第4話 獅子身中
「はい
渋い柄の湯飲みを机に置いたのは
制服のない会社なので、派手ではなく若さ溢れる明るい色の私服を着ている。
ゆるふわパーマの髪は肩にほんの少しかかるぐらいの長さで、お茶を置く仕草で揺れると甘い香りがほのかに漂うのだ。
子犬のような保護欲をそそる可愛さで思わず頭をなでたくなる妹属性の持ち主。
誰に対しても平等に接する彼女は会社のアイドル的存在で、彼氏の座を狙っている男性社員は大勢いる。
浮いた噂話すらなく、その身持ちの固さも人気の要因になっていた。
男女平等が浸透した影響で、女性にお茶くみを強要しない会社が増えるなか、この会社は少々風変わりで『お茶くみ手当』を支給し若い女性社員にお茶を用意させているのだ。
手当など出ずとも彼女は自からすすんでお茶くみを引き受ける性格をしている。
彼女の入れたお茶が飲めるのが羨ましいと他部署の男性陣からよく言われるほどだ。
「ありがとう」と、液晶モニターから目を離さず不愛想にお礼を言う。
「あれっ、久崎さんってイヤリングしてました?」
「えっ?」と、咄嗟に耳を手で隠す。
「隠さなくてもいいじゃないですか~」と彼女が言うと久崎は照れくさそうに手をどかした。
彼女の小さな顔が息遣いが聞こえるほどの距離まで近づいた。
「これ~ピアスじゃなくてイヤーカフなんですね。素敵ですよ~」
「そ、そお?」
「いがぁ~い。アクセサリとか興味ないと思ってました」
「そうだね、貰い物じゃなければ付けないよ」
「女性からのプレゼントですか? 意外とすみにおけませんねっ」
「ち、違うよ! 俺は誰ともつきあってないよ!」
「慌てちゃって、あ~や~しぃ~」と言いながらクスクスと笑う。
「ホントだよ、俺なんて全然モテないんだから」
小井戸は笑顔のまま隣の席へお茶を配りに行く。
『ほほぅ、主殿はその女性に恋心を抱いておるのじゃな』
耳に付けているイヤーカフにより、ノミとは常に思念伝達が行えるようにしてある。
それは思考が全てノミに伝わることを意味するが久崎は特に気にする素振りはないようだ。
『恋じゃなくて憧れな』
『違いが判らぬよ』
『人を好きになったことがないんだよ。愛とか恋って感情が理解できないんだ』
『この体の基となった女性は好きなのじゃろ?』
『それ
『一緒にいたいとは思わぬのか?』
『遊び相手としてなら楽しいだろうけど、常に一緒は遠慮したいね』
『寂しい男じゃのう』
『一人の女性を深く愛するよりも、浅く広く大勢の女性を
『まさか主殿がハーレム願望を抱いておるとは』
『それは違うのだよノミ君。例えるなら鮮やかな花畑を眺め、心を癒す心境だ。野に咲く花は綺麗で逞しい。しかし、花を摘み花瓶に刺すと手入れが必要だ。それが何本もあれば手入れが行き届かずに枯れてしまうだろう』
『釣った魚に餌をやりたくないと聞こえるのじゃが』
『そうとも言う。ハーレムなんて幻想だよ、普通の男性なら修羅場に耐えられず精神を病むね。だから俺はハーレムを求めない。綺麗な女性を遠くから眺めるだけで充分なのさ』
『それならワシの力で綺麗な女性アンドロイドを大量に作ることが可能じゃ』
『マネキン工場の管理人になれとでも? 魂の宿らない人形に興味はないよ』
『ワシはどうじゃ、魂が宿っておるぞ』
『カビが生えてる爺の魂じゃねえか。まずはその喋り方を治せよ』
『うぐっ、反論できぬわい』
『そうだ、アレの設置はできたのか?』
『ぬかりなく。気づいた様子もないのう』
『上々』
『しかし、警察の来訪は少々驚いたのう』
『そうか? 遅かれ早かれ来るだろうと予想していたが』
『確かに主殿は平然としておったのう。捕まるのは平気なのかね』
『捕まる? なぜ? 善良な市民が治安維持に貢献してるんだ、なにを恐れることがある』
『警察の縄張りを荒らすのじゃから対立しても不思議ではあるまい?』
『縄張りってヤクザじゃあるまいし。そもそも俺は捕まらないよ』
『その余裕、何を根拠に?』
『捕まるなら俺じゃなくてノミだろ? 遠慮せずマズイ飯でも食ってこい』
『ホントに酷いな主殿は! ワシを何だと思っておる」
『道具だよ。それ以上でも以下でもない。ペットは家族だと言ういう人がいるだろ、あの思考理解できないんだよね。小動物は可愛いが家族愛が生まれるほど好きにはなれないんだ。ノミもそう。見た目は美少女だが愛情は一切湧かないぞ』
『主殿よ、それ、病気じゃないかのう』
『愛情を与えられた経験のない者は、他人に愛情を与えられないらしいな』
『可哀そうに……、余程酷い幼年期を過ごしたんじゃのう』
『まあ俺は普通に両親いるし、愛情も注がれたと思うけどな』
『なんじゃそりゃ、同情して損したわ!』
『ハッハッハ! 病気だとしても付ける薬はないだろ、不治の病さ』
『いや、ある。無償の愛を与えてくれる女性がいれば治るじゃろう』
『そんな人いるわけないだろ』
『いた!』
『えっ?!』
『怪しいヤツを発見したぞ』
『なんだそっちか……。いったいどうなってるんだこの町は~、犯罪者だらけじゃないか』
『空き巣などの小さな事件はニュースで取り扱われないし、どの町も同じじゃないかのう』
『よけい酷いわ、他の町でも同じくらい犯罪が発生してるってことだろ』
『意識と無意識の差じゃな。人というのは意識をし始めると過敏になるのじゃよ。気にならなかった子供の泣き声が、ある日を境に騒音と感じるように、な。これは動物の本能だから仕方ないのじゃ』
『じゃあ何か、俺が過敏に反応していると?』
『そうじゃ。犯罪の発生率が急上昇したわけじゃない。今までと何ら変わりないのじゃよ。主殿の活動に異議はない、治安維持協力は立派。じゃが、どこまで手を伸ばすのかは考える必要があるのう』
『俺一人ではカバーしきれないってことか……』
『おやおや、これは~、どうやら銀行強盗のようじゃ』
「えっ!?」と、思わず声が漏れてしまう。
『ダイブの準備をする、ノミはそいつを追跡してくれ』
『心得た』
この会社には休憩室が設置されている。
眠気や疲労を我慢しながら仕事するよりも、短時間でも仮眠をとり心身ともにリフレッシュしたほうが能率が上がるらしい。
実際この会社では休憩室の設置により業績がアップしたのだ。
余談だが、休憩室を休憩以外の目的に使用する者がいるらしいとの噂だが『業績がアップするのなら良し』と、社長判断で黙認されている。
久崎が休憩室の入口にあるセンサーにICチップ入りの社員証をかざすとドアのロックが外れる音がした。
部屋に入るとドアが自動的に施錠される。
部屋側のセンサーに社員証をかざせばロックが外れ入退室の時間が勤務時間表に記録される仕組みだ。
一畳ほどの小さな個室の中央に、ほぼ水平に倒せるリクライニングチェアが置かれている。
久崎は棚に用意されたタオルをチェアの枕部分へかけた。これは仮眠室の利用規則でリクライニングチェアを汚さないための工夫だ。
靴を脱ぎリクライニングチェアに体を預けた久崎は、
「ディープダイブ」とキーワードを唱え浅い眠りへ沈んでいく。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
『うわっ!!!』
眼前の遥か先に見える道路までおよそ数十メートル。どうやらビルの屋上にノミはいたようだ。
『早かったな主殿』
『怖っ、股間が縮み上がったぞ』
『この体には付いてないがな』
『うっさいわ、で、どれだ』
『白いワンボックスカーじゃが、もう犯人は銀行に入ったぞ』
『ここ、銀行の屋上か?』
『そうじゃ。ちなみに下へ降りる階段のドアは合鍵を作り開けておいた』
『上出来、強盗は何人だ』
『運転手と実行犯の二人、銀行に入ったのは実行犯だけじゃ』
ノミは防刃防弾に優れたボディースーツとフルフェイスのヘルメットを付けている。
体のラインが出るほどの密着した装備だが可視光域全反射率がほぼ
普通の女性なら恥じらうほどの薄い生地だが、中身は中年男性と老人、むしろ楽しんで着ていた。
念のためエレベーターは使わず階段で一階へと降りる。
階段中央の手すりを飛び越えながら、ほぼ一直線に降下していく。
超吸音素材の靴底なので足音を聞かれる心配はない。
銀行強盗の襲撃情報はビル内に拡散されており、接客窓口にいなかった従業員たちはビルの裏手にある社員通用口から避難していた。
『仮眠室はそう長くは使えないからな、いつものようにさっさと仕留めるぞ』
『まかせておれ』
一階、接客窓口のあるロビーへ到着したノミはそっとドアを開き中を確認する。
目出し帽をかぶった犯人が拳銃を手に銀行員を脅しバッグに現金を詰めさせていた。
他の銀行員は手を挙げ立たされている。
客も手を挙げたまま壁際に立たされていた。
『ノミ、交代だ』
格闘が必要な場合は無理をせずノミに任せていた。
ドアの影から飛び出し一気に犯人へ駆け寄る。
音もなく素早く動く影に気づいた客が
「あっ」と声を上げる。
何事かと振り向いた犯人は目の前に黒い塊がいることに驚き慌てて銃口を向ける。
しかし次の瞬間、ノミは犯人の手首を激しく跳ね上げ拳銃を手放させる。
その衝撃でふわりと浮き上がった拳銃は弧を描きながら落下し床に落ちるが、カシャンと軽い音がする。プラスチック製のモデルガンなのだ。
ノミは犯人のボディに拳を一撃。痛みで前かがみになり頭が下がる。その頭を掴み床に倒すと、無防備にさらけ出された延髄に
電光石火と形容するに相応しく、ノミが走り寄ってから五秒で鎮圧されたのだった。
『なんだ
床に落ちた拳銃を誰もいない方向へ蹴り飛ばす。
『そうみたいじゃのう』
『長居は無用だ、あとは警察に任せてずらかるぞ』
『心得た』
ガン! と鼓膜を激しく振動させる破裂音がホールに響く。
銃声だ。
見えない位置にもう一人隠れていた。
運転手が入って来たわけではない。
ノミを狙った弾丸は命中せず射線後方にいた客に命中。肩から血を流し倒れ込む。
その姿を見た女性客が悲鳴をあげ頭を抱えその場にうずくまる。
連鎖的に悲鳴が続きホール全体が騒然となる。
立っていた客は頭を抱え床に伏せ、銀行員も机の影に隠れた。
『クソが!!』
犯人への罵倒ではない、久崎は油断した己を
銃を発射した犯人が追撃しようとノミに照準を合わせる。
ノミは射線上に客が入らないようカウンターテーブルを足場に飛びあがり犯人へ突進する。
続けざまに発射された二発の弾丸は、一発は外れ天井へ、もう一発は腹部に命中した。
しかしノミは怯まず犯人に肉迫し、手首に手刀を叩き込み拳銃を手放させ、みぞおち、延髄、太腿のコンボを一瞬で決めたのだった。
外で待機していた警官にも銃声は届いていた。緊急事態と判断し銀行へ雪崩れ込むように入ってくる。
『撤退だ』
ノミは柱の裏に隠れ、その場にいた全員の死角へと身を隠す。
それを見ていた二名の警官が柱の左右から挟み撃ちするように盾を構えながら近づいたがそこには誰もいなかった。
警官は周囲を注意深く調べるが人が隠れられる場所はどこにもなかった。
スニーキングスーツを稼働させ不可視の状態となったノミは、警官の間を音を立てず慎重にすりぬけ、来た道を戻り屋上へ出ると合鍵でドアを施錠し元通りにする。
『失態だ、大失態だ……』
銀行の屋上で呆然と立ち尽くすノミ。
拳銃で撃たれた腹部に傷はない。防弾性能に優れたスーツを着ていたからだ。
「すまぬ主殿、共犯者がいるとは思わなかったのじゃ」
後から出てきた犯人は銀行員の制服を着ていたのだ。
銀行の内部情報を横流ししていた仲間で、犯行が成功した場合は姿を見せない手筈になっていた。
『事前準備を怠っていた。ノミの強さに自惚れた結果がこれだ』
「急を要したのじゃ、仕方あるまいよ」
『いくらでも他にやりようはあった。逃走した後でアジトに乗り込んでも良かったんだ』
「たらればは無意味じゃ、反省は良いが後悔は何も生まぬ、次に生かせば良いのじゃ」
『次があると思うのか? この失態は神の逆鱗に触れたぞ、そのうちに天罰が下る!』
「そうかのぅ?」
『無関係な一般市民に怪我を負わせたんだぞ、許されるわけがない』
「撃ったのは犯人で主殿の責任ではないぞ」
『体を張って弾丸を止められた。ノミにはその力があるだろ』
「そうじゃが、その理屈なら悪いのはワシになる。天罰はワシに下るじゃろうて」
『使用者責任ってのがあるんだよ』
「神様が法律を
『神の怒りだ、俺一人の犠牲ならマシかもしれん。天変地異? 地球崩壊? 世界消去もありえる……』
「たかが一人怪我したぐらいで何を怯えておる。今から行って傷を塞いでこようか?」
『たまたま命中したのが肩だから気楽に言えるんだよ。頭に命中して死んだら蘇生できるのか?』
「それは無理じゃ」
『ノミに唯一できない生命の創造。だからこそ命が大切なんだよ』
「う、うむ。確かにワシは数百年生きておる。生命に対して軽薄かもしれん」
『責めてるわけじゃない、その事情を考慮して行動しなかった俺が悪いんだ』
「起こりうる事象を全て予測して行動するなど不可能じゃ」
『ノミなら作れるんじゃないのか、ラプラスの悪魔を』
「ラプラス?」
『全世界の状態を完全に把握し解析できれば、未来をも計算によって予測可能となる理論だよ』
「不可能じゃよ。神様が主殿に何かを託したという説。もしそれが真実ならば神様は未来を予測できないことになる。神様を超えるなどワシには不可能じゃよ」
『おまえの体は未来の技術で作られているだろう』
「科学の進歩と未来予測を同列に扱うでない」
『ならどうやって最善のルートを選択すればいい』
「百点ではなく七十点で良い。神様とて完璧ではないのじゃ、主殿に完璧を求めはしないじゃろう」
『その点数を付けるのは誰だ。俺が七十点だと思っていても、神様は三十点と判断するかもしれないだろう。ボーナスの査定と同じだ、こちらが最善を尽くしても管理職が低い評価を付けるのとな』
「それは……確かにのぅ」
『さらに相手は神だ、思考パターンが読めない。意思疎通のできない相手から高評価を得るのは難易度が高すぎる』
「最善を尽くしておるなら評価は気にしなくて良いと思うがのう」
『許されるかは神の気分次第だ。もし次があるのなら何か対策を考える必要があるな……。あ、仕事に戻らないと。――ウェイクスピリット』
久崎はフルダイブから復帰するキーワードをそっと唱えた。
屋上に取り残されたノミは晴れわたる空を眺めながら、
「やれやれ、思い込みの激しい主殿だ」と、深い溜息をついたのだった。
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