第16話 月夜の晩

 刑事部捜査第一課の京本宣裕きょうもとのぶひろが上司に呼ばれる。

 話を聞くと、夜間の巡回パトロールをしていた警察官が不審人物を発見。職務質問と所持品のチェックを実施。包丁を隠し持っていたため現行犯逮捕。一晩拘留したらしい。

 そこで彼に事情聴取をして来いとの命令が下ったのだ。


 薄鼠色の取調室。

 会話を記録する係官と、もう一人刑事が同席する。

 椅子には女性が座っていた。

 寝ぐせの付いた髪。焦点のあっていない瞳。痩せこけた頬。目の下に酷いくま。何日も風呂に入っていないのだろう体臭もかなり匂う。

 京本は嫌な顔もせず机を挟み正面に座る。


「こんにちは、僕は京本だ。少し質問をさせてもらうよ」

 彼女は無反応だった。

「名前を聞いてもいいかな?」

 無反応。

「昨晩の二時、どこへ行く予定だったのかな?」

 無反応。

「包丁を持っていたようだけど、何をするつもりだったのかな?」

 無反応。

 普通の刑事ならもう切れている。しかし熊のような体格のわりに京本は気が長い。

「辛かったねぇ、誰かに恨みでもあるのかな?」

 ぴくっと反応する。それを彼は見逃さなかった。

「嫌だよねぇ、相手は楽しく暮らしているのに、どうして自分はこんな思いをするのかってね」

 女性は奥歯を噛みしめ、眉間にシワを寄せる。

 京本はゆっくりとした口調になり、探るように言葉を投げかける。

「暖かい家庭かな……。かっこいい男性かな……。それとも恋のライバルかな……。何か盗まれたのかな」

 『盗む』がキーワードのようだ。

「あいつは、あいつは私から奪ったんだ」

「奪う? 何を奪われたんだい?」

「力よ! だれにも負けない力!! 夢が叶えられると思ったのにっ!!!」

「力? ……権力かな?」

「あのスーツは素晴らしかった、生まれ変わった気がした、やっと、やっと復讐できる、そう思ったのに」

「復讐? いったい誰に?」

「この世の――」

 彼女は話しの途中で気絶してしまった。

 搬送先の病院で診察したところ極度の栄養失調らしいので入院することになった。

 そう、彼女は変身スーツを受け取った鹿熊彩由美かくまあゆみなのだ。



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 警察署にあるいつもの休憩スペース。

「――ということがあったんだ」

 京本は事情聴取で得た情報を露守つゆもりに教えていた。

「力とスーツね……。それってやっぱり」

「ああ、TV局の襲撃犯じゃないかと僕は睨んでいる」

「博士はスーツの力で善行をさせようとしたけど、暴走したので取り上げたってことかしら」

「そう考えると辻褄があう」

「美人が憎いって叫んでたわよね、私も狙われるかも」

「その心配はないとおもうが」

「焼肉オゴリね」

「まあ、それはいいとして。問題は博士の罪状だ、いったい何になる?」

「TV局襲撃を命令したのなら主犯よね。でも予想としては逆。共犯ですらない」

「共謀罪が適用できるかもしれないが立証はむずかしいだろうな」

「ねえ、私たちは博士を逮捕したいのかな?」

「今更なにを?」

「空き巣犯を縛ったから暴行罪、許可なく忍び込んだから家宅侵入罪、理由は後付けできるわ。でも犯罪者かと問われると返事に困るわよね」

「罪は罪だろ。刑事が私情を持ち出してはダメだ」

「でも現行犯なら私人逮捕できるわよね。すくなくとも空き巣に対しては条件に該当する。酒田がね、被疑者はサイコキラーで犯人に対する暴行がエスカレートするって熱弁してたの。私はその可能性を否定できなかった。だから被疑者の暴走を止めたかった。でも被疑者が私の考えるような人格者ならその心配はないのかなって。純粋な正義の味方ごっこなら黙って見ていてもいいかなって思うわ」

「君は懐が広いね。あらためて惚れ直しそうだよ」

「えっ?!」

「僕も少し考えてみるよ。警察とはいったい何をするべきなのか、ね」



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 夜の病院。

 ベッドに寝ている鹿熊彩由美かくまあゆみは安らかな寝息をたてていた。

 電気は消えており、窓から差し込む月明りが病室を照らしている。

 個室なのでとても静かだ。


 カラリ、カラリ、とゆっくりと窓が開かれる。

 全身黒タイツのノミが音もなく病室へ入ると、

「こんばんは」

 ベッドの影から露守があらわれた。

「こんばんは、露守警部補」

 変声機で声は変えてある。ノミでも久崎でも赤スーツでもなく別の新しい声だ。

「やっぱり知っていたんですね」

「やっぱり?」

「知人が盗聴器ぐらいあるんじゃないかってね」

「ああ、砂金いさご研究員ですか」

「そこまでご存知なんですね」

 盗聴器があるかもしれないと言い出したのは京本だが、あえて否定はしなかった。

「どうして私が来ると? そんな会話はしていませんでしたけど」

「筆談したんですよ。あなたに繋がる手がかりはこの女性だけですから念には念を入れてね」

「なるほど、それは気がつかなかったわ」

「この女性をどうするつもりですか?」

「こんな状態になっているとは知らなかった。すべて私のミスです。私が責任をもって介抱します」

「体のケアならこの病院でもできます」

 時が止まったように二人は動かない。

 ノミ(久崎)は暫く考えた後、

「そうですね、私の出る幕ではないのかもしれない。彼女をよろしくお願いします」

「待ちなさいよ」

 ベッドで寝ていた鹿熊彩由美かくまあゆみがゆっくりと体をおこす。

「よく私の前に顔を出せたわね……顔見えないわね」

 可視光域全反射率の低いボディースーツなので顔の凹凸すら見えない。

「合わせる顔が無いわ」

「そんな冗談いらないわ。よくも私から力を奪ったわね」

「あなたの力じゃない、貸し与えた力よ。正義のために活動して欲しいとお願いしたはずよ」

「あれは私の正義だわ」

「そうね、それが私のミス。私の正義とあなたの正義は同じではなかった。そこに考えが及ばなかった。ごめんなさい」

 深々と頭を下げる。

「謝らないで……私が惨めになる。なぜよ、私なんてほっとけばいいのに」

「自分の犯した罪は責任をもって償う、これは社会人として当然だ」

 同じ声なのに話し方が微妙に変化する。微かな違和感に露守と鹿熊は気づかない。

「あなた十代よね、なにが社会人よ、大人をからかうんじゃないわ」

「見た目なんて器でしかない。入れ物と中身の価値は違う。それは君が一番理解していただろう。外見に執着するのはいい、だがあなたが他人を外見で区別するのなら、それは傲慢だ、正義じゃない」

「そんなの……そんなの言われなくたって知ってたわ。でも認めたくない、認めてしまったら私をさげすんだ男たちと同じだもの。私だって女よ、男性に甘やかされたいわよ……」

「君を慰めない。君を好きになる男性がどこかに必ずいるなんて、そんな口当たりのいい言葉は意味がない。甘やかされたいだと? 男性と女性は対等だ。まずは君がブサイクな男性と付き合ってみろよ」

「嫌よ! なんで私がブサイクな男と付き合わないといけないのよ」

「なるほどね、ツマラナイ理由なんだってわかったわ」

 露守は鼻をフンと鳴らし鹿熊を見る。

「あなた、美人が憎いって言ってたけど酷くないじゃない。まあ目のクマは酷いけど。おおかたモテない理由を顔のせいにしたんでしょ。甘ったれるな」

「露守さんキッツイわ~」

「美人にこの気持ちわからないわ」

「やっぱり私って美人よね」

「アナタは普通よ。自惚れるな」

「鹿熊さんもキッツイわ~」

「うるさい!!」×2。二人に怒られる。

「男なんて便所のタワシよ、いなくても生きていける」

「それでも男性と付き合いたいの」

「なら妥協しなさい。アナタの顔でも良いって言う酔狂な男にね」

「あなた、私の復讐者リストのトップに名前書いといてあげるわ」

「いつでも来いや。そんな鶏ガラみたいな細い体で私が倒せるならね」

 柔道有段者の露守が拳を前に突き出す。

 肉弾戦ではかなわないと悟ると矛先をノミに移す。

「ちょっとアナタ、私を介抱するって言ってたわよね」

「もう不要じゃないかな、十分元気だ」

「社会人なんでしょ、責任取りなさいよ」

「いいだろう、露守さんを倒せるぐらい鍛えてあげよう」

「とっとと出ていけ」

「言われなくても」

 黒タイツの不審者は鹿熊を軽々とお姫様抱っこすると、開いている窓から夜空へと飛び去って行った。

 病室の入口が開く。

「ごめんね、私の勝手をして」

「俺は何も見てません。でも握手はしたかった……」と、酒田は遠い夜空を見上げノミの姿を探す。

「君がそれで良いなら僕は何も言わないよ」と、京本は露守の頭を軽くなでる。

「ありがとう」

「男は便所のタワシか……。焼肉のおごりはなしだな」



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「ど、う、し、て、逃がしたのかね?」

 いつもの休憩コーナーで砂金いさご研究員がご立腹しておられた。

「いやぁ~」と、笑って誤魔化そうとする露守警部補。

「私のお膳立てを無駄にして~」

「さすがは砂金さんですよ。見事な囮捜査でした」

「おおかたこの会話も聞いているのだろうね。そうだよね博士!」

「その件なんですが、黒タイツの不審者は自分が博士だとは名乗っていないんですよ。黒タイツと赤スーツが同一人物で青スーツが鹿熊彩由美かくまあゆみなのは、まあ確定に近いかも」

「あんな高性能なスーツを作れる者が何人もいてたまりますか」

「ごもっとも」

「私は研究畑の人間だ。結果よりも過程に重きを置いている。なぜ黒タイツを逃がしたのか理由が聞きたいね」

 露守はふぅと息を漏らした後、どこか遠くを眺めているような表情になる。

「警察の仕事は市民の命と財産を守ることだと思います。黒タイツもやっていることは同じです」

「警察の真似事がしたければ警察官になればいいよね」

「捜査第三課は窃盗事件を担当しています。現行犯逮捕など殆どありません。証拠を集め、逮捕状を請求し、ようやく逮捕できる。ご存知のとおり他の犯罪に比べ検挙率はかんばしくありません。不審者を早期発見するために街灯カメラを増やそうとすればプライバシーの侵害だと騒がれ。パトロールを増やせば市民が怯えると叱られる。聞き込み捜査をすれば嫌な顔をされる。そんな警察官になれと?」

「露守君は警察の仕事が嫌なのかね」

「嫌いじゃありませんよ。たまに愚痴をこぼしたくなりますが」

「もしや検挙率を上げるために黒タイツを利用する気かね?」

「利用じゃないですよ、協力してもらうんです」

「黒タイツが犯人に怪我を負わせたらどうするつもりだね。警察官でなければ暴行罪だ」

「それは違います。警察の肩書が暴行を許可する免罪符であってはならないのです。けれど、暴れる犯人を無傷で逮捕するなんて素手じゃ無理なんですよ。だからこそ力が必要なんです」

「君らには拳銃という力が与えられているじゃないか」

「撃たせてはもらえませんけどね。拳銃は抑止力ですが、正気を失った犯人はお構いなしに攻撃してきます。拳銃は身を守る武器にすらならなりません」

「それは……そうだが」

「空き巣犯は怪我を負わされずガムテープで縛られていました。銀行強盗のように殴り倒すこともできたはずです」

「黒タイツは力に溺れず適切な対応をしていると言いたいんだね」

「そうです」

「なるほど、露守君の考えはよく理解できた。賛同はできないが、見て見ぬふりならできるよ。それで、これからどうする気だね。まだ黒タイツを追い続けるのかい?」

「いいえ、他にも未解決の事案が溜まっていますから」

「憑き物が落ちたようにスッキリした表情しちゃって」

「ええ。ファントムの正体は見えたので」

 露守が満面の笑みを浮かべる。

「京本君、辞表を出したんだろ」

「鹿熊を逃がした責任を取ると言って……。私が書いた辞表を破いて、先に自分のを出すんですからズルい男です」

「バカだなあ」

「でも優しい人です」

「露守さ~ん、事件です」と、遠くから酒田が呼んでいる。

「それじゃ」

「ああ、頑張って」

 露守は軽い足取りで捜査へ向かうのだった。



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 昼の公園。子供を遊具で遊ばせながら談話している母親が何人かいた。

 ベンチには熊のような体格をした優しい顔の男が座っている。

 無職の京本宣裕きょうもとのぶひろだ。




 初めてだな、昼の公園でのんびり日向ぼっこをするのは。

 刑事になってから初めてじゃないかな。

 非番の日も、いつ呼び出されてもいいように待機してたし。

 生活の全てを刑事の仕事に費やした。

 後悔はしていない。

 犯罪者を捕まえれば平和になる、そう信じていた。

 でも次から次へと犯罪者は生まれる。

 永遠にもぐら叩きを続けている心境。

 僕は疲れたんだ……。

 牧嶋まきしまキャスターの言葉に何の反論もできなかった。

 一生懸命職務を全うしていたのに、いったい何を守れたんだろう……。

 露守の辞表を破いたのは彼女のためじゃない、辞めるタイミングに彼女を利用したんだ。

 いいだろう、最後くらいカッコつけたかったんだよ。

 ……僕は誰に言い訳しているんだ?。




 母親たちがチラチラと京本を見ている。

「もしかして不審者と思われてる? ハハッ、警察手帳がないだけでこんなに心細いとは。通報されたら同僚に捕まるんだろうか、それは情けないな~」

「一人で漫才ですか?」

 帽子を深くかぶった美少女が話しかけてきた。

「まさか君から声をかけられるなんて」

「警察、お辞めになったのでしょ? 私のせいですよね」

 神妙な表情をしているノミ。

「なるほど、責任を感じて様子を見に来てくれたんだね。ありがとう。君のせいじゃないよ、もともと僕に警察の仕事は向いていなかったんだ」

「警察官になろうとした理由を聞いても?」

「たいした理由じゃないよ。交番の警察官がね、お婆さんに何度もありがとうって言われて照れているのを見たんだ。それが凄く格好良くて、羨ましくて、僕も誰かに感謝される人になりたい、そう思ったんだ。幼稚な理由だろ」

「いいえ、素敵な理由です」

「僕も聞きたいことがあったんだ。どうして犯罪者を捕まえるようなまねをしてるんだい?」

「神様に気に入られるためです」

「冗談だよね?」

「おかしいでしょ? でも本気なんです」

「警察官になればいいじゃないか」

「犯罪者を捕まえたいのではなく、困っている人を助けたいんですよ。警察官にそれは無理でしょ」

 彼は牧嶋まきしまキャスターの言葉を思い出し胸がチクリと傷む。

「法律を作ったのは神様じゃないんですよ。命と財産を守るため人間が考え出したルールです。そのルールが複雑に絡み合い身動きが取れなくて苦しんでいたのではなくて?」

「そうだね……その通りだ。僕は法律を守る模範的な警察官だったけど、市民に感謝されたことは一度もない……」

 彼は下を向き苦悶の表情を浮かべる。

「僕も……僕も……困っている人を助けたい……。誰かに感謝されたい……。誰かに必要とされたい……」

「クックックック。弱っている者の心とは何とはかなもろい物なのか。今ここで『力が欲しいか?』とささやけば飛びついてくるだろう」

 まるで悪魔のようにいやらしい笑みでせせら笑うノミ。

 彼は顔を上げ、驚いた表情をしている。

「ど、どうしたんですか?」

「いやぁ~シリアスな雰囲気に耐えられなくて」と、元の表情に戻ると、

「泣き出しそうになるんだもの、焦るわ~。でも安心、私が原因じゃないのなら責任取らなくて良さそうね。じゃ、そろそろ失礼します、元気出してね」

 ノミは手を振りながら立ち去ろうとすると。

「待ってください! 力が欲しいです!」

 ノミは振り返ると彼に冷たい視線をおくる。

鹿熊彩由美かくまあゆみさんのように廃人になりたいの?」

「彼女はあなたの意にそぐわない行動をしたからスーツを取り上げられたんですよね。僕は違います! 僕の望みは困っている人を助けること、それはあなたの理想と同じはずだ!」

「そうかもしれないけど……」

「僕が警察官を辞めたのはアナタの責任だ! 鹿熊かくまを逃がした責任を取ったんだ。アナタも僕を助ける責任がある!!」

「うわぁ~それは卑怯だわ」

「お願いします!!」

 彼は立ち上がると深々とお辞儀をする。

「後戻りできないわよ? や~めたっとはいかないからね?」

「もしあなたの意にそぐわない行動を僕がしたのなら、宇宙の彼方へ飛ばしてください」

 ノミは久崎が怒るだろうなと思いつつ。

「いいわ、社会人として責任はとらないとね」と、彼の申し出を了承したのだった。

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