第3話 疑惑
刑事部捜査第三課。
警察署といっても企業のオフィスと何ら変わりはない。机の上に拳銃が置いてあるなんて物騒な光景は漫画の世界だ。
殆どの刑事は捜査のため外出しており、広いオフィスに並ぶ机は空席ばかりだ。
「
そう呼ばれたのは
アイロンされ綺麗な折り目が際立つ濃いグレーのパンツスーツに身を包む女傑で、捜査の邪魔にならないよう髪はベリーショートにカットされ、太い眉毛と眉間のシワ、お世辞にもか弱い女性とは言えない容姿をしている。
椅子の背もたれをギシギシと鳴らしながら彼女は事情聴取の書類に目を通していた。
空き巣の通報を受け現場へ急行した警官が書いたもので、犯人がガムテープでぐるぐる巻きにされカーペットの上に転がされていたと記載されている。
「空き巣に失敗して捕まったバカでしょ」と吐き捨てるように言い放つと書類を机の上に放り投げた。
「それはそうなんですが、これと同様の現場が今月に入って3件目です、異常じゃないですか?」
彼女と行動を共にする部下の
巡査部長に昇進したばかりで若々しく仕事への熱意が伝わってくるようだ。
女性の
「落ち着きなさいよ」
「刑事になって事件らしい事件に初めて遭遇したんですよ、高揚するじゃぁありませんか!」
「アナタねぇ~ドラマの見過ぎよ」
「ドラマの主人公に憧れて刑事になったんですよ、悪いですか?」
「悪くはないけど良くもないわよ、我々三課の職務は空き巣やひったくりの撲滅であってヒーローになることじゃないわ」
「もちろん職務は全うします! ですが俺の体を駆け巡る熱い血潮が沸騰しそうなんです!」
「若いわねぇ~。まあ嫌いじゃないよ、冷めたヤツよりかは遥かに期待できる」
「あざっす! そ~いう露守さんが刑事になった動機は何です?」
「私? 特別な理由なんてないわよ。柔道が好きだから生かせる仕事を探しただけ。オリンピックに出るほど強くはないし、趣味にするのも味気ないかなってね。つまらない理由でしょ」
「じゃあ正義感とかは無いんですか?」
「犯罪者を捕まえる仕事をしてるだけ。正義なんて曖昧なものに縛られていないわ」
「曖昧ですか?」
「人の数だけ正義がある。それぞれが好き勝手に正義を唱えると混乱が生じる。だから法律というルールを決めた」
「なら、この空き巣犯を縛ったヤツは犯罪者ですよね。深夜町を徘徊し、怪しいヤツを尾行し、民家へ不法侵入し、暴行しているんです。犯罪の数え役満です!」
「そぉ? 逮捕協力していると言えなくもないわ」
「露守さんは真犯人の肩をもつんですか?」
「まってまって、話を大きくするんじゃあない。真犯人って何よ、まだ犯罪と言える段階じゃないでしょ」
「俺にはわかるんです。自称正義マンなんですよコイツは! 己こそが正しいと疑わず、悪に対し過剰反応する。今は縛る程度ですが次第にエスカレートするんだ。犯罪者を容赦なく血祭にし、制裁に美を追い求め、終いには電柱に逆さ貼り付けにするんだ。そして血文字でこう書くんです『我はファントム、世の悪を刈る者なり』ってね!!」
「君の見ていたドラマはサイコホラー系なんだな。ちなみに主人公はどうなったの?」
「もちろん殉職ですよ!」
「なぜ目を輝かせてるのよ、憧れるポイントがズレてるでしょ。死にたがりの部下なんていらないんだけど!」
「一人では死にません犯人を道連れにしてやります。二階級特進したら露守さんより階級が上になりますね」
「楽して階級上げようとするんじゃない!」
「空き巣犯を縛った容疑者じゃ呼びづらいし長いですから、便宜上ファントムと呼びましょうよ。コードネーム付きの犯人、ドラマの定番です!」
「はぁ~……まあいいわ、それで酒田君のやる気が出るのなら。とりあえず現場付近の聞き込みに行くわよ」
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
聞き込みを終えて警察署に戻った露守と酒田は休憩コーナーで缶コーヒーを飲んでいた。
自販機が数台。
柔らかく座り心地の良い長椅子は詰めれば4人は座れる。
プラスチック製の観葉植物は少なからず心の癒しを与えている。
喫煙室は別にあるので休憩コーナーに灰皿は用意されていない。
人の往来が少ない場所にあるので疲れた刑事の憩いの場になっていた。
「めぼしい情報はなし、か……」と、缶コーヒーを揺らしながら露守がため息を漏らす。
「争った音が聞こえなかったなんて信じられますか? 3件ともですよ。深夜だろうと気づきますよ普通」
「よほど手際が良いんでしょうね」
「鑑識も首を捻ってました。現場に残された足跡と指紋は空き巣犯だけらしいです。ファントムは手袋をしていたようでガムテープにも指紋はなし。これ突発的な犯行じゃないですね。気配を消して背後から忍び寄り一瞬で拘束する……。まさかプロの暗殺者」
「なによ暗殺者って、犯人は生きてるでしょ」
「でも一般人には無理ですよね、少なくとも俺には無理です」
「酒田君は華奢だからね」
「あ、バカにしてますね、これでも柔道初段です」
「それ警察学校の最低ラインじゃない」
「苦労しました。居残り特訓させられて」
「よくそれで卒業できたわね」
「刑事としての潜在能力に気付いたんでしょうね」
「人手不足だったのかしら」
「酷いですよ~」
「まあ、酒田君の言うとおり格闘技や逮捕術に精通していると思うわ。該当しそうな不審者がいないか夜間パトロールに警戒してもらうよう通達しないとね」
「おっ露守、ここにいたか」
声をかけてきたのは露守の同期で捜査第一課の
熊のような体躯をしているが顔は純真無垢な子供のよう。
虫も殺せぬほどの優しい性格で同僚には仏の京本と呼ばれている。
それなのに柔道は日本代表の強化選手に選ばれるほどの腕前なのだ。
「どしたの? 最近そちらに関係する事案はなかったと思うけど」
捜査第一課は凶悪犯罪、捜査第三課は窃盗事件を担当している。
窃盗犯が被害者を傷つけた場合は第一課の担当になるため割と課の間で情報が共有されているのだ。
「まあ聞いてくれよ。ひと月ほど前、コンビニの前で喧嘩があったんだが、通報を受けて現場に到着した時にはもう双方逃げた後でね。よくある事なので一応コンビニの監視カメラの映像をもらっておいたんだ。片方は近所に住む半グレで逮捕歴はないが何度か職務質問をした覚えがあるヤツだった。相手は若い小柄な女性で、とても半グレに勝てるような体格じゃないんだよ」
「外見は関係ないわ、私みたいに可憐でも強い女は大勢いる」
「えっ?」×2。
冗談のつもりで言ったのに男二人が真顔で反応したので
「いいから話を続けなさい」と、露守は口を尖らせてしまった。
「その女性を顔認証システムで検索すると市内の街灯カメラに数回映っているのが確認できた。その場所なんだが最近空き巣犯が不審な姿で捕らえられた現場に近いんだよ」
「へぇ~それは気になるわね。で、そいつは誰なのよ」
京本はスーツの内ポケットから一枚の写真を取り出し露守に渡す。
そこにはノミと瓜二つの女性が写っていた。
「
「は?」
「十三年前に交通事故で亡くなってるんだよ。顔認証システムに登録されていた事故被害者の生前写真に一致したんだ」
「いやいやいやいや、まさか幽霊だって言うの?」
「コードネームにぴったりですね!」と、ドヤ顔をする酒田。
「コードネーム?」
「空き巣犯を縛った容疑者を便宜上ファントムって呼んでいるだけよ。それにしたって幽霊なんて非現実的過ぎない?」
「俺だって信じちゃいないさ。顔認証システムはあくまで捜査の補助に過ぎない。画質も悪いし同一人物を表す指数も七十%だから高い値じゃない」
「ならどうしてこの話を聞かせたのよ」
「傷害事件としては被害を訴える者がいないため捜査は打ち切られた。だから一課はこれ以上手出しできないんだ。これは感なんだが何か嫌な予感がするんだよ」
「へぇ~京本君がそんなこと言うなんて珍しい。いいわ、こちらも手詰まりだったからこの娘の線で調べてみるわ」
「助かるよ、今度何か奢るからさ」
「さっきの態度、忘れてないからね。財布を空にしてあげるわ」
「怖っ!!」
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露守と酒田は
酒田がパソコンを操作し、背後から露守が見ていた。
藍川は他県で生まれ育ち、高校、大学も地元。
娘一人の三人家族で、同乗していた両親と共に交通事故で死亡。
親戚に女児はおらず藍川と似た者はいない。
「親類縁者の誰かじゃないかなと思ってたけどアテが外れたわ」
「しかしこの子、凄っごく可愛いですよね。アイドルになったら売れただろうな~。俺めっちゃ好みです」
「酒田君の趣味は聞いてない。捜査に集中しなさ……。そうね確かに目を引く容姿だわ。こんな子が学校にいればさぞかし有名でしょうね」
「片思いしていた男子生徒は多かったんじゃないですかね」
「青春時代に憧れた女性に変装して深夜出歩く性癖ね……」
「そんな変態が偶然空き巣に出くわして退治? まさかぁ~」
「性癖の種類は人間の数と同じである」
「誰の言葉ですか?」
「私よ。今まで数えきれないほどの特殊性癖の変態を捕まえたわ。女性の靴下だけを盗む下着ドロとかね」
「なるほど、覚えておきます。ちなみに俺は下着には興奮しません」
「はいはい君はノーマルよ、同僚が下着ドロにならなくて安心だわ。検索範囲を広げましょう、彼女が在学中の生徒が近くに住んでいないか調べて」
「はい」
データベースを検索する。生前の近隣住民、半年だけ在学した大学、中学・高校時代の教師や同級生をピックアップ。
「露守さんいましたよ! 彼女の高校時代、一つ上の学年にいた男子生徒が現場近くに住んでいます。
酒田は久崎の写真とデータベースの情報を印刷する。
もちろん関係者だけで数千人いるわけで、偶然この町に住んでいる者がいても何ら不思議ではない。それは警察も十分理解している。
露守は印刷された紙に目を通す。
「犯罪歴、逮捕歴、交通違反すらなし。真っ白ね」
「かえって怪しいですね」
「バカッ、ドラマ脳は捨てなさい、普通の市民よ」
「どうします? 逮捕状請求しますか?」
「落ちつきなさい。まずは藍川の写真を見せて反応を探りましょう」
「警察にマークされていると知らせるんですか?」
「泥棒を捕まえる行為を止めれくれるならそれでいいの。ファントムを捕まえる必要はないわ」
「え~捕まえないんですか?」
「酒田君が言うようにエスカレートして犯人を逆さ吊りにしたら、その時は改めて逮捕すればいいのよ」
「頑張れファントム!」
「なんで応援してるのよ!」
「俺の殉職ストーリーを実現するためです」
露守は深い溜息をもらすのだった。
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覆面パトカーで久崎の住むマンションへ到着した露守と酒田。
各階に二部屋ずつの七階建てで久崎は最上階だ。
久崎はそれなりの稼ぎがあるのでマンションも相応の物件だ。
酒田は一階のエントランスで久崎の部屋番号を入力しインターホンで呼び出す。
「はい」
「警察ですが不審者がうろついていると通報を受けて聞き込みをしております」
「見てませんよ」と、愛想のない返事が聞こえたかと思うとすぐにブツッと接続が切れてしまう。
「久崎さん? 久崎さん!! ……切れましたね」
「あーもうっ、だから最近の聞き込みは嫌なのよ。私が代るわ」
露守に交代し再び久崎を呼び出す。
「まだ何か?」
「お顔を拝見しつつ詳細をお伺いさせてください。忙しい所申し訳ありませんが捜査にご協力お願いします」
「こちらからは顔が見えていますので問題ありませんよ、どうぞ質問してください」
「いえ、久崎さんのお顔を拝見させて頂きたいのです」
「俺の顔なんて見ても得るものなんてありま……あれ? もしかして俺が疑われているのかな」
「いえ! そんなことはありませんよ」
「事情はわかりました、ヘタに追い返すと逮捕状持参で来そうですね、どうぞ上がってきてください」
カチャリとエレベーターホールへ続くドアのロックが外れる音がする。
二人はエレベーターに乗り最上階へ移動する。
「なかなか癖の強い人ですね」
「そうね、これでは写真を見せても期待した反応は見れそうにないわ」
「怪しい……ですよね」
「あの応対だけでは判断できないわ、気難しい人はどこにでもいるもの」
「もし彼が犯人だとしても、この移動時間で証拠を隠せますよね」
「防犯システムのオートロックが捜査の足枷になるなんて、あー嫌になるわ」
「オートロックと犯罪発生率に因果関係はないみたいですね」
「あたりまえよ、玄関の鍵を開けるよりも窓ガラスを割るほうが楽に侵入できるんだから。わざわざオートロックの扉を通って侵入する犯罪者なんていないわ。ドライバーで割れないガラスに取り替えるほうがよっぽど防犯になるわよ」
露守がプンスコと怒っているとエレベーターが最上階へ到着する。
エレベーターを降りると左右に玄関ドア。
表札はないので部屋番号で確認しチャイムを鳴らす。
カチャリと鍵の開く音がするとドアが開く。
久崎はポロシャツと脛丈の綿パンというラフな格好。休日の昼過ぎなので部屋着としてはいたって普通だ。
インターホンの声は不機嫌そうだったが、今のところその様子はなく無感情だ。
「ご苦労様です。で、いったい何の容疑なんですか?」
「いえ、ほんとうに確認だけなんですよ。この人に見覚えはありませんか?」
「懐かしいですね高校時代学校のアイドルだった子ですよ」と笑顔で応えた。
「お知り合いですか?」
「まさか、高嶺の花ですよ、俺なんかが話しかけられる存在じゃありません。彼女がどうかしたんですか?」
「この付近で見かけたと連絡が入りまして」
「へぇ~、彼女この近くに住んでたんですね」
「ご存じない? 藍川さん亡くなられていますよ」
「えっ?!」
久崎は写真から目をはなし驚いた表情で露守を見る。冗談を言っているようには見えない。
「まさか事件の被害者なんですか?」
「交通事故です」
「それは、何と言っていいやら……ん? 不審者の確認に来たんですよね? 交通事故? 何の関係が?」
「亡くなられたのは十三年前、ですが見かけたのはごく最近なの」
彼は険しい顔になり、
「オカルト話につきあうほど暇じゃありませんが」と不機嫌さをあらわにし、写真を露守に突き返す。
「失礼、私も他人の空似と考えています。ですが写真を見た久崎さんが一目で藍川さんと判断できたところを見ると、どうも似ているレベルを超えていそうですね」
「十年以上前の記憶なんてアテになりませんよ」
「いえ、たいへん参考になりました。何か気づいたことがあれば署までご連絡ください、では」
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マンションを後にした二人は覆面パトカーへ乗り込む。運転は酒田の役割だ。
「ヤツは怪しいと思いますよ」
「そう? どのあたり?」
「一般人なら警察が来れば緊張するもんです、なのにヤツは平然としてました。来ることを予測していたような態度です。それと玄関にスニーカーがありました、あのサイズは女性ものです。ヤツは独身ですから不自然です」
「なるほど、ね」
酒田の分析は先入観と偏見が含まれており正しい判断とは言い切れないと露守は理解しているが、あえて否定しないし肯定もしない。捜査に近道はない、どのような手順を踏もうと犯人を捕まえられれば良いのだから。
「もしスニーカーが
「あっ!」
「考えられるケースは3つ。1、スニーカーは藍川の物ではないので隠す必要が無い。2、藍川の物だけれど隠し忘れた。3、あえて隠さなかった。いったいどれかしら……」
「ドラマなら3の隠さなかったというのが盛り上がりますね。犯人との知能バトル開始の合図です。警察の裏をかいて捜査を混乱させるのが目的でしょう」
「酒田君はほんとうにドラマ脳ね。彼が知能犯に見えたの?」
「いいえ、くたびれた中年でした。ですが、それすら演技かもしれません」
「演技ねぇ……。藍川の死亡を聞いたときの反応。あれは演技じゃないわね。知らなかったのは本当だと思うわ」
「同感です」
「それなのに十年以上前の写真を見せて普通の反応をしたのは解せないわ」
「どこがです?」
「聞き込みなら今の年齢の写真を持って来るでしょ。なぜ昔の写真を見せるのか不審がらない?」
「彼は高校時代の彼女しか知らないはずなので普通だと思いますが」
「酒田君がそう感じるのなら成功なのかな。もし彼がファントムなら、藍川と同郷の繋がりで疑われたと気づくでしょう」
「なるほど、俺たちが不審者を探しているというのは嘘で、藍川の知人を訪ねに来たのだと気付く、と」
「これでファントムが出没しなくなれば彼が黒でしょうね」
「捕まえるんですか?」
「しないわよ。ちょっとヒーロー気分を味わいたかったんでしょ、もうしないなら放置だわ」
「頑張れファントム!」
酒田は祈るポーズをする。
「やめなさい! まずは京本君が押収したコンビニの防犯カメラの映像を見てスニーカーが同じか確認しましょう」
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