第18話 ホットライン
久崎の勤める天白商事ではアーガルのデフォルメぬいぐるみと博士フィギュアが飛ぶように売れていた。
だが、その状況を快く思っていない者がいる。
社長の
商機が重要なのは自明の理。肖像権を有する者と販売許可の交渉を長々と続けていてはブームが過ぎ去ってしまう。
なので無許可で販売し、後に権利を得てロイヤリティを支払うのだ。
芸能事務所や出版社がバックにいる場合には使えない手法だが博士はフリー。
ただしこの商法はリスクが高い。
示談に持ち込めなければ訴えられ利益は全て没収される。示談できたとしても権利者に有利な条件で契約を結ばなければならない。まさにハイリスクハイリターンなのだ。
社長の目論見では販売直後に博士が訴えてくるだろうから、そこで交渉すれば良いだろうと考えていたのだ。しかし、待てど暮らせど連絡がこない。
販売期間が長ければ長いほど売上が増え、それに伴い賠償額も膨れ上がる。示談できなければ相当額のペナルティが予想される。最悪倒産してもおかしくない。
シャニーグループのような巨大企業ではないので、探偵を雇い博士の情報を仕入れるなどの余裕はない。
そこで社長は――。
朝の朝礼。皆の前で
「――と言うことで、我が社は倒産の危機に直面している」
「博士とは交渉済みではなかったんですか!」と、若い社員がすごい剣幕で怒っている。
「そうらしい。私も数日前に知ったのだ」
ちなみに嘘である。高羽は初めから知っていた。
年配の社員も薄々は感づいていたが、
「そこでだ、社員からアイデアを募集することとなった。博士との連絡手段を考えた者には会社から報酬が支払われる」
「私たちに役員の尻ぬぐいをしろと?」
「気乗りしないのも理解できる。だがボーナスの支給額が増えたのは皆も知っているだろう。それは博士関連の商売が成功しているからだ。もし博士と契約を結ぶことができれば次のボーナスも大いに期待できるだろう。会社の窮地を乗り切るため皆の知恵を出し合おうじゃないか!!」
高羽部長の鼓舞に誰も反応しない。
高らかに上げられた彼の拳が寂しそうだった。
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二日後。
「お疲れ様です」
いつものように彼は冷めた態度でパソコンのモニターから目を離さずに、
「ありがとう」とお礼を言う。
「あれから視線を感じなくなりました。久崎さんが何とかしてくれたんですよね」
「ん? あ、ああ、ストーカーね。喫茶店を出たら君を盗撮しているヤツがいたんで注意しておいたよ」
「ありがとうございました」
「うん」
「あの……」と、小井戸の顔が耳元まで近づき小声て囁く。
「博士とは連絡取れないんですか? 久崎さんなら契約取れるんじゃありません?」
彼が返事をしようとすると、高羽部長が自分の席から大きな声で、
「久崎君、アイデア募集の件だがこの部署で君だけが案を出していないんだ。会社を助ける気はあるのかね!」と、皆に聞こえるように注意する。
高羽と小井戸の交際は途切れているが正式に別れたわけではない。高羽と久崎の将来性を彼女が計りたいという話で止まっている。
高羽は久崎の近くに彼女がいるのが気に入らないので嫌がらせをしつつ、久崎の評判を下げるため皆に聞こえるように指摘したのだ。
久崎は立ち上がると軽く頭を下げる。
「任意だと思っていたのですが違うようですね。今から提出します」
椅子に座りなおすと、パソコンを操作し企画書の雛型にアイデアを打ち込み始めた。
「がんばってください!」と、小井戸が耳元で優しく囁いた。
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数日後、役員用の会議室に重役たちが集まっている。
彼らの手元には会議資料が配られていた。それには社員たちが提案した博士との交渉案が印刷されている。
「プレゼントを贈る、食事に誘う、遊園地へのご招待? デートと勘違いしてないかね」
天白社長が片眉を吊り上げ資料を眺めている。
「相手は若い女性ですから、そこにポイントを絞った案が多いようです」と、専務が見解を述べる。
「連絡手段がないから苦労しているのだと社員に伝わってないようだね」
「若い社員は携帯電話があってあたりまえの世界に生まれましたからね。電話のない離島という意識が薄いのか、不便な生活が想像できないのでしょう」
ぱらりぱらりと資料をめくる社長。
アイデアは受付用メールアドレスに送付するよう指示されていた。殆どの社員は数行のアイデアをメールに書き送付したのだ。その結果、重役たちの手元にある資料は数行しか印刷されていページが何枚もあるのだ。
残り数枚まで読まれたところで社長の手が止まる。
その資料に印刷されていたのは会社でよく見かける企画書のフォーマットだった。
書かれている内容を要約すると、
・記者会見を開き契約前に商品を販売した行為を誠心誠意謝罪する。
・今後も商品の販売を継続したい旨を伝える。
・弊社はその対価として樹木の苗や草花の種を輸出しレイクリスの土地が緑豊かになる手伝いをする。
というものだった。
損益の分析までされたその資料はアイデアと言うよりまさに企画案なのだ。
「高羽君! 久崎というのは君の部署だね」
「はいそうです。それが何か」
「彼のアイデアには目を通したのかね」
「いいえ、提出が遅かったのでチェックしておりません。少々お待ちください」
高羽は急いで久崎の企画書に目を通すが、最初の数ページ見たところで話を始めてしまう。
「これは! 記者会見で社長に頭を下げさせようなど誠に失礼な案ですね、厳しく注意しておきます!」
「いいじゃないか、この案」
「え?」
「現在の商売を続けつつ、新たな商談を始めようとしている。商社は顧客の欲しい物を売るのがモットー。たしかにあのハゲ島には緑が必要だ。ニーズにもマッチしている。専務、樹木の取引先に心当たりは?」
「伐採後の木材なら何度か取引実績がございますが、苗となると新規開拓が必要ですね。草花に至っては全くございません」
「ふむ、新たなビジネスチャンスを生む可能性もあるか……。いいだろう、この案でいく。まずは記者会見の準備だな、法務部の担当者を呼んでくれ原稿を考える」
即決即行動。天白社長はもう会議室を出ようとしていた。
「あ、高羽君、いい部下がいるな、礼を伝えておいてくれ」と言い社長室へ戻っていった。
高羽は言いつけ通りに久崎を褒めるべきか悩むのだった。
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数日後。お昼のニュースで
「――と、
そのニュースを警察署の食堂で見ていた
「天白商事は久崎が務めている会社でしたよね」
「そうね」
「やっぱりアイツ博士と関係あるんですよ」
「そうでしょうね」
「露守さんやる気ないっすね。いや、元気がない、かな」
「まあね」
「やっぱ
「アイツね、行方不明なの」
「はぁ?!」
「辞職した翌日から姿を見てないの。アパートにも帰っていないみたいだし」
「事件じゃないですか!」
「たぶん旅行してるのよ。長期休暇なんてしてなかったし。ゆっくりと羽を伸ばしてるのよ」
「そう自分に言い聞かせてるんですね」
露守は黙ってスパゲッティを食べている。
「じれったいなあ、俺が捜索願出しときますよ」
「やめて。元刑事が行方不明なんてマスコミのいい餌よ」
「ですが……」
「あの人は優しいけど強い人よ、必ず戻ってくるわ」
「ならそんな顔しないでいつもの強気の先輩でいてくださいよ」
「ありがとう、まさか酒田君に慰められるなんて思ってもいなかったわ」
「こう見えて俺は頼りがいのある男ですから」
「私より太ってから言いなさいよ」
露守に少しだけ笑顔が戻ったのだった。
「立ち入ったことを聞きますが、京本さんと交際してるんですか?」
「してないわよ」
「マジっすか。俺はてっきり結納前に逃げられて落ち込んでいるのかと」
「そんな関係なら同僚を巻き込んで捜索隊を編成するわよ」
「公私混同ですが俺も参加します、面白そうなんで」
「はぁ~~。ホント、どこに行ったんだろ……」
「ドラマなら敵に拉致されている仲間を俺たちの手で助ける熱いシーンですよ!」
「敵って、ヤクザくらいしか思いつかないわ」
「京本さん、なよなよしてるけど柔道有段者ですよね」
「返り討ちにするでしょうね」
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「やられた!!」
天白商事のニュースをネットの速報で知ったシャニーグループの
まさか謝罪会見を逆手に取りコネクションを築こうとは……。
おそらく博士はこの提案に何らかのリアクションをせざるを得ないだろう。
無視を貫けば肖像権を放棄したに等しいからな。
まさに死中に活あり。企業イメージはダウンしたが博士とのパイプにより得られる利益のほうが勝るだろう。
天白商事の社長、たしか
私は一億使い、まだ何の成果も出していないというのに。
あの携帯がニュースキャスターの
探偵に調べさせているが、今のところ博士に繋がるような接点は見当たらない。
悠長に報告を待っていたら私の首が飛ぶだろう。
博士が天白商事に来たところで話をするか……いや、総理官邸の例もある、こちらの気づかぬうちに交渉は終わっているだろう。
ならば天白商事に話を通し便宜を図ってもらうのが良いだろう。
シャニーグループに比べれば天白商事など雑魚だ、無条件でこちらの要求を呑むさ。
久下は天白商事の電話番号を調べ早速電話をかけた。
「はい天白商事です」
「突然恐れ入ります。私、シャニーグループ企画推進部の久下と申します。新規事業を始めるにあたり、御社のお力をお貸し頂けないかご相談させて頂きたいのです。つきましてはご面会をお願いしたく、担当者のかたへのお取次ぎをお願いできますでしょうか」
「申し訳ございません。ただいま同様のお電話を多数頂いておりまして、担当者が対応に追われております。すぐにお繋ぎするのは難しいため、後日こちらからご連絡を差し上げるよういたしますがよろしいでしょうか」
「私、シャニーグループですが」
「それが何か?」
久下は連絡先を伝え電話を切る。
「くそっ、我がグループを袖にするとは、教育の行き届いていない社員だ。しかし困った、博士とのアポを取りたい企業は我が社だけではないのだな。悠長に連絡を待っている余裕など私にはない。どうする……どうすれば良い……。商談は一度では済まないだろう。担当者に連絡方法を教えるはずだ。ならばその担当者を買収すれば良いじゃないか」
問題は担当者を調べる方法なのだが――。
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潜水艦の浴室。
今までは一人用の湯船だったが人が増えたので五人ほど入れる広さに改築した。
二十四時間誰でも入れるし、小型の洗浄メカが常に清掃している。
手足を延ばし、湯船で温まりながらノミは久崎と思念伝達していた。
『まさか主殿の会社から木をもらうことになろうとはのう』
『まだ決まってないがな。鎖国を解除して貿易協定を結ばないと取引はできないよ』
『面倒じゃのう。ワシはそのあたり詳しくはないから力になれんぞ』
『俺もそうだ、手探りでやるしかないだろ。とりあえず連絡手段を構築しないとな』
『メールなら送れるぞ』
『サーバーがないから受信できないだろ』
『新たに契約すれば良かろう』
『住所不定無職のオマエは申請用紙に必要事項が書けないだろうが』
『そうじゃ! そろそろ芸名の博士をやめて名を名乗るほうがええじゃろ』
『それもそうだな。名前は俺が付けたから名字はノミがつければいいんじゃないか』
『ふむ……。ワシは
『
『心得た。――そうじゃ主殿、
『誰だったかな?』
『盗聴器をしかけた
『あ~いたなあ。それがどうした』
『
『辞表を書いたのは露守って話だったよな』
『それを破いて自分のを出したそうじゃ』
『男前じゃないか。キザだけど嫌いじゃない』
『鹿熊と同じようにワシらが責任を取らねばならぬと思うが』
『それは違う。警察内の規則に従って罰を受けるべきだ。ミスで犯人を逃すのはよくある話だ、罰といっても減俸ぐらいだろ、それなのに辞めたのは別の理由があると思うぞ』
『実はな、もう潜水艦の中へ連れて来ておる』
『社会人として独断専行は厳禁だ。しかし、全て了承を得なければ行動できない無能は社会では生き残れない。京本が必要なのだと判断したんだろ、なら俺はノミの決断を
『主殿ならわかってくれると思っておった』
『SEXの相手が欲しいならそう言えよ~』
『ぜ、ん、ぜ、ん、わかっておらんようじゃの!!』
思念伝達を強制的に切断する。
「まったくもう! まったくもう!!」
ノミは湯船の湯をバシャバシャと叩くのだった。
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官邸の総理執務室に小包をかかえた
「総理、九十九女王から小包が届きました」
「無線機のようです。手紙は総理宛なので開封しておりません」
女子高生が使いそうな可愛らしい
「国家元首宛の手紙とは思えないな」
「それは
「どういう意味だね?」
「棘が見えぬようカモフラージュしてあるかと」
「あの娘がそのような心遣いをしていると? ……そうだな、そう思うほうが気が楽だ」
便箋を開き手紙を読む総理。嫌そうな表情はそのままだった。
「どのような内容でしたか」
「予想通りと言ったところだな。天白商事の一件を前向きに検討したいそうだ。我が国との貿易を始めたいので会談を希望している、と」
「これは好機ですね。九十九女王から技術提供してもらえるかもしれません」
「それはないだろう。軍事的な技術に関して譲れない思いがあるように感じた。私もそれを望まない。新たな火種を増やしたくはないからな」
「それではレイクリスと貿易するメリットがあるとは思えませんが。産業どころか国民すらいないのですから」
「たとえば、レイクリスを浮上させたように、海底に眠るメタンハイドレートが容易に採掘できるのならば、あの国は世界有数の資源国となりえるだろう」
「確かに。資源の乏しい我が国としては貴重な貿易相手になりますね。……その割に総理のお顔が優れませんが、懸念材料があるのですか?」
「この無線機はあの国とのホットラインなのだそうだ。と言うことはだ今後も各国とのバイパス役を継続しなければならないということになる」
「国益に繋がるのなら喜ばしいことではないですか」
「正直に言うとあの
「心中お察しします」
いつ頃からだろう、総理の執務机の上に胃薬が常備されたのは。
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