第19話 スパイ
久崎が自分の席で発注書を作成していると
彼女は必要以上に男性と会話をしないよう心掛けていた。それは自分の美しさを自覚しているからで、女性社員に
お盆の上には渋い湯飲みが一つだけ。最後に久崎に配り終えるよう女性社員が手配したのだ。
「久崎さんお茶です」
「ありがとう」と、いつものそっけない態度だ。
「社長賞が発表されましたね、久崎さんのアイデアが採用されるなんて凄いです」
今日の朝礼で高羽部長が発表したのだ。普通ならば部下が表彰されるのは管理職として喜ばしいことなのだが、相手が久崎なので
目立ちたくない久崎にしてみれば派手に騒がれるよりも有難く、心の中で高羽に感謝していた。
「ありがとう」と、いつものそっけない態度。
「お祝いしなくちゃいけませんね。どうです今晩お食事にでも」
「ごめん用事があるんだ」
「そうですか……残念です」
「ちょっと久崎さん!」と、小井戸よりも年配の女性社員が割って入ってきた。
「彼女が勇気を出して誘っているんですから、そんな冷たい態度とらなくてもいいんじゃないかしら!」
「あの、ちょっと――」と小井戸が止める。
「あなたには関係ないでしょう。用事があるのは事実だし、タイミングが悪かっただけです」
「タイミングですって? なら空いている日を教えなさい。その日に必ず小井戸さんと食事に行きなさいよ!」
「あなたに命令される筋合いはありませんが?」
「あなたが小井戸さんと交際しないと、彼女を狙っている人たちが諦めないのよ!」
「例えその人たちが諦めたとしても、あなたを好きになるとは思えませんがね」
間違えてはいないが口に出してはいけない言葉だった。その女性社員からキツイビンタをもらってしまう。
女性社員は
その戦いは部署にいる全員が注目していたのだった。
ヒソヒソ話が始まり仕事どころではなくなる。
「大丈夫ですか?」
「いや、大丈夫じゃない。なぜ俺が殴られなきゃならないんだ」
「ごめんなさい私のせいで」
「殴ったのはあの人で君じゃない、謝る必要はないよ」
「そうじゃなくて、私がしつこく迫るから久崎さんが被害にあったんですよ」
「理解している。それでも悪いのは彼女だ。気になる異性がいるのならフリーになるのを待つのではなく君のように告白すれば良いんだよ」
「あの人は告白できないですよ、だって冷たく断られる私の姿を見ていたんですもの。きっと自分の姿と重ねてしまって、一歩踏み出す勇気が消えてしまったわ」
「なら冷たい態度を取った俺が悪いんだ、やはり君の責任じゃない」
「お人好しすぎます。頬を冷ます物を探してきますね」
小井戸は小走りで給湯室へ向かう。
「目立ちたくないのに、なぜ裏目にでるのか……」
久崎は痛む頬をなでるのだった。
その騒動を止めもせず静観している男がいる。
部長の
久崎の悪い噂が流れればイメージダウンし相対的に自分の株が上がる。それを見越しての静観なのだ。
部長の立場を使い久崎に嫌がらせをすることもできるのだが、彼のプライドがそれを許さなかった。
何もしなくても部長である自分を小井戸が選ぶだろうと高を括っているのである。
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数日後、
歩道にはTV局や雑誌記者などのマスコミが大挙してカメラを構えておりフラッシュが雨のように降り注ぐ。
後部座席はスモークガラスになっており、搭乗者の姿がまだ見えないにもかかわらずフラッシュの嵐は続いていた。
助手席のドアが開くと黒いスーツを着た体格の良い男性が降りてくる。黒いサングラスと黒いマスクを付けており人相はわからない。男性はマスコミを押しのけスペースを作ると後部座席のドアを開ける。
そこから男性と同じ服装の女性が降りてくると、黒服の二人はマスコミを近寄らせないように壁役になる。
その後ろからノミが降りてくると、さらにフラッシュが激しく明滅する。
続いて三人目の黒服が降りてくると鉄壁のトライアングル防御陣が形成された。
まるで亡者のように襲い掛かるマスコミだが、三人の黒服たちは背広タイプの強化スーツを着ているのでびくともしない。
ノミの歩幅にあわせて黒服がガードしながら移動すると、まるで除雪車のようにマスコミが左右へ押しのけられていく。
本社ビルのガラスの自動ドアが開くと、入口ホールでは社長の
「ようこそおいで下さいました、社長の天白幸之助です」
社長自らが出迎えるのは異例の待遇なのだが、相手は他国の国王なのであたりまえと言えるかもしれない。
「はじめまして天白社長。
珍しくノミもビジネススーツを着ている。まるで新卒の学生が入社面接を受けに来たような初々しさだった。
「いえいえ滅相もない。マスコミを遠ざけることができずこちらこそ申し訳ありませんでした」
「人混みには不慣れなもので、あのように囲まれますと人の圧が恐ろしく感じますね」
「可憐な女性には酷な対応だと思います、マスコミも配慮すべきでしょう。さて、こんなところで立ち話もなんですから会議室へ場所を移しましょう」
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役員用会議室の上座に案内されたノミは椅子に座り、その背後に黒服の三人が立っていた。
役員たちが会議卓を挟み向かい側に並ぶと深々と頭を下げる。
「この度は九十九様の
「頭を上げてください。既に記者会見で誠意ある謝罪をなされている姿を拝見しました。思うところが無いと言えば嘘になりますが、販売されていた件については水に流そうと考えております」
社長は頭を上げると、
「ありがとうございます」と、再び頭を下げ礼を尽くしたのだった。
社長の目配せで役員たちが席に座ると、
「早速ですが打ち合わせを始めさせていただきます」と、専務が話を進める。
「現在わが社はアーガルのデフォルメぬいぐるみと、九十九様の姿を模したフィギュアを販売させて頂いております。まずはこの二点について九十九様のご意見を伺わせて頂いても宜しいでしょうか」
「ぬいぐるみについては今まで通り販売して頂いて問題ありません。ですがフィギュアのほうはちょっと」
「と、申しますと?」
「私はアイドルではございません。自分の姿のフィギュアが売られるのは少々気恥ずかしいのです」
「老いた私でも九十九様は可愛らしいと思います。自分の傍に置きたいと願う男性が多いのも頷けるのです」と、社長が説得を試みるが。
「褒めて頂き嬉しいのですが、やはり恥ずかしさにはかないません」
「そうですか、残念です……」
ちなみに販売停止になったフィギュアは後にプレミアがつき高値で取引されるのだった。
「それでは続きまして肖像権侵害の弁済について、我が社は売り上げ額相当の木の苗および花の種をお渡しする予定ですが、それにつきまして九十九様のご意見を伺わせて頂いても宜しいでしょうか」
「売り上げ額の3%で結構です」
「ほんとうですか?!」
役員たちが驚いて椅子から腰を浮かす。
「ええ。私は商売に関与しておりませんし、姿を貸しただけですから、全額搾り取るほど鬼ではありませんよ」
まるで天国に来たかのように役員たちが
「それと、ぬいぐるみの売上高で買える苗の量もたかが知れています。なので我が国から資源を輸出したいと考えています。ちなみにこの案は
「確か北海道と同程度の国土でしたね。ならば埋蔵されている資源も豊富でしょう」
「いいえ。我が国は浮島ですから陸地に穴をあけると脆くなります。ですから宇宙から隕石などを運んでこようかと考えているんですよ」
「宇宙?!」
「レアメタルなどが採掘できると思うのですが、御社はそのようなお取引は扱っていらっしゃいませんか?」
「専務!」と、社長が呼ぶと、
「はい! 価格競争に負けて撤退しましたが取引実績ならございます」
「それは良かったです」
ノミがにっこりと笑うと、役員たちもつられて笑顔になる。
すでに会議室はノミの信者だけになっていた。
「具体的な取引の打ち合わせは担当者に任せたいと思います。小井戸くん」
「はいっ!」
緊張でやや裏返った声で返事をする。
「彼女は小井戸沙来、仕事のできる優秀な社員です。それに九十九様とも年齢が近いですし話も会うかと思い担当にさせて頂きました」
「小井戸です、若輩者ではありますが宜しくお願い致します」
「こちらこそよろしく。それではコレをお渡ししておきますね。私の携帯端末に直接かけることができる無線機です」
ノミはハンドバッグから携帯端末を取り出し黒服の女性に渡すと、黒服から小井戸に手渡された。
「いつでも遠慮なく連絡してください。プライベートな話でもオッケーです」と言いながらウインクする。
役員たちはノミの輝く笑顔を見て鼻の下を伸ばすのだった。
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ノミは飛空艇で総理官邸のヘリポートへ着陸し、天白商事まで送迎してもらったのだ。
今は商談を終え飛空艇へ戻る最中の車内にいる。
『主殿、商談はつつがなく終わったぞ』
『それは良かった』
『じゃが小井戸ちゃんが担当者になったのは予想外じゃのう』
『はぁ?』
『年齢が近いから選ばれたそうじゃ』
『そういえば部長に呼ばれた後一緒に出て行ったな』
『断る理由はないから了承したが良かったかね?』
『オマエわざと事後承諾にしただろ』
『バレたか。ワシは主殿と小井戸ちゃんがくっつけば良いと思うておるよ。子孫を残さないのはワシに良くしてくれたご先祖様に悪いでのう。じゃからワシは小井戸ちゃんの味方につくことにした』
『お前の意志は尊重するから止めはしないが、正体をバラすのは無しだ』
『それは約束しよう。ワシと主殿が無関係を装うのは事前打ち合わせ通り、あくまで技術力をもつ一般人として振舞うわい』
『それなら好きにしたらいいさ。この前も不甲斐ない姿を見せたばかりだ、すぐに彼女も愛想を尽かすだろう』
『甘いぞ主殿、女性というのは愛深き生き物なのじゃ。一度心に決めた異性に対しては生半可なことでは見捨てぬのじゃよ』
『そうかぁ? 浮気や不倫のニュースは絶えないけどなあ』
『それは見た目で選んだ結果、交際したあとに性格の不一致に気付いた結果じゃ』
『ちょっと待て、その理論が正しければ俺は見た目で選ばれていないことになるだろうが』
『あたりまえじゃろ。あんな若くて可愛い子が主殿の見た目にひかれるわけあるまい』
『傷つくわ~。的を得ているだけに心に刺さり過ぎる』
『じゃからこの幸運を逃がすべきではないと言っとるのじゃ!』
『わかった、わかった。もう彼女を無下に扱わないよ。まあ俺が彼女を好きになるかは別だけどな』
『それで良い。好意というのは付き合いが長くなれば自然と芽生えるものじゃ』
『それと同じくらい悪い面も見えてくると思うけどな』
『あ~言えばこ~言う。ほんとうに面倒くさい主殿じゃ』
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少し
シャニーグループの部長室に年配の男性が入ってくる。
「お呼びですか部長」
名前は
しかし世代交代と出世競争に負けてしまい、今は会社のお荷物になっていた。
いよいよリストラ宣告かと覚悟を決めて部長室へ来たのだった。
「まあ座ってくれたまえ」
久下の態度に違和感を覚える。近頃は腫物を扱うような態度だったのに妙に優しい。
「君には天白商事に行ってもらう」
「出向ですか? 取引先ではないようですが」
「産業スパイとして潜り込んでもらう」
「は?」
「聞こえなかったのかね。君は産業スパイとして天白商事へ行くのだ」
「お断りします。法に触れることはしたくはありません」
「そうか、話は以上だ」
久下のゴミを見るような目が、明日には席が無くなると予告していた。
「あの……」
「退室して構わん。あ、鈴木を呼んできてくれるか」
鈴木は杉沢と同じく窓際の席を温める同士だ。
「私の代わりですか?」
「もう君には関係のない話だ」
「前言撤回します、話を聞かせてください」
「社運を賭けたプロジェクトなのだ。軽い気持ちで信念をかえる者に大役は任せられない」
「生意気を言い申し訳ございません! 法律よりも社の利益が大事だと忘れておりました。なにとぞ話を聞かせて頂けないでしょうか!」
応接セットに当たりそうなほど頭を下げる。
久下は溜息を漏らし心底面倒くさそうに、
「しょうがないな。一応話すが君に任せるかは別だぞ」
「それで結構です」
「社長が新規プロジェクトの構想を立てられた。それにはレイクリスの力が不可欠なのだ。だが博士との連絡手段がない。昨日のニュースは見たかね」
「生憎と」
久下は大きな溜息を漏らす。社会人がニュースの一つもチェックしてないとは思いもよらなかったのだ。人選を誤ったのではないかと不安になるが話を続けた。
「天白商事がレイクリスと取引を開始する可能性が高い。よって天白商事に潜入し、担当者、連絡先、連絡方法を調べ、我が社が博士と取引できるためのパイプを構築するのが主な仕事になる。なので産業スパイと説明したが天白商事にデメリットを招くような情報は持ち出さない。よって法律違反となる恐れはない」
「天白商事に連絡先を教えてくれとお願いしてはどうでしょう」
「どれだけの企業があの国との関係を築こうと狙っているのか想像できぬのかね」
「さあ。ですが仕事内容は理解しました。どうか私に任せてください!」
「返事だけはいいな……。まあいいだろう。今日辞表届を提出してもらう。退職金という形で給与は継続して支払われるから安心しろ。後日、天白商事の中途採用試験を受けて社員になり内偵を進めてもらう」
「中途採用試験に合格しない場合は?」
「プロジェクト失敗は即クビだよ、知っているだろう社長の冷酷さは」
「そうでした」
「早速準備に取り掛かってくれ」
杉沢が部長室を後にすると久下は、
「人選を間違えたかもしれん」と、早くも後悔するのだった。
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太平洋沖の海中をロシアの潜水艦ワルシャワンカがレイクリスへ向けて航行していた。
海軍大尉が艦長席で渋い顔をしている。
日本だけでも
アジア方面へのアメリカの影響度が増すではないか。
西側諸国の勢力圏が今以上に広がるなど許されないのだよ。
朝鮮半島と沖縄は既に我が国の
日本の野党もほぼ買収済み。
労せず日本を支配できるこの段階で。
……あの島は計画の邪魔なのだ。
あんな風船島、ミサイル数発打ち込めば空気が抜けて海底に沈むわ。
国連に加入する前ならば、うるさく吠える国も少ないだろう。
「艦長、あと二時間ほどで射程圏内に入ります。……ほんとうにこのまま進んで宜しいのでしょうか」
「命令が不服か?」と、腰の拳銃に手をかける。
「いいえっ。進路そのまま直進します」
「ふんっ、魚の餌になりたくなければ黙っておれ」
ゴン、ゴンと何かが船体に衝突する音が聞こえる。
「何の音だ?」
センサー分析官はヘッドホンに耳を傾けながら首をかしげる。
「不明です。音響からシャチかクジラが体当たりしているように聞こえますが、ソナーに魚影なし」
「艦長! 舵がききません! 百八十度回頭しています!」
操舵手は腕に青筋が浮き出るほどの力で舵を握っているがぴくりとも動かない。
「いったい何がおきている!」
館内放送の電源が勝手に入る。
「え~、潜水艦の艦長へ、このまま進むと我がレイクリスの領海に入ります。いらしゃるときはアポイントメントを取ってからお越しください。繰り返します、潜水艦の――」
「誰だ! 誰の声だ?!」
乗組員はシートに体が押し付けられるほどの加速を体感する。
「か、艦長! 最高速度の三倍の速さで進んでいます!」
「エンジントラブルか?」
「いいえエンジン出力はそのまま、船外からの力によるものです」
「なんだぁ~、なんなのだぁ~――」
潜水艦はレイクリスから遠く離れた海域で解放されたのだった。
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