始末屋は再度夢を見る

わさび醤油

間違いだらけのプロローグ

始まりは月明かりの下で

  子供の頃の淡い記憶。

 それは何も知らず、何も恐れることのなかった遠い残響。そして、何よりも輝かしい栄光の名残。


『この世界は冒険に満ちている』


 どうしようもなく抽象的な絵空事コトバ

 夢から妄想へ。それが普遍でありきたりな常識であると、誰もがそう宣い笑ったくだらない物語。

 だがそれは、あくまでそれを聞いた大人達の常識。昔から紡ぎ上げてきたくだらない伝統の継承に過ぎないものでしかない。


 嗚呼、覚えているとも。それを忘れたことなど一度すらないとも。

 あの頃の胸のざわつきを。そして言葉を吐いた瞬間感じた、溢れんばかりの胸の昂ぶりを。

 そして誰の目も憚ることなく誓い合った、あの夕暮れのことを。


『じゃあ約束! 必ず二人で見つけようね! すっごい宝物!』


 それは遠い過去。

 夢想した幸せな未来に進むため、共に決意し合った少年達の青春の一幕。


 友の笑顔に負けないくらい希望に満ちた表情で笑う少年。そんなかつての俺に、今の俺が言ってやれることなど一つだけだ。


 ──ご愁傷様。無知で愚かな少年よ。

 お前にあるのはただ一つ。転げ落ちて捨てられるだけのクソッタレの生活だけさ。






「なあ放浪人? 赤い栄光レディアって知ってるか?」


 闇夜の中。空から見れば点のような灯りを囲みながら、無精髭の男はそう切り出した。


「……赤い栄光レディア?」

「そうさ。その光は人を癒やし、枯れ果てた命すら再び燃やす秘宝。詰まるところ、神話伝承レジェンダリーってやつさ」


 頬を火照らせ、陽気に語り出す男。

 話の話題はこの二人の共通点を鑑みればありきたりなもの。隣に剣を置き、こんな夜の中、自然で火を囲むのが常な職──冒険者からすれば、宝の存在など世間話の一つだ。


「興味はない。だが神話伝承レジェンダリー六王の秘宝プレシス・オーバード。未だ人の届かぬ未知に興味を抱かぬほど、俺は夢を捨てきれていない」

「まじかよ! そりゃ結構なことだ。まったく、酔狂な放浪人もいるもんだな!」


 堪えきれないとばかりに笑う男。

 聞いているだけで知能が下がりそうな下品な声。今すぐにでも口を閉じてやりたいくらい。

 だが不快ではあるが、わざわざ気にしてやるほどのことではない。

 飲んだくれの戯れ言など相手にする価値もなく。

 どうせあと少しの会話でしかないのだから、好きにやらせてやればいい。


「悪ぃな。夕暮れ蜥蜴の狩猟なんて楽すぎる依頼は久しぶりでな。つい飲み過ぎちまう」

「……構わない。だが、随分と不用心だな」

「違いねぇ! おい、早く酒持ってこいっ!!」


 気安い笑みの後、この静寂に水を差す怒声が辺りへ響く。

 直後、火の光が届かぬ暗闇の中から慌てて駆け寄る少年。

彼は体を震わせながら、恐る恐る酒瓶を差し出す。


「こ、こちらです……」

「遅ーんだよこの付き虫スラグ野郎が! ったく、これだから使えねー新人カスはよぉ!!」


 男は舌を打ち、酒瓶を奪うと少年の尻を軽く蹴飛ばす。

 地面に転がる少年。酔った男は一言も掛けることなく、少年の背に唾を吐き、醜悪な悦に浸るのみ。

 少年はこちらに助けるような視線を向けてくるが、すぐに諦め元の場所へと帰っていく。


 ……確かルークと言ったか。まるで飼い犬、難儀なものだ。


「すまねえな。あの餓鬼はまだまだ未熟でよぉ? つい指導に熱が入っちまう」

「……指導?」

「おうよ。長くなるだろうが、一人前になるまでしっかり面倒見てやらねえいけねえ。いやまったく、困ったもんだぜ」


 男はにやけ面を顔に貼り付けながら、立て続けに酒を喉に流していく。


 刃向かう勇気がないのか。

 それともやむを得ない事情でもあるのか。


 ……どうでも良い、そんなことは。

 男はともかく、少年と俺に縁はない。、俺が少年の先を案ずることはなく、二度と道が交わることもないのだから。


 そこまで思考し、自分の悪辣さに一つため息が零れてしまう。

 まったく、随分と腐っちまったもんだ。以前の俺ならいの一番に助けに入って馬鹿を見ただろうによ。


「おいどうした? まさかもう限界かよ? 夜は長いんだぜ?」

「……ああ、腹立たしいことに悪酔いした。だからそろそろお開きにしよう。グロード・バルダス」

「あっ? いきなりなん──」


 男の言葉は続くことはなかった。


 煌めく銀の線が炎を越え、男の体の一部分を削ぎ落とす。

 ぼとり、と鈍い音を立てて落ちた腕。

 男は一瞬、持っていた酒瓶を落としながら呆気に取られ、そしてすぐに傷の断面を押さえながら悲鳴を上げた。


「て、てめぇ……。一体なんのつもりだ……」

「何のつもり……か。簡単だよグロード。バルガス家の汚点を恨む者は多かった、ただそれだけだ」

「そういう、ことか……。頼む始末屋エンドっ。ま、待てっ──」


 最早話すことなどなにもないと、言葉と首を同時に断ち切る。

 苦悶の表情のまま死んだ男の首は、駆けつけてきた少年の前まで転がり、そして止まった。


「な、何が……ひっ」


 少年は手で口を押さえながら、目の前にある現状へただただ戸惑いを見せるのみ。

 この驚きよう。恐らく、死体を見るのは初めてなのだろう。

 剣に滴る血を振り払い、静かに剣を鞘へと収めながら勝手に推測する。。


「あ、貴方がこれを? どうして……?」

「知る必要はない。冒険者でありたいなら、触れる必要のない一線は見抜けるようになるべきだ」


 怯える少年を一瞥しながら、淡々と言葉を紡ぐ。

 少年は口を噤みながら何度も頷き、男の死体と俺を交互に見比べ続けた。


「こいつは依頼中の事故死で片が付くことになっている。お前が仲介所ギルドにどう報告しようと、それは変わることはない。だから、わかるな?」

「……は、はい」

「よし。それで良い」


 側に置いていた荷物を背負いながら、少年に告げることだけ告げていく。

 所詮は口約束。別にこの男が口を滑らせようと、それはそれで構わない。それがどういう結果を招くことになるかは、愚鈍であろうと少し頭を回せばわかることだ。


 ……それでも、罪もないであろう少年へ言葉ではないのに間違いはないか。


「じゃあな。もう会うことのないよう願っているよ」

「え、まだ真夜中ですが……」

「どうでも良い。お前も生きたいのなら、夜が明くまで火を絶やすなよ」


 何か言いたげな少年に背を向け、焚き火の照らす領域から離れていく。

 今日出会い、その日のうちに別れる程度の関係。そんなやつにいちいち別れを言う気はない。

 街まで御守をしてやる義理などないし、互いに死んだらそこまでの人生だろう。


(……馬鹿らしい)


 再度自虐のため息を零しながら、闇夜に紛れて歩みを進める。


 このままこんな人生を送っていくのか。

 幼い頃に思い描いた冒険者とは真逆。冒険者とは名ばかりの、都合のいい始末屋として手を汚し続けなければいけないのか。

 ……いや、このまま生きていけるかですら既に怪しいところまで来ている。

 不意の乱入によりしくじりかけた先日の依頼めいれい

 その不手際が上にバレた俺の立場は、こんなゴミ掃除をしなければいけない程に揺らいでいるのだから。


 ……馬鹿らしい。そんなくだらないこと、考えるだけ無駄なことだ。

 さっきの新人を見て、どこかに眠っていた感傷でも湧いたらしい。俺と彼は生まれも立場も違うというのに、随分とおめでたい性根なことだ。

 

 こびり付いて離れないもやもやを振り払うよう、速度を上げて駆けていく。

 行きに費やした無意味な距離を走り抜け、一時間ほどで街が見えるところまで辿り着く。

 ここまで来れば、後は急ぐまでもない。

 どうせ報告の期限は明日の正午まで。夜は長いのだし、仮眠してからでも十二分に間に合う。そう思いながら速度を緩めようとした──その時だった。


「ぐっっ!!」


 切られたと。

 その痛みを認識するよりも前に、俺の腕が空に舞うのを視認する。


 刹那、張り裂けそうなほど体を襲う激痛。

 自動で展開された術式に痛みを誤魔化されながら、斬撃の主を探ろうと視線を動かし続ける。

 だが遅い。その一撃に気づけない時点で、既に俺の敗北は決定していた。



光の剣レイ・ブランド

 


 世界の色が変わる。夜は僅か一刹那、昼すら凌駕する輝きに包まれる。

 網膜を焼く極光。鼓膜を貫くけたたましい音。

 それらすべてに反応することすら叶わず、体は弾き出されるように吹き飛び、大木に直撃する。


「──っは」


 大木からずり落ちる体。受け身を取ることすら叶わない。

 術式の許容を越えて溢れる激痛に苦しみながら、地面に崩れ落ちていき、這い蹲るように地面に伏してしまう。


 地面を染める赤黒の液体。口からは更に、地獄の怨嗟のような嗚咽が漏れ出す。

 視界は徐々に霞んで色を失っていく。霞むほどに逃走への諦めが募ってしまう。


「追いついたぞ。そして、ここで終わりだ」

(……お前か)


 凜とした、まるで黒に浮く月の様に美しい声。そして記憶の彼方で笑う少女の面影を持つ美麗な顔。

 だが、彼女の持つ魔力の量は俺とは次元が違うもの。

 その正体を知っているにも拘わらず、自分とは違う生き物のように感じてしまう圧倒的存在感。そんな埒外の怪物が、そこにはいる。

 

 夜の暗さすら突き抜ける、月が如く輝く白銀の聖騎士ブリュンド

 かつては近く、今は随分と遠くなった幼馴染。

 ルアリナ。ルアリナ・アルテ。それが彼女の、今から俺を殺す女の名だ。


 ……嗚呼、ちゃんと会うのは久しぶりか。

 髪の色は以前と違う。だがこんな惨めな俺とは違って、随分とまあ立派になったもんだなぁ。


「ギル……いや、始末屋エンド。持っている情報を吐け。そうすれば命は保証する。だから──」

「……何も、出ないぜ。殺せよ聖騎士ブリュンド。それが国の剣アルテの役目だろ」


 声にもならない掠れた音で、彼女の名前を呼ぶことなく自らの意志を示す。

 どうにも今は不思議と命乞いをする気にはなれない。生き延びるために散々自分の手を汚してきたというのに、今はもうとっととこの瞼を落としてしまいたかった。


 ……嗚呼、ようやく終わる。こんな糞みたいな生に、ようやくけりが付けられる。

 たった一度の転機で転がり落ちた、間違いだらけの汚れた人生。

 利用されるだけ利用されたゴミ屑の末路。それがかの白銀の聖騎士様に断罪されるというなら、野良犬には分不相応なくらい上等な刃だろうよ。


 ──だから早く。その月夜ですら輝く刃を降ろして、とっとと終わりにしてくれ。


「……そう、か。残念だ」


 銀騎士が見せる一瞬の逡巡。だが、それは本当に一刹那。

 銀の刃は揺らぎなく心臓を一突き。内に弾ける命の鼓動が、自らの最期を実感させる。


 延命処置を発動しようと暴れる魔力。だが彼女の光の前には、体に刻まれた術式すらも崩れていく。

 痛覚の遮断、意識の強制覚醒、動作の強制……そして自壊。

 俺を人形にしていた幾十の術式。そのどれもが発動することなく、解かれるように体内から消え失せていく。……きつく結ばれた首の輪を外される感覚に近い。

 これがかの有名な聖騎士ブリュンドの魔力。邪なる外法を溶かす、女神の息吹の一端か。


「……どうして、どうしてこうなってしまっただろうな。……ギルくん」


 まるで悔いるかのような少女の苦悶が、死にゆく俺の耳を通り抜ける。

 世界が閉じる前に見えた最期の景色。

 それはぼんやり浮かぶ遠い昔に何ら変わることのない、一人の少女の泣き顔であった。





 意識が何かに溶け込んでいく。自らが自らであるという確信を無くしていく。


 命の終わり。あらゆる生き物に等しく訪れるであろう、無限に続く循環の中。

 生の間に感じることのなかった初めての感覚。それが一生、微睡みに身を任す俺という一生の終わりを実感させてくる。

 

 ……どうなるのだろうか。このまま待っていれば、俺は消えてなくなるのだろうか。



 ──果てを変えろ。いずれ来る滅びに抗うがいい。



 そんな疑問の折、どこからか音が入り込んでくる。

 声とは違う、けれど体の芯にまで響く音。

 それがないはずの体に染みこみ、もう眠りたくて仕方のない俺の意識をたたき起こそうとしてくる。


 ……頼むから放っておけ。死んでまで誰かの小言なんぞ、聞きたくもない。



 ──輪廻の王たる*****ドゥワルグが告げる。別なる厄災を担う我が命ずる。



 俺の意志を無視するかの如く、一方的に続く音の羅列。

 そのくせ、こっちからは何故か無視できないのがもどかしくていらいらしてくる。


 ……煩い、うるさいうるさいうるさいッ──!!

 


 ──人世じんせが定める咎人よ。奇跡を願う哀れな生き物よ。

 真に罪を懺悔するならば、その身で贖い精算するが良い。





「うるさいなっ!!」


 堪えきれずに湧いて出た怒号と共に、勢いよく体を起こす。

 顔に当たる日の光。窓から零れるそれは、夜が明けたことを痛烈に俺に示していた。


「……朝か。……朝、あさ?」


 そこまで口に出して、ようやくこの状態が異常だと理解する。

 朝なんて迎えるはずがない。俺は間違いなく死んだはずだ。逃げる手段は何処にもなく、生存の可能性は自ら突っぱねたのだから、それで終わっていなければ可笑しいはずだ。


 ならばこれは何だ。俺は今、どういう状況なんだ。

 組織にしろ聖騎士ブリュンドにしろ、生かしたのなら拘束されてないはずがない。


 とりあえず、状況を確認しなければ。

 そう思い、窓に寄ろうと立ち上がろうとし──そしてよろける。


「──っ!?」


 体が言うことを聞かない。動かないのではなく、思うように動けない。

 拘束具とは違う。手足の長さが──体の大きさ自体が変わってしまったかのような感覚。


 それに可笑しい点なら他にある。

 窓が遠い。いつもならなんて事のない高さのはずなのに、一番上に届かないくらいに視覚が狭くなっている。

 それでも若干ふらつきながら、どうにか小窓の傍にまで到着し、近くの椅子を台にして覗き込む。


「……え」


 映る姿と先に見える景色が、俺をどうしようもなく驚愕させた。

 広がるのは遙か遠くにまどろむ、懐かしき記憶の再現。緑に溢れるそれは、既に失った過去のもの。


 見間違うはずもない。

 そして同時に、その光景を見ることはあり得ないのだと、脳が痛烈に訴えかけてくる。


 ここはアルフ村。つまりは俺の故郷。

 その中でもこの風景が見える場所はただ一つ。……俺の家の俺の部屋だった場所だけ。

 そして窓に映る人の姿は、俺であって俺でない者──幼い頃の俺の姿が、そこにはいる。


「どうなって、やがる……」


 動揺のままに喉から湧いたのは、自分の声とは思えない程に軽く甘い幼子の声色。

 ありえない、どうなってやがる。地獄にしちゃあ、随分と悪趣味で嫌らしい光景じゃないか。


 冷静になりきれない頭で思考を回そうとしていると、後ろから物音が聞こえた。

 軋む音と共に、ゆっくりと開く扉。

 とっさの癖で腰の短剣に手をかけようとして、それがないことに内心で舌を打ちながらそちらを向く。


「あら~? もう起きちゃったのね~」


 脳に突き刺さる声。そこにいたのは、こちらに微笑みを見せる女性だった。

 頬に手を当て、柔らかい笑みを見せるその女性。

 ……覚えている。覚えているとも。

 何故ならそれは、その人は。どれほど腐った生を送っていても、離れることのなかった優しい記憶だ。


 彼女の名はアラナ。二度と会えるはずのない、遠い記憶に残る優しい過去。

 村の滅びと共に失った優しき母の姿。それがどうしてか、目の前にいたのだ。

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