鍛錬

 あの衝撃の出会いから、早いもので二年が経過した。

 あれから何度眠ろうと、夢であろうこの世界から醒めることはない。どんな状況かすら定かでなかった俺は、その時の流れに身を任すしかなかった。


 ……いや、結論は出ている。

 けれどそれはあまりに荒唐無稽。何せ時間を遡ったっていう、何とも突拍子もない結論なのだから、否定したくもなるだろう。


 だが今この現状で、これ以上筋の通る考察が俺には考えつかない。

 夢ならとっくに醒めているはずだ。

 どっかの組織が幻覚でも見せてきているのなら、もっと曖昧で齟齬の出るはずだ。

 

 五感、気配、直感。

 その全てが本物であると、二年過ごした俺の感覚は確かにそう告げてきている。

 女神暦七百五十五年なのは間違いない。ということはつまり、今は過去──俺が死んだ年より二十年も前。それでほとんど確定だと結論づけざるを得なかった。


 心地好いそよ風に頬を撫でられながら、淡々と小さな木の棒を振っては上げるを繰り返す。

 始末屋エンドの名を受けて以来、気がつけばやらなくなっていた素振り。

 この二年で再び習慣と化したが、やはり昔の感覚とはずれてしまっている。

 やはり全盛とはかけ離れたこの身では、ただの棒きれを振るうのだって一苦労。とはいっても普通の五才児であれば、木の棒に振り回されないだけで立派ではありはする。


 だが足りない。ここが本当に過去であるのなら、これっぽちも足りていない。

 

「──ちっ!」


 脳裏に浮かぶ悪夢のような記憶かこ

 このままいけば間違いなく訪れるであろう、このちんけな村の滅びの姿。

 

 俺が丁度十を迎えた年。この村は襲撃を受け、その結果世界からその名を消すことになる。

 理由は不明。

 何を目的としたか、何者がこの村を襲ったのか。

 その全てを調べる手立てなどなく、何も知らぬまま俺は全てを失ったのだ。


 そうだ、あの光景は今でも覚えている。忘れられるはずがない。

 肌を焼き、呼吸するだけで肺を嬲られる熱を。

 耳を貫く絶叫と、次第にその声すら失われていく静寂を。──そして、目の前で大事な物が蹂躙されていく地獄を。


 あの惨劇を繰り返すわけにはいかない。何も出来ずに全てが零れていくのはもうこりごりだ。

 だから、夢でも現実でもどっちでも良い。

 例えどんな思惑で戻されたのだとしても、そんなことは欠片も知ったことではない。

 

 ──変えてみせる。あの糞忌々しい何もかもを、俺の前で起こさせてなるものか。


 ……ま、その滅びを見せることがこの景色の目的なのかもしれないけどな。


「……ふうっ」


 最後の一回を振り終え、澄み渡る青空を見ながら一息付く。

 疲労はするが無理はしないくらいの塩梅。歪な肉の付き方をさせ、以前よりも強靱に仕上げ、尚且つ感覚が衰えないよう鍛えなくてはならない。

 未来を変えたいのならば、少なくとも未来かつての俺に届いていないと話にならない。そのためには基礎的な身体能力全般、そして魔力量を養っていかないといけないのだ。


 特に魔力は今が一番大事な時。

 人族ヒューマンの魔力量が固定されるのは基本十歳頃まで。つまり伸ばすのなら、剣と並行しつつ、魔力の方も必死こいて訓練していかなければならない。

 

 ……だというのに。


「えいっ、んえいっ!!」


 後ろから聞こえるその声が、どうにも気を削いで仕方がない。


「……飽きねえなぁ。いつまでいんだよ?」

「あきるまで! えいっ!」


 後ろで俺と同じように木を振ろうとして、無様に振り回される間抜けな少女に言葉を投げる。

 母親と同じ金の髪を靡かせながら、声を上げて懸命に素振りを続けていく幼女。なるべく見たくもない俺の死因──ルアリナが、どうしてだか側にいるのだ。


 前回ならばいざ知らず、今回の俺はこいつに好かれる様に動いていない。

 そもそも子供は苦手で、その上相手が俺を殺した張本人。苦手に思うことはあれど、仲良く出来る程割り切れちゃいないんだ。

 それがどうしてこんなに寄ってくるのか。

 まったく、子供心ってのは全く理解は出来ない。もしやこいつ、友達いないのか?


「えいっ! えい……うわぁ!」


 ……にしても下手だなこいつ。見様見真似だからといっても、これは力以前の問題だろ。

 これで将来は聖騎士になるってんだから、世の中ってのはわからない。以前も村にいた頃は普通の少女だったはずだし、どんな出会いがあればあんな怪物に育つんだろうか。


 不格好な素振りをちらりと視線を移しながら考えるが、すぐにどうでもいいと訓練に戻る。

 元々こいつが勝手に近寄ってくるだけ。また俺を殺すかもしれない人間に教えることなんてあるわけがない。


 そう言い聞かせながら、己の内にある魔力を集め、持っていた木へ流していく。

 魔力の量に連れ、段々と淡く輝きを放つ木刀。人族ヒューマンの特徴である白色の魔力色が、昼間でもぎりぎり可視化できるほどの光に包まれる。


「わあぁ……。やっぱりすっごい……」


 なんだか後ろから視線を感じるが無視。今は気にする余裕もない。

 前世では使うことすらほとんどなく、元々得意じゃなかった魔力制御。

 それなのに以前よりも魔力を自在に操れるはずもなく、暴走しないようにするだけで一苦労なのだ。


 一分経過、二分経過。三分……けい、か……。


「ふうーっ、ふうーーっ。……ふうっ」

「だ、だいじょうぶ……?」


 限界と同時に霧散する光。押し寄せる疲労感を吐き出すよう、大きく息を吸って吐く。

 基礎訓練なぞより遙かに消費と負担が多い。魔力が多いとそれだけ制御も大変なのは知っていたが、正直これほどまでだとは想像すらしていなかった。


 ただ物に流すだけでこの苦労。とてもじゃないが、魔術式の発動なんて不可能だ。

 しくったら体が吹っ飛ぶかもしれない博打をする気は無い。更に量が増えれば、今の比じゃない苦労を強いられると思うと気が重くなる。


 ……まさか記述サインでの行使すら危うくなるとは。こりゃ闇雲に量を上げるってのも考えものだな。


「ほんとにだいじょうぶ? ぎるだくん?」

「……問題ねえよ。離れろ、鬱陶しい」


 こちらを心配するルアリナに対して俺が出せたのは、少し荒げた苛ついた声だった。

 

 言葉に出してからしまったと思い、すぐにルアリナの表情を伺う。

 少女が見せるのは、まるで自分が悪いことでもしたかのような申し訳ない顔。少なくとも、仮にも大人に近い心である人間が子供にさせてはいけない顔だ。


 ……何やってんだ俺は。いくら思い通りにいかないからって、人に当たってんじゃねえよ。


「……悪い。ちょっと当たった」

「ううん。おけがなくてよかったね!」


 罪悪感のままに謝ると、こちらの身を笑顔で案じてくれるルアリナ。

 

 彼女の優しさはまるで花の棘。悪意のない少女の純真さは、なおさら己の醜さを実感させてくる。

 ああくそっ、どうしてこうも上手くいかないんだ。時間は限られているってのに。


「きょうはきのうよりぴかぴかだったねー! しろいのぴかぴかーって!」

「……変わんないだろ」

「かわる! あー、わたしもやってみたいなー!」

 

 星でも宿してそうなほどに輝く目をこちらに向けてくるルアリナ。

 見るからに教えてほしそうな態度。向けられた回数は数えられないほどだが、それでも教える気にはなれなかった。


「やだ。勝手に覚えてろ」

「ぎるだくんのいじわるー! おしえろー!」


 駄々をこねるルアリナを構うことなく、近くの平らな岩に腰を下ろす。


 ……教えた方が良いのはわかっている。

 彼女の未来を考えれば、戦力になるのは間違いないだろう。

 けれど、どうしても躊躇ってしまう。

 僅かに残る俺の良心と恐れ。そして子供など力があったって邪魔なだけだという冷徹さ

が、彼女に戦う術など不要だと告げてくるのだ。


 どのみち教える気はない。未来を知るのが一人な以上、俺のみでやるしかない。

 俺の心の安寧のためにも、この少女が戦う道に進ませたくなかった。

 

「ぶーぶー」


 そんな俺の考えとは裏腹に、ルアリナは頬を膨らませて抗議の意志を見せてくる。


「ぶーぶーぶー」


 教える気はないと顔を背けるも、ルアリナはそのたびに顔の正面に走り、こちらを覗いてくる。

 再び顔を背けるも、またルアリナは正面に来る。二度、三度、四度、何度も何度も同じ事を繰り返す。


「……お、おしえてよぉ。なんで、おしえでぐれないのぉ」


 やがて折れたのはルアリナの方。目に滴を溜め、今にも声を張り上げそう。

 不味い、泣かれるとは思ってなかった。

 無理なものはとっとと諦めればいいものを。これだから子供は好きじゃないんだ。


 わんわんと大声で泣き始めるルアリナを前に、俺は思わずたじろぎ戸惑ってしまう。

 

「うわーん!!」

「わ、悪かったって。ご、ごめんな」

「うわーん!!」


 とりあえずはと何度も謝るが、俺の願いなど露ほども届かず泣き続けるのみ。

 まずいな。こんな光景を父さんにでも見られたら、一時間くらいお説教をされそうだ。


「何やってんだ-!!」


 いきなり訪れた窮地にどうしたもんかと悩んでいると、この状況を変える声がこの場に響く。

 誰の声だろうかと。

 確かめるべく体を向けようとした直後、全身にかかる重みと共に、体がルアリナの側から一気に離される。


「え、あるとらくん!?」

「だいじょうぶか! もうへいきだぞ!」


 唐突な敵襲に驚きながら、怪我をしないよう衝撃を流し、負担のないよう地面を転がる。

 声からしてまだガキ。その年で先制攻撃とは、中々生意気なことをしてくれる。

 ルアリナを心配する少年の声を聞きながら、ゆっくりと立ち上がり、俺に突撃してきた犯人の面を拝む。

 短く横に跳ねた、今の俺と同い年くらいの茶髪の少年。……こんな奴、この村にいたか?


「るありなをいじめやがってー! おれがせいばいしてやる! かくごしろはずれ子デイフール!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る