決意

「でね~? ギルちゃんったら、私がいなくても泣いてなかったのよ~」

「ははっ、それは凄い。ギルもまた一つ大きくなったってことだな!」


 食卓を囲みながら、朗らかに笑い合う母と父。

 地に届かぬ短い足をぶらつかせながら、彼らから目を背けるように、薄味のスープに付けたパンに齧り付く。かつて記憶の通り、まずくもなく旨くもない味だ。

 

 夢にしちゃ随分と精巧に作られていると感心しながら、固いパンを片手に今の状況について考えをまとめていく。

 

 死んだはずの父と母、滅んだはずの村と家。そして、小さくなった俺。

 結論。意味が分からない。言葉にするとなおさらだ。

 可能性としては、死に際の走馬燈っていうのが一番あり得るくらいには、中々に突拍子もない状況。いや、もしかしたらそれで正しいのかもしれない。


 まず前提として、俺は死んだ人間なのは間違いないはずだ。

 あまりに出来すぎたこの夢が現実で、あの無様で愚かな悪人の生が悪夢であった可能性もなくはない。

 けれどそれはありえない。

 思考はあくまで無様で愚かなゴミ屑のまま。咄嗟に武器を手にしようとする習性など、それこそかつての小さな俺には備わっていなかったのだから。

 

 だからこれは夢に違いない。

 悪人の死に際に見せられた何かの慈悲。或いは長すぎる走馬燈か何かなのだろう。


「あら~? ギルくんもう食べちゃったの~? 早いわね~」

「良いことじゃないか。ほら、父さんの分も食べるかい?」


 考えるのに夢中でいつの間に食べ終わっていた料理。

 すっからかんになった皿に気づいた父が、自分のパンを少し千切りこちらに渡そうとしてくる。

 

「……いらない。ごちそうさま」


 その善意に、俺が返せたのは実に酷い拒絶。

 そっぽを向くような態度はまるで子供のそれ。心は人すら殺した成人だと仮定したくせに、そこいらのガキとまるで変わらぬ様でしかなかった。


 ……夢相手にすら目を背ける。情けないなこの上ないな、俺は。


 逃げるように居間に背を向け、先ほどまでいた部屋に戻る。

 先ほどはついぞ見る暇もなかった自室。家と同時に燃えて消えてしまった日常の象徴は、記憶にあるより傷もなく綺麗な部屋だ。


 ベッドに腰掛けながら、その光景に浸り続ける。

 ……そういえば、机はまだないのか。

 父が作ってくれた、剣やら文字やらを散々彫って己の物にした大きな机。確か部屋に置かれるのは五歳くらいの頃だったか。


「……何なんだろうな」


 自分のものとは思えない幼い声が、思考をそのまま言葉に変える。 

 夢にしてはえらく鮮明で、けれど夢でなければあり得ない景色の連続。

 遠くの昔に失ったはずの幸福な過去を、どうして今になって見せつけられているのだろうか。

 いくら考えようとも尽きぬ疑問。

 決して辿り着かない答えのために、目を閉じて頭を回し続ける。


「……頭痛くなってきた」


 考えすぎに疲れた脳が、頭痛で休息を訴えかけてくる。

 こんな短い集中で限界とは情けない。こんなんで疲れるのなら、戦闘の一つも熟せやしないだろうな。


「ギルくん~? ちょっと入るね~?」


 夢にしてもよく再現された子供の体。

 つい昨日までの自分との性能の差に嫌気を起こしていると、母が部屋の扉を開けて入ってくる。

 何のようだと疑問に思ったのも束の間。近づいてきた母は俺の側でしゃがみ、額に手を当てながら心配そうな瞳でこちらを覗き込んでくる。


「う~ん熱はないね~。よかったわ~」

「……えっと?」

「あ、ごめんね~? ギルくんちょっと元気なさそうだったから、風邪かな~って心配になっちゃったのよ~」


 熱がないのが分かったからか、安心したように息を吐く母。

 ……変わらない。思えば妹が生まれるまでは、ことある毎に俺を心配する過保護な親だったな。


 ふと思い出した過去を懐かしんでいると、母の腕が俺の体を持ち上げられてしまう。

 一体何だと警戒してしまうも、そんなことはお構いなしと体は母の膝に乗せられる。

 柔らかく暖かい母の体。傷はあるが染み一つない美しい手が、俺の頭を優しく触れてきた。


「でも良かったわ~。ほらっ、よしよ~し」


 何度も何度も、その手は俺の頭を優しく撫で続ける。

 昨日までの俺なら鼻で嗤い、或いは見ることなく素通りしたであろう光景。

 精神年齢を考えれば羞恥でしかないそれを、振り払うことなど俺には出来なかった。


 ……そうだ。昔は随分と泣き虫だったから、こうやって慰めて貰っていたんだったな。


「あらあらどうしたの~? やっぱり怖い夢でも見ちゃってたのかな~?」


 どうしてか、急に滲み始めた視界を優しく拭う母の指。

 情けないな。こんな夢一つで泣いちまうなんて、心まで子供になっちまったってのかよ。


「……っ」

「大丈夫、怖くないよー。大丈夫だからねー」


 どうしても抑えの効かない幼子の体。

 腐った中身なぞ知ったことではないと、ただただ滴を流し続ける。

 

 例えこれが死に際の慈悲でしかないものだとしても。

 これからどん底に落とされるのだとしても。

 この奇跡のような再会が、今までの生が無駄ではなかったと。そう思わせて仕方がない。


 あの日に失った大切な人達。あの日を境に帰れなくなった大切な場所。

 二度と会えないと思っていた。

 墓にすら顔向けできなかった悪党には、その片鱗を感じることすら許されないと思っていた。


 けれどこうしてここにある。

 例えこれが精巧な幻術で偽物だったとしても。俺にとっては本物に他ならないものなのだと、俺自身がそう感じてしまっている。

 だから今は、どうかこの衝動を許して欲しい。

 道を外れた愚か者には過ぎたこの情景に、どうか好きなだけ泣きわめかせてくれ。


 まるで教会でも懺悔でもしているようだと、子供になりきれない心の一部が俯瞰しながらも、それでも構わず泣き続ける。

 そんな醜態塗れの俺に、母は困ったような心配の眼差しを見せながらも、それでも慈愛の籠もったその表情のまま側で付き合ってくれた。


「……もう大丈夫? もっとお膝にいても良いのよ~?」

「……うん」

「そう~? じゃあお着替えしよっか」


 しばらく経って、ようやく泣き止むことの出来た頃。

 鼻を啜りながらも落ち着きを取り戻した俺。そんな子供に母は笑いかけ、最後にもう一度撫でてからベッドを立ち上がる側に側に置いてあった着替えへ手を伸ばす。


 ……何だろう。ちょっと恥ずかしくもあるが、それ以上にすっきりした。

 これでもう悔いはない。

 このまま地獄に堕ちるならそれでも構わない。それくらいには晴れやかな気持ちでいっぱいだった。

 

 そんな内心はまったく関係なく、あれよあれよと流されるまま着替えさせられていく。

 精神年齢のせいでどうにもむず痒いが、まあ今は子供だし仕方ないことだ。


「今日はティナちゃんが遊びに来るのよ~。だからちゃんと綺麗にしておかなくちゃね~」

 

 懐かしい外用の服に袖を通しながら、母の言葉に耳を傾ける。

 この後来るらしい客人は、母の言い方的には知り合いのよう。

 だが生憎俺は覚えていない。名前だけ聞かされようと、誰かなんて見すら付かない。


 この村で覚えている人と言えば、家族と俺を殺したあの聖騎士ブリュンドだけ。

 もしかしたら生き延びた人はいるのかもしれない。

 けれど残念ながら出会うことはなかったし、あの惨劇で生き延びれる人なんて一人いればいいだろうと思い、すっかり記憶からも消してしまっていた。

 

 ……まあ誰でもいいか。来客があの女でないのなら、別段取り乱すことはないだろう。

 そんな風に考えていると、どこかで聞いたことのある金属音が家中に鳴り響く。

 懐かしい。確か来客用の呼び鈴がこんな音だったか。

 意外と忘れているものだなと思っていると、俺の小さな手が母に握られる。


「ほら行こっか。ギルくんもルナちゃんにご挨拶しないとね~」

「……えっ」


 そんな感傷に浸る俺へ突き刺すよう、母は聞き捨てならない言葉を吐き出してきた。

 一瞬何もかもが固まってしまうが、母はそんな俺の様子に気付くことなく引っ張っていく。


 ルナちゃん。母がそう呼んだ子供には覚えがある。

 だってそれは、今一番会いたくない女の名前。ついさっき挙げた、最も会いたくない女の愛称だったはずだ。

 

「お、ぼくへやにいたい」

「ん~? 元気なら挨拶くらいはしないとね~?」


 決死の抵抗も虚しく、子供の体では母の手すら振り解くことの出来ない。

 気分はまるで出荷前の家畜のよう。どう足掻こうと回避は不可能だと諦める。


 階段を降り、見えてきた玄関。

 そこにいたのはどこかで見たことある気がしなくもない女性と、その人に笑顔で接している父親。

 そしてその女性の後ろにいる金の髪の幼女。髪色は違えども、そいつは間違いなく昨日出会ったあの女に他ならない。


「いやーお前達の家は遠くて叶わんなー。お、大きくなったなギル坊。ほらルナ、挨拶は?」


 女性の言葉を受け、幼女はゆっくりと前に出てくる。

 警戒するように周りを見回し、母親であろう女性に助けを求めるような視線を送るが、母親であろう女性は少女の背中を優しく触って言葉を促すだけ。


 やがて幼女はその臆病さを隠さず、それでも覚悟を決めたようにこちらを向く。


「る、るありなですっ! よろしくおねがいします!!」


 ルアリナ。いずれアルテの一族に拾われ、銀の鎧を身に纏う未来の聖騎士ブリュンド

 ほんの少し前、俺を殺した女の幼き姿がそこにはあった。

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