとこちらに寄ってくるルアリナ。……なんでここにいるんだ?


「おいがるばん! おまえおおぜいでひきょうだぞ!」

「うるせえぞアルトラっ!! おまえは引っ込んでろよ!」


 発端の俺をよそに、すっかり会話が激しくなっていく。

 こいつ等がいる手前立ち去って良いものか悩んでいると、ルアリナが小さく「行こっ」と小さく声を出して手を引いてくる。

 

 どうやらアルトラは、自分を囮にして引きつけようとしているらしい。

 子供とはいえ、随分と気の利いたことをするものだ。

 目の前のチンピラ共とは真逆である、誰かのために動ける優しさ。五歳児のいたいけな勇気は、この場を離れたい俺を更に縛り付けてくる。


 ……ま、良い機会だ。

 買い物の度に絡まれるのもうんざりだし、たまには少しくらい分からせてやらないとな。


「これ持ってろ」

「え、うわっ」


 ルアリナへ強引に荷物を預け、体を軽くほぐしながらアルトラの横に立つ。

 ちょっと驚くも、アルトラはすぐに笑みを浮かべながら構えを取る。


「や、やっちまえー!!」


 二人になり、数の有利が減ったところで急に臆した態度になる三人。

 けれど相手は年下のガキが二人。

 数も歳も勝っているのに退くなんて、そんな醜態を晒したくないのだろう。


 やけくそ混じりに突っ込んでくる年上共。

 勝負は実に一瞬。別に一人でも勝てた子供の衝突は、本当にあっけなく決着したのだった。

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