第20話 夜の帝王

 防衛大臣の箱守烈はこもりつよしは北海道のとある町に来ていた。

 車の通りも少なく民家も密集していない簡素な住宅地。新築の家も少なく寂しさが漂っていた。

 一軒家に到着した箱守は玄関の電子ブザーを鳴らした。インターホンなどの洒落た設備はついてはいない、見た目通りの古い家だ。

 表札には『西窪にしくぼ』と書かれている。

 ガラスの引き戸が開かれ中老の男性が出てきた。

「これはこれは、箱守の坊ちゃん」

「坊ちゃんはよしてくださいよ」

「はっはっは。さあさあ入ってください」

 ギシギシと鳴る廊下を通り応接間へ通される。

 押入れから来客用の座布団を取り出し畳の上に置くと、

「お茶を入れてきますから待っとってください」と台所へ向かう。

 男性一人の住まいだが小奇麗にされていた。

 急須と湯飲み二つを持ち戻ってくる。

「安いお茶ですがどうぞ」と、湯飲みにお茶を入れてくれる。

「頂きます」

「お父様には随分とお世話になりました。坊ちゃんにお会いしたのはお父様の葬式以来ですから~かれこれ十年になりますか」

「もうそんなに経ちましたか。月日の流れは速いものです。と、いかんいかん忘れるところでした」

 箱守はバッグの中から桐箱を取り出した。

「お土産をお持ちしていたのです。つまらない物ですがどうぞ」

「こ、これはもしや! 茨城県の純米吟醸 山川草木 無濾過・生々!! 数量限定販売で入手が難しく滅多なことではお目にかかれない一級品! 辛口好きにはたまらない垂涎すいぜんもの!!」

 まるでCMのようにセールスポイントを語る西窪にしくぼ、その瞳は嬉しさで輝いていた。

「お気に召したようでなによりです」

「坊ちゃん、このような良い品、老いぼれの私には勿体ないです。失礼を承知でどうかこのままお持ち帰りください」

「何を仰る、まだまだ現役に見えますよ。その体格、訓練は怠っておられないようですね」

「自衛隊でしごかれた思い出というのは月日が流れても忘れないものです」

「猟も続けてらっしゃるのでしょう」

「狩猟期間中にぼちぼちですよ。まあ獲物に遭遇できれば逃がしはしませんがね」

「それは何よりです。ご健康そうで良かった。お酒をお土産に選んだのは正解でした」

「坊ちゃんにはかないませんなあ。それでは有難く頂きます。……まぁ見た目は健康なのですが、定期健診で癌が見つかりましてな、余命三年と宣告されましたよ」

「それは何といえばよいのか……。お体ご自愛ください」

「お気遣いありがとうございます。ところで、わざわざ北海道まで来られたのは昔話が目的ではないのでしょう」

「わかりますか」

「思いつめた表情をしておられる。老いぼれが聞いて助けになれるとは思えませんが、坊ちゃんの気が晴れるならどうぞお話しください」

 箱守は暫く考え込んだ後、重い口を開いた。

「レイクリスという国はご存知ですか」

「定年退職した老人の楽しみなどニュースを見るぐらいですよ。連日トップニュースになるくらいですからね、もちろん知っています」

「あたかも友好的な関係が築けているように報道がされていますが、実は彼女に脅されているのです。あのロボット兵器に暴れられると首都は一瞬で災禍に巻き込まれるでしょう」

「あのような可憐な少女が?」

「見た目に騙されてはいけません、狡猾こうかつなアイツは傾国の美女です。首相らを篭絡ろうらくし意のままに操ろうとしているのです」

「なるほど、防衛大臣を務める坊ちゃんが思いつめるわけですな」

「私が国のためを思い進言しても、もはや誰も耳を傾けようとはしてくれないのです」

「それはお辛いでしょう」

「彼女を捕縛しようにも離島に身を隠している始末。おいそれとは手が出せないのです」

「最近は貿易のためにちょくちょく来日しているようですが」

「そうなんです! 姿を現している今が絶好の機会なのです。……しかし、取り逃がした後を考えると迂闊うかつな行動はできないのです。そこで西窪にしくぼさんに折り入って――」

「みなまで言わんでください。坊ちゃんの願いは伝わりましたよ。この歳で先代の御恩を返せるのは嬉しいものです。私に任せておいてください。坊ちゃんのため、ひいては日本のために最後のお勤めをさせて頂きます」

 箱守の出した手を西窪はしっかりと握るのだった。


 自衛隊出身者で射撃の腕があり、身寄りもなく、老い先の短い者。

 全て調べ上げたうえでの訪問なのだ。

 箱守は誰かをあやめてくれとは一言もお願いしていない、何かあっても西窪が勘違いしたと言い張るつもりなのだ。

 西窪宅を出た後、箱守はいやらしい笑みを浮かべるのだった。



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 ノミが天白商事を尋ねた日の夜。

 露守沙智恵つゆもりさちえ警部補は自宅アパートでニュース番組を見ていた。

 どの局もノミに関する話題をトップニュースとして扱っている。

 黒塗りの高級車が天白商事へ到着してからノミがビルに入るまでの映像が繰り返し放送されていた。

 何度も同じシーンを見ていた露守は車から降りる男性が気になり始める。




 えっ! もしかしてこの人、京本君?

 サングラスとマスクで見えにくいけどたぶん……。

 次に降りてきたのはTV局を襲撃した犯人よね。

 やっぱり博士と繋がりがあったんだ。

 でも何でボディーガードをしてるのよ。

 秘密を知ったから拉致された?

 ならわざわざ人前には出さないはず。

 彼のほうから連絡できないでしょうから博士がコンタクトを取ったのよね。

 私や砂金いさごさんのことを知っていた口ぶりだったし、彼のことも知っていてあたりまえだわ。

 もしかすると刑事を辞めた原因が自分にあると考えて責任を取ったのかしら。

 あの博士ならありえるかもね。

 それにしたって私に一言ぐらい伝えてもいいでしょうが!

 って、無理よね。あの博士に関係することだし。

 まあ無事が知れただけでも良しとしましょう。

 会えないのは寂しいけどね……。



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 天白商事はレイクリス特需で隆盛を極めていた。

 謝罪会見の場で木や花を輸出することを公言したので、国内はもちろん海外からも商談を希望する植物問屋が絶え間なく連絡を入れてきていた。

 ぬいぐるみも公認となり需要が増え慢性的な人手不足がさらに加速していた。

 そこで社長は社員を増やすことにし、中途採用の募集をかけた。するとまたたくまに応募が集まったのだった。

 そこにはシャニーグループから産業スパイとして送り込まれた杉沢秀一すぎさわひでかずをはじめ、他の企業からの刺客や、アメリカの中央情報局CIAを含めた他国のスパイも紛れ込んでいた。


 杉沢すぎさわは辛うじて採用試験に合格し、総務部に配属された。

 元は企画推進部に所属していたので完全に畑違いだ。しかし主な仕事は電話対応なので何とかこなしている状態だった。



 中途採用で同期となった男性社員と少し離れた定食屋で昼食を取っていた。

 世良田悟せらたさとる。杉沢よりも若く人懐っこい笑顔が印象的だ。

杉沢すぎさわさん前の会社はシャニーグループでしたよね、どうしてお辞めになったんです? 一流企業ですし給与も相当良いでしょう」

「リストラですよ。管理職になれなかった中年男性なんて寄生虫扱いです」

「私もですよ。何だか杉沢さんにはシンパシーをおぼえますね」

「終身雇用伝説はもう瓦解していたんですね。昔は長く勤めることが大事なんて言われてたのに」

「サラリーマンのうち5%しか管理職になれないんですよ。残りは会社のお荷物ですから」

「小学校で教えるべきなんですよ。クラス委員長に選ばれないような奴は管理職にはなれない。生徒会に選ばれないような奴は役員にはなれないってね。社会の縮図とはよく言ったものです」

「そうですね。頭が良いだけの奴は世渡りが下手で出世していませんからね。秀才と言われた同級生が疲れた顔をしているのを同窓会で見かけると悲しくなりますよ」

「突出した技能があれば別なんでしょけどね。何か資格でも取っておけば良かったと後悔してますよ」

「そうそう。文系なんて選ぶんじゃなかったですよ」

「はっはっは、同感です」

「ところで杉沢すぎさわさん。九十九つくもさんの情報はゲットできました?」

「えっ? 何のことです?」

「今更とぼけなくてもいいですよ。シャニーグループに命令されたんでしょ。私も同じですから」

「ホントに?」

「別に隠してないですよ。それに他にも同じ境遇のヤツが何人かいますし。……気づいてない?」

「いや、まったく。そうだったんですか」

「情報が共有出来たら良いと思いコンタクトしたのですが、まさか、まだ何も掴んでいないんですか?」

「今の仕事に慣れるのに精一杯で」

 今まで笑顔で会話していたのに、世良田せらたの表情からスンと笑みが消える。

「はぁ~なるほど、リストラされるわけだ。杉沢すぎさわさん要領悪すぎです。情報さえ入手できたらさっさと辞めるんですから仕事なんて適当でいいんですよ」

「そういう訳にはいかないでしょ」

「真面目で要領の悪い人が一番使えないんですよ。あなたの上司だった人に同情します」

「そこまで言われる筋合いはないと思いますが!」

「こちらもね、正体がバレた後のリスクを侵してあなたに接触したんですよ、それなのに……。もういいです、杉沢すぎさわさんとはチームを組みません、ソロでがんばってくだい」

 男性は千円札を机の上に置くと、さっさと店を出て行ってしまった。

 それを見て、

「お釣りは渡したほうがいいのか?」とマヌケな独り言を呟いたのだった。



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 電子メールが普及しても紙の郵便物はまだ配達されるのだ。

 社外からの郵便物は総務部に届けられたあと社員の手で各部署に配られる。配達作業は部署の名前と場所を覚える意味も含め、もっぱら新人の仕事になっていた。

 杉沢すぎさわは中年だが扱いは新人だ。両手に封筒をかかえ天白商事の本社ビルを一階から順に廻り配達していた。


 まるで少年漫画の主人公のように、曲がり角で女性にぶつかる。手に持っていた封筒は廊下に散乱し、尻餅をついてしまう。

「大丈夫ですか?」

 愛玩動物系美少女の小井戸沙来こいどさきが心配そうに見下ろしていた。

 杉沢のほうが頭一つ背が高いのになぜ彼女は倒れないだろうと、その時は気づかなかった。それは彼女の可愛さに見とれていたからだ。

「だ、大丈夫です」

 小井戸は散乱した封筒を拾ってくれている。

「ありがとうございます」

「いいえ、こちらこそ不注意でした、ごめんなさい」

 拾い終えた小井戸は封筒を彼に渡し、

「では」と、軽く会釈をして近くの会議室へ向かう。

 思春期男子のように美少女を目で追ってしまう。

 会議室の扉は開いており、そこへ小井戸が入ると扉が閉められた。

 そこで彼は――おや?――と疑問を覚える。

 会議室に誰もいないのは、前を通り過ぎるときに見たので知っていた。それなのになぜ彼女は扉を閉めたのだろう。

 会議出席者の最後の人が閉めるのならわかるし、前の会社ではそれが普通だった。もちろんマナーなんていうのは会社ごとに違っても不思議ではない。しかし何となく違和感があるのだ。

 彼は会議室の扉の前まで移動すると聞き耳を立て中の様子を伺う。

「透明になれるなんて不思議すぎます。屋上で待ってて欲しいと言われた時は何の冗談なんだろうって思いましたよ」

「フフッ、これは二人だけの秘密ですよ」

「はい。部長にも九十九さんの件は極秘扱いと念を押されていますから誰にも話しません」

「恋人にも話してはダメですよ~」

「今はいません」

「あら、別れたの?」

「私はそのつもりなんですけどね、相手が諦めてくれなくて」

「小井戸ちゃんは可愛いから仕方ないね」

「なに言ってるんですか、九十九さんのほうが可愛いですよ~」

「九十九さん、だなんて他人行儀ですよ。ノミと呼び捨てにしてとお願いしてるのに」

「とんでもないです! あなたは女王様なんですから」

「国民のいない国の女王なんて肩書、なんの価値も威厳もありはしないのに、皆さん変に拘るんだから」

「それでも、この地球上でもっとも私有地が広い人は九十九さんなんですから」

「それはそうなんだけどね。小井戸ちゃん少しいる?」

「いりませんよ! 冗談でも言わないでください!!」

「本気なんだけどな~。好きに使っていいわよ、東京ぐらいの広さはどう?」

「結構です。さあ打ち合わせを始めましょう」

 杉沢は人の気配を感じ会議室から離れた。




 あの可愛い子は小井戸と言うのか、覚えておこう。

 まさか彼女が連絡係だったとは。

 久下ひさか部長に教えるか……いや、まだ早いな、裏付けしてからだ。

 彼氏はいないと言っていたな。

 夜の帝王と言われた俺の超絶テクニックを披露してやろう。

 彼女にした後でじっくりと連絡手段を聞き出せばいい。




 薄気味悪い笑みを浮かべながら廊下を歩く。

 すれ違った社員はいぶかしげな視線を彼に向ける。

 だがそんな視線など気にならないほど小井戸を篭絡した後の妄想が捗っていた。

 何年も使っていないテクニックなど錆びて朽ち果てているとは思いもしない杉沢は小井戸を彼女にするべく行動を開始したのだった。



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 ビルの屋上に黒い影。

 京本宣裕きょうもとのぶひろ鹿熊彩由美かくまあゆみだ。

 鍛えている京本の肉体は、まるでギリシャ彫刻のように筋肉の起伏が激しい。

 ダイエットに気を付けている鹿熊もグラビアアイドルのようなメリハリのある体形。

 しかし、例の黒いスーツに身を包んでいるので体の凹凸は見えず、空間に穴が開いたように見える。


 オフィス荒らしを捕まえガムテープで拘束した後、屋上へ移動した二人。

『九十九さんオフィス荒らしを拘束しました、これから戻ります』

『お疲れ様です』

「さあ帰ろうか」

「ねぇ、どうして正義の味方になりたいの?」

 鹿熊は隣にいる京本に質問した。

「突然どうしたの」

「こんな地味な仕事、どうしてやりたがるのか気になって」

 フルフェイスのヘルメットを二人は被っているので互いに表情は見えない。

「……憧れ、かな」

「アニメや特撮の影響?」

「いや、警察官だよ」

「えっ? ならどうして辞めたのよ」

「理想と現実のギャップかな」

「な~んだ、ツマラナイ」

 京本を誘惑ゆうわくするつもりなら、嘘でもお世辞を言うのが正解だろう。しかし鹿熊は男性に気を使うことができない。これがモテない理由だ。

「男はね、一度仕事を決めたら死ぬまでやり通さないとダメよ」

「そうだね、その通りだと思うよ」

 京本も優しすぎる性格から、相手の主張を否定することが殆どない。それは女性からすると頼りなく感じるのだ。

「あなたほんとうに成人男性? まるで子供と話をしているようだわ」

「情けないと言われたことは何度かあるけど、子供みたいは初めてだよ」

 鹿熊は深いため息をつく。

「復讐者リストのトップにあのゴリラ女が刻まれているの、だからあなたをとりこにして嫌がらせしてやろうと考えた。けどやめるわ、あなたを奪ってもゴリラ女が悔しがる姿が想像できないんだもの」

「そうかもしれない。彼女は僕のことを何とも思ってないだろうからね」

「ほらまた。酷いこと言われたんだから少しは怒りなさいよ」

「事実だからね、仕方ないよ」

 鹿熊はさらに深いため息をつく。

「もういいわ、帰りましょ」

 京本は――どうして僕のまわりには気の強い女性が多いのだろう――と考えていた。

 自分の言動が女性をイラつかせているとは想像できないようだ。

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